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善良な農家の女性が共産党の迫害を受ける

(明慧日本)劉艶琴さん(54歳女性)は、遼寧省撫順市清原県に在住。法輪功を修煉しているため、警官らは何度も劉さんの自宅に行っては私生活を妨害し、強制連行したうえ、不法な労働教養を科して残虐な拷問を加えた。現在、劉さんは依然として、不法に馬三家労動教養所で迫害されている。

 一、馬三家労働教養所の「特別管理大隊」は滅多打ち、電撃などの手口で劉さんを迫害

 2008年7月、中国共産党は「オリンピックの安定」を口実にして、清原公安局の警官らは劉さんを連行し、トラの椅子(拷問道具)に座らせ、酒を強制的に流し込み、タバコで焼き、2日間吊るし上げるなどの手口で劉さんを迫害した。劉さんの両手は迫害で後遺症が残った。警察はその後、劉さんを不法に労働教養に科し、瀋陽馬三家労動教養所に送り、迫害し続けた。 

 馬三家労動教養所は、劉さんに法輪功を誹謗中傷する「30箇条」を暗記するよう命じた。劉さんは拒否したため、長時間にわたって直立不動の姿勢で立たされ、両足は腫れ上がった。ある日、劉さんは起立して警官らに挨拶しなかったことで、2人の警官に胸元をつかまれ、大声で罵声を浴びせられた。劉さんは「法輪大法は素晴らしい」と叫び、警官の王艶萍らに口にテープを貼り付けられた後、天井に吊るし上げられた。劉さんは指に鉄線を巻き付けて電流を流され、電撃しながら滅多打ちされ、残酷な拷問は数時間続いた。続いて警官らは劉さんに「三書」(決裂書、保証書、反省書)を書くように強要したが、劉さんは拒否したため、警官・董彬に滅多打ちされた。劉さんは現在、「特別管理大隊」に移され、警官・藩隊長、彭涛らにさらに迫害を受けている。 

 労動教養所は法輪功の陳情者に対する迫害を強めるため、2009年7月7日「特別管理大隊」を作った。隊長は第一大隊長から異動してきた藩が担当し、副隊長は王と何という人が担当、ほかに2人の警官(拷問用男性)が含む10人の警官が配属された。  

 「特別管理大隊」の囚人室はある建物の2階に設けられ、構造はとても変わっており、閉め切った大きな窓が2ヶ所あり、その窓に小窓がついていて、鉄網を張られている。入り口には鉄製の扉が取り付けられ、自動コントロールとなっている。法輪功修煉者を拷問するための部屋もある。夏になると、窓に網戸がないため、蚊や虫がたくさん部屋に入って眠れないため、藩にその状況を訴えた。藩は「おまえ達が窓を開けるから、かまれるんだ! かまれたくなかったら、窓を閉めろ、暑いのをガマンしろ、ここをどこだと思ってるんだ! ここは『特別管理大隊』だぞ!」と言った。 

 「特別管理大隊」の食事はきわめて悪く、1日3食すべて雑穀のご飯で、おかずといえば野菜が数切れしか入っていてないスープだけだった。湯がなく、水しか飲み物がなかった。ここに閉じ込められている修煉者は、家族との面会、電話、連絡は許されず、買い物は一切許されない。 

 二、撫順市の第二留置場で滅多打ちされ、「トラの椅子」で迫害を受けた劉さんは清原公安局に連行され、2日間撫順市第2留置場で不法拘禁され迫害された後、県の公安局に引き渡された。そして、女性警官・徐金栄らは劉さんを滅多打ちした。劉さんの手足はトラの椅子に固定され、清原公安局の警官らは50歳を過ぎた劉さんを殴ったり、ののしったりして、酒を強制的に流し込み、テープで口を塞ぎ、さらに鼻の中に火のついたタバコを挿し込んだ。 

 劉さんが留置場に戻されたときは、手足が麻痺し、指は曲がらない状態となり、食事ができなくなり、嘔吐していた。また、顔と体に多くのあざがあり、両足は腫れ上がっていた。生活は自立できなくなり、他人の手を借りなければ動けない状態であった。

 2009年11月8日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/4/211892.html

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