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生命が大法の中に融け込む(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は何のために人間に生まれてきたのでしょうか? 一世一世の中で追求し、無数の苦を嘗めつくして幾万年も待ち望んでいるものは一体何でしょうか? 今、私はやっと分かりました。師父と宇宙の大法を知り、私は大法弟子になりました。私は偉大なる宇宙の主佛の弟子になり、幸運で殊勝なことです。

  地獄から救われ、浄化される

 人は自分が誰であるかを知らず、なぜ人になるのかも考えていません。このように人間社会に浸って染められ、最後に病気だらけになり、疲れて、数十年後に他界するのです。

 幼いころの記憶ですが、隣の人が亡くなり、送別のときに人がたくさんいました。「この人たちがこの場を離れたあと、あの死人はきっと立ちあがってお棺の中から出てどこかに行くかもしれない」と私は妄想しました。また、ある日、中学校の農村労働活動の時に、1人で仰向いて天を眺め、突然、殊勝な気持ちが湧いてきました。誰かに会いたいような気持ちで、心が重いのですが、誰かと聞かれても分かりませんでした。

 大法を修煉してから私は、過去の謎、以前の不思議、人間の中の迷いをすべて大法の中で解くことができました。以前の苦痛と病気は知らず知らずに飛んで行きました。以前の悪い性格も変わり、生き生きして元気いっぱいです。私が担任している大学3年生のある学生は、授業中に私について次のように書きました。「ある日とても辛く、ただこの長い1日が早く過ぎればよいと考えていました。この時に先生が微笑みながら入ってこられました。とても幸せそうで、活気に満ちていました。私のうっとうしい心は突然なくなり、自分が明るくなり周りを見てもすべて美しく感じました。先生の微笑みが清々しい空気を運んできてくれて、麗しさと希望を与えてくれました」

 当時の私は、自分の微笑みがこれほどの効果があるとは思いませんでしたが、大法の修煉を通じて内面が変わり、人に与えた印象なのだと悟りました。偉大なる佛法と師父が私を、もともとあまり言葉の少ないごく普通の常人から、心が広く佛法に要求された境地まで昇華させてくださり、さらに私の生命にもっと殊勝な内容を注ぎ込んでくださいました。私が大法を修煉して3年と3ヶ月の1999年11月のことでした。

 2005年に偶然、以前同じ大学に勤めていて、やめて商売人になった同僚と会いました。同僚は次のように話してくれ、私は感慨深かったのです。「この数年来、よく人が法輪功について議論しています。人々は悪党のメディアの誹謗中傷の宣伝に踊らされて、真実を知らないままに法輪功を批判しています。この時、私は『法輪功はメディアの宣伝と違いますよ、私の同僚は法輪功を修煉してからとても変わりました。身体が健康になり心も広くなり、些細なことを気にせず、人のことを親切に手伝ってあげてとても良い人になりました』と教えてあげるのです」(実は私は修煉してから毎年、学内で優秀教師と評されました。以前ならば本当に無理なことです。)この同僚のよい行為と大法に対する正しい態度は、本人にとても素晴らしい福をもたらしました。ある日、友人と一緒に車に乗って外出し、交通事故に遭って皆骨折したり、負傷したりしましたが、この同僚だけは引っ繰り返った車から救い出されると、すり傷さえもなく、顔にすこし泥が付いているだけでした。本当に大法を重んじる一念により、幸福が訪れるのです。それから、私はさらにこの同僚に法輪功が迫害されている真相を伝え、大法のお守りをあげて、本人と家族の人が脱党するようにしてあげました。それから、この人は「法輪大法は素晴らしい」とよく念じて、何回も危険を免れることができました。

 師父は私を地獄からすくいあげて、汚い私を浄化してくださり、私は心身ともにきれいになりました。私は返本帰真の道を歩み始めました。慈悲で偉大な師父、ありがとうございます! 私は修煉して、大法の粒子になることができました。ありがとうございます。

  先史の誓約を叶え 師に従って衆生を済度する

  一、責任と使命

 大法を修煉して3年目の時に、邪悪な旧勢力が中共悪党を操って大法を誹謗中傷し、師父を悪意に誹謗し、大法弟子を残虐に迫害し始めました。数日間、私は話すたびに泣きたくなり、心が重く、人々に中共のメディアの報道は全部嘘だと言いたかったのです。当時の私は、邪悪は大法弟子の宇宙真理への信仰を押さえることができません。一時は狂気のようでしたが、大法弟子のエネルギーはきっと火山のように噴き出す時がやってくると思いました。

 しかし、それからの数ヶ月間、徐々にだらけてしまい、学法も煉功もしなかったのです。たまに以前の修煉のことを思い出すこともありました。ある日、師父の言葉が突然現れて、はっきりしませんが、修煉の機縁とすれ違って初めて失ったことが分かりました。授業の後に、私はすぐに大法の書籍を取り出して調べ、「修煉は子供のたわむれ事ではなく、常人のいかなることよりも厳粛で、思うようにはならないものです。 いったん機会を失ってしまえば、六道で輪廻して、いつ再び人身を得るのですか! 機縁は一度しかなく、放下できない夢幻が過ぎ去ってから、初めて何を失ったかを知るのです」(『精進要旨・退職した後に修煉する』) 「興味のために来るのは、心が必ずしっかりしていないのであって、世俗に入れば、きっとその根本を忘れてしまいます。 その念を固く守らなければ、一生、得ることはありません。いつまた機縁が結ばれるか分からず、難しいことです! 」(『精進要旨・堅定』)という師父のお話は、私の心からの大法に対する渇望を引き立て、この返本帰真の道をいかに歩むかを考えさせてくださいました。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/10/211605.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2009/11/17/112425.html

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