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自分をより良く修め、衆生を救い済度する(一)


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)尊敬する師父こんにちは、同修の皆さんこんにちは。

 私は1996年3月に修煉を始めました。親戚から『転法輪』の本を渡され、修煉のことについて何にも知らなかった私ですが、本を手にして読み始めたときはまるで宝を手に入れたようで、生々世々探していた宝物を見つけたような気がしました。そこで、私は最後まで修煉し続けると決心しました。十数年来、師父の慈悲なるご加護の下で、私は無数の魔難と試練を乗り越えることができ、修煉において成熟してきました。以下に自分の修煉体験をまとめ、同修と交流したいと思います。

 一、自分をより良く修めて、家庭を上手く円融する

 夫は私の煉功を当初から反対していました。その当時の私は法をあまりよく学んでいませんでしたので、心性を守れず、毎日のように夫と喧嘩していました。その後は法をよく学び、同修たちと交流し、「真善忍」に基づいて自分を厳しく律し、内に向って探したことで、自分の心を修めることができました。慈悲の心、和やかな心理状態を保つことができるようになり、物事に対してより良く行えるようになりました。

 1999年「7.20」以降のある日、町の共産党書記は5人の警官を連れて私の家にやって来ました。書記は「こんなに優しい奥さんなのに、なぜ法輪功を修煉するのですか?」と話しました。私は「何をおっしゃいますか、修煉する前の私はあなたが一番よくしているでしょう。法輪功を修煉したから病気が治り、良い人にもなれました。なぜ法輪功を修煉してはならないのですか?」と答えました。夫はそばで恐怖を感じながら私に話しを止めさせようとしました。後日、公安局から家にある法輪功書籍のすべてを提出するよう要求されましたが、私は絶対に渡さないと思いました。しかし、夫は私に黙ってこっそりと法輪功書籍の一部を公安局に渡してしまいました。そして、夫は私を監視するなどの保証書を書いたことで、事を済ませたようでした(このことを私は後になって知りました)。私は、残った書籍は全部隠しました。

 この出来事があってから、夫は私が修煉し続けるのを断固として反対していました。煉功できないように、一日中ずっと私を監視し、外出や人との接触を許してくれませんでした。私は夫が家にいないときを見計らって煉功していました。その期間は2ヶ月間続き、私は法を学ぶことや煉功、真相を伝えることができませんでした。私は耐え切れなくなり、夜になるとこっそりと泣いていました。

 ある日、夫は私が部屋で足を組み座禅しているのを見て、止めさせようとしました。私は気にせず座禅を続けていました。夫は無理やり組んだ足をはずそうとし、断固として私の煉功を阻止しようとしました。そこで二人は喧嘩になり、私は夫に「大法は厳粛なもので、あなたはこんなことすると必ず悪の報いにあいますよ」と忠告しました。結果としてその通りとなり、夫は2001年の春、重い胃病に罹り、医者からは萎縮性胃炎と言われました。毎日激痛で何も食べられなくなり、少量の薬でさえも飲むことができませんでした。夫は次第に痩せていきました。私はそうなった夫になぜそうなったのかについて話し、大法の真相を伝えました。

 2002年になり、夫はますます痩せこけてきて、体重は50キロしかなかったのです。夫の状態を見た親友達は不治の病に罹ったと思っていたようでした。そのような状況の中でも、夫は私の煉功を妨害しようとしました。ある日、夫は私が煉功しているのを見て怒りながら、離婚の話を口にしました。私は夫に「法を学び煉功の環境さえあればいい、修煉は絶対にやめない」と話しました。夫は私が屈服しないのを見て、息子を呼び、どうすればいいのかを聞きました。息子は「母さんは修煉し続けたい意志がこんなに強いので、家で煉功させたら」と話しました。息子の話を聞いた夫は、それ以上何も言いませんでした。そこから、私は法を学び煉功することができるようになり、精進し始めました。

 私は定年退職してから、家で忙しく家事をするほかに、姑(老年痴呆症のため大小便失禁し、脳血栓を患っている)を看護しなければなりません。昼間は時間がとれず、いつも夜になって法を学び、煉功していました。また夜に真相資料を配ることも多く、毎日睡眠が足りませんでしたが、一日中、眠たくありませんでした。身体も非常に元気で、疲労を感じませんでした。

 私は毎日のように夫に真相を伝えていました。断固として反対していた夫は、私の話を受け入れるようになりました。私は常に師父の説法録音を家族に聞かせていました。私は姑に「聞こえますか? 意味が分かりますか」と聞きました。姑は手で胸を叩き、心から分かるとの意味でした。私は姑に尽くしていました。隣近所の人達は夫に、良い嫁をもらったと褒めていました。私の変わりようを見た夫は、私の修煉を反対しなくなっただけでなく、以前隠した法輪功の書籍を全部私にくれました。そして、今まで行ったことは間違っていたと認めて声明を発表し、同時に「三退」も行いました。その日から身体も快復に向かい、今は完全に健康を取り戻し、体重も15キロほど増えました。

 二、分からなければ学び、家庭資料点を作る

 正法の進展が進むにつれて、大法の本と真相資料が足りなくなりました。そして、資料を作る同修の苦しみを見た私は、当地の資料点がよく妨害されることもあって、家庭資料点を作ることにしました。そうすることによって同修の負担を減らすことができ、資料を作る過程はすなわち修煉する過程であり、恐怖心を捨て去り、自分を良く修めていく過程でもあります。

 問題は、私はパソコンについて何も知らなかったことです。初めるかどうか非常に迷い、自分にできるかどうかも不安でした。しかし、「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)なので、私は修煉者だから克服できない困難はないと思いました。それで、私は一生懸命にパソコンを習い始めました。少し時間が経ってから、私はワープロを打てるようになり、ネットからのダウンロードもできるようになりました。そして、パソコンの基本的な操作が全部できるようになり、毎日師父の最新経文から『九評』、明慧資料まで印刷し、真相小冊子などを作り、ネット上の「三退」声明文の掲載などもできるようになりました。

 パソコンを使えるようになったのですが、あとは機器の故障と安全の問題でした。それで私は法をしっかりと学び、心性を高めていかなる問題に遭っても、まず自分の不足を探すことにしました。ある日、機器が故障し、私は心を静めて法を学び、自分の不足を探しました。その後、機器に向かって正念を発して、機器との対話もしました。すると機器の故障が治ったのです。今、私が作った小さな資料点は軌道に乗り、正常に運営しています。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 2009年11月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/16/212183.html

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