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師父にしっかりと付いていく(二)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)

 二、手を携えて共に進む

 何があっても私の決心が揺るぎないのを見た両親は、妥協して大法を修煉して良い人になるのはいいが、人に真相を伝えてはいけないと言いました。そして、私の外出を監視しました。私はとても束縛されていると感じて、この環境から逃げだしたかったです。心の中で師父に苦しみを訴えました。慈悲なる師父はすぐに私にチャンスをくださいました。私は大都市へアルバイトに行きました。こうして、私はこの見知らぬ都市でレストランのウェーターを始めました。しかし、このレストランでは仕事時間が非常に長く、毎日13、14時間ほど働きました。それに集団の宿舎なので、自由に学法できず、いつも皆が寝てから『転法輪』を少しだけ読んでいました。毎日長時間のハードな仕事と、しかも同修に接触できないことで、だんだんと学法を諦め、『転法輪』の本も棚上げにしました。

 さらに、常人の次元に落ちてしまいました。師父がくださった心性の試練の中で、自分を修煉人と見なさず、人と口げんかをしてしまいました。内心では大法は素晴らしいことがまだ分かっていただけでした。この状態で5か月を過ごしました。慈悲なる師父は依然として私を見放しませんでした。ある日、私が眠っている間に、意識もうろうとした状態で、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」(『転法輪』)という言葉が聞こえました。私がその言葉をつぶやきながら目覚めた時、お腹で法輪が素早く回転しているのを感じました。師父が私の隣にいらっしゃると感じました。そして自分の現状を情けなく感じました。

 この時、ある同修は私に、私と同じ都市でアルバイトをしている故郷の同修がいると教えてくれました。そして私はアルバイトをやめて、その同修に会いに行きました。その同修は私より年上で、家族によく真相を伝えていました。同修の夫は修煉をしていませんが、大法のことをとても応援しています。他の同修にも熱心でした。私はしばらくその同修の家に泊まらせてもらいました。この同修はかつての郷里の指導員で、修煉をしっかりしており、動作や話し方も私に多くの啓発を与えてくれました。修煉のことでたくさん法理について切磋琢磨し、生活面もいろいろ助けになりました。最も嬉しかったことは、その同修の家に師父の経文がたくさん揃っていました。私は系統的に師父の初期及び後期の講法を何回も勉強しました。それから、修煉の状態を整え、「正法」、「旧勢力」、「正法時期の大法弟子」にはっきりした考えを持ちました。

 この同修の家に2年近く住んで、自分の修煉に質的な飛躍を感じました。学法と修煉のしっかりした基礎を築きました。一緒に暮らしていた間、私たちは修煉を競い合い、共に精進しました。もちろん、時には心性の摩擦がありましたが、その時、私たちはまず内に向けて探し、心性を高め、後になってそのことについて交流しました。私はそれが習慣になりました。私たちには年齢差の隔たりがなく、心を開いて交流し、トラブルはすぐになくなりました。2005年の冬、私は同修について初めて真相資料を配りに行きました。当時は緊張のあまり、足が震えて止まらず、心で正念を発する言葉だけを唱え続けました。無事に家に着いた後、真相資料を配布することは想像より簡単だと分かりました。それから、数枚から数十枚、百枚ぐらいの真相資料を持ち歩き、いつも配布しています。同時に、経験を積み重ね、最初の不安な状態から落ち着いた状態になりました。毎回師父のご加護の中で、危険を乗り越えて、無事家に着くことができました。

 2006年、私たちの都市の新聞に、小・中学生が大法を修煉することを非難する作文が載りました。私は同修とこのことについて交流し、私たちの地区で小・中学生に対して真相を伝えていないことを悟りました。そして、私たちは検討し、小・中学生に真相の手紙を送ると決めました。私たちは心をこめて、一枚一枚の手紙を書き、百枚近くの手紙を送りました。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 2009年12月20日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/11/13/212219.html

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