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周りの環境は、向上の環境

(明慧日本)母は1998年に法輪功の修煉を始め、私も続いて始めました。その頃はまだ小さかったので、基本的に法を学び、真・善・忍の表面的な意味だけを理解していました。嘘をつかない、真を修める、悪いことをしない、善を修める、怒らない、忍を修めるなどでした。しかし、それは自分が常に修煉者として自覚しているわけではなく、時々自分が試練を与えられたことに気付かないままでした。このようにぼんやりとした10年が過ぎました。

 そのうちに、師父が説法された法をよりはっきりと理解するようになりました。私のような精進していない弟子を見て、おそらく師父は良心をもって気付かせ続けてくださっているのかもしれません。私は徐々に内へ向かって探す重要性が分かるようになり、「内へ向かって探す」ことは簡単なことではなく、常に内へ向かって探すためには、しっかりと法を学び、法理をはっきりと理解する必要があります。実際は、師父が私たちに心性を向上する環境を非常にたくさん按排してくださっています。思い返してみると、心性を向上する機会のないところはありません。師父は私たちが絶えず自分を向上させることを望んでおられます。修煉はとても厳しく、私たちの衆生は私たちが円満成就することを待っています。

 今年23歳になりました。社会で歩み始めたばかりで、人心に対する試練はとても多いのです。これらの試練は巨大に見えますが、真に修煉する弟子にとって取るに足りないことです。

  利益を求める心を取り除くことが第一の関でした。社会に出てお金を稼ぎ始め、収入を得るようになりました。他人が自分よりたくさん稼いでいるのに、自分より多く働いていないことに、とても不満を感じていました。師父の説法を思い出すと、少し落ち着きます。しかし、また頭に浮かび考えてしまいます。すでに結婚する年齢になりましたので、男友達の家に行く時も試練になります。常人が世間を恋しく思う心、情に対する執着、安逸を求める心などが暴露され、これらはすべて捨てるべき物質です。

 今の仕事場の環境はとても複雑で、人間関係はかなり変異しています。師父が按排してくださったいかなる環境も偶然ではなく、私が修煉し捨てるべきものがあります。私心が重い人に対して反感を覚えるとき、自分に原因を探してみると、自分にも同じ私心がありました。他人の良くない一面が見えた時も内へ向かって探します。心が動揺すると、この面の心が重過ぎるのではないかと考えます。内へ向かって探すと、いつも捨てるべき心が見つかります。

 修煉者がより後退し、より精進しなくなる要素の一つは怠惰の心です。もう一つは問題に遭うと言い訳をすることです。自分が怠惰だと思わない時は、ますます怠惰になり、最終的に基本的な法を学ぶ時間も短くなります。問題に遭うと言い訳をするときは、ますます精進しないだけでなく、問題を拡大してしまいかねません。修煉の中で、非常に多くの良くない心は、意識することができれば捨てようと努力しますが、怠惰の心と言い訳があると修煉者は内へ向かって探すことを忘れてしまいます。

 私は、精進せず師父に心配をかけるような弟子ですが、努力をしています。私が悟ったことを書き、私と同じような同修と分かち合いたいと思います。修煉し向上する環境は私たちの生活の中にあり、身近にあります。自分が毎日経験したことを思い返してみてください。それは必ず向上する機会なのです。

  2009年12月26日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/10/31/211425.html

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