日本明慧
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新聞づくりを通して、内に向けて探すことを習得する


文/ドイツの大法弟子

(明慧日本)約1年前に、同修にドイツ語大紀元のニュース面の作成を担当してもらえないかと聞かれました。ただ紙面を編集しながら、ちょっとした記事を書き入れるだけだと思い込み、承諾しました。しかし、2回目から、ほぼ全面を作成する重荷が私の肩にのしかかり、取材から、翻訳、編集、その上、組版まで全部1人でこなさなければならなくなりました。

  修煉する前から政治に関しては、ずっと好きではありませんでした。テレビや新聞はもちろん見ません。政治や経済などについては全然分からず、全く興味がありませんでした。同修は、「まさかドイツの2大党派、SPDとCDUも区別がつかないことはないでしょうね」と私をからかったこともありました。今、いきなり新聞面を担当し、学びたいもの、やり遂げたいことが多すぎます。その上、ドイツ語大紀元は週刊発行のため、毎週更新しなければなりません。しかも、このジャンルの紙面については出来合いの情報がなく、必ず自分で執筆せざるを得ないため、仕事の量は多く、圧力も大きいのです。しかし、それゆえに、私は前へ推し進められ、成熟も早くなったようです。

 もちろん、新聞紙面を作成するには、私一人の力ではできません。記事を書く人手も必要となり、そこで、問題が生じてきました。人手不足の現状で、皆も多くのプロジェクトを担当しているため、時間の配分、個人の仕事のバランスのとり方などにおいて、多少なりとも無理が生じてきます。特に、仕事に慣れるにつれ最初の情熱も次第に変わっていきます。それに、他のプロジェクトも段々と増えていく中、原稿を書く人がいなくなり、このニュース面の作成に携わる人も段々と減っていきました。2009年1月から、ドイツ語大紀元新聞のニュース面はまた一面増えました。最初、他の同修が先頭を切って、新しい紙面の記事を執筆し、私は最終編集、組版だけする予定でしたが、2、3週後、この紙面も私が担当することになりました。

 圧力はますます大きくなり、仕事の量もますます増えるのに対し、人手は段々と減っていき、あの頃、私はほとんど仕事に没頭して、追い詰められていました。私の心理状態は極限に達し、同修のことにケチをつけ始めました。「なぜ彼は締め切りに原稿を出せないのか。なぜ彼女は約束を忘れて、責任感が欠けているのか。なぜこんなに長くやっている彼女はちっとも成長しないのか。彼女はあまりにもひどすぎる、こんな原稿は使えるわけがないじゃないの、私を馬鹿にしている。まさか私の仕事を増やしたいのではないでしょうね。彼もひどすぎるわ。基本のデータさえ間違っているなんて…」同修に対して相当不満を抱えていました。あの時期、ほぼすべての原稿は大幅な加筆修正しなければ気が済まなくなり、全部書き直す時さえありました。しかし、その主な原因は、同修を信頼していなかったからでした。その結果、全ての記事は自ら手掛けなければならなくなり、とても苦しくて、疲れました。

 この状態がしばらく続き、ある編集についての交流会で一人の同修が内に向かって探す経験を語るまで、私はずっと気がつきませんでした。その時、私はまるで夢から覚めたような心境でした。数カ月来、私は少しも内に向かって探しませんでした。ずっと他人に目を向けていました。まさに、小道修煉のように、ひたすら苦しみに耐えてばかりで、心性の修煉を重んじることを知らず、修煉の道において、あまり前へ進めませんでした。あの時、新聞作りは、実は修煉だということを初めて認識でき、非常に恥ずかしく思いました。私たちが遭遇した全ては決して偶然ではありません。多くのことの裏側には私たちが取り除かなければならない心が潜んでいるからです。難義に遭遇して乗り越えることができない時のように、実は、心性を高める時期が迫っているから、心性を高めさえすれば、同じ次元で長く留まる事はないと思います。それから、私は気を引き締め、何かに遭遇した時、自分に向かって探すことを学習し始め、物事のうわべの是と非だけにこだわる障碍を排除し、自分自身の中で深く隠蔽されていた執着心を究明する努力をしました。

 新聞作りの仕事にしばらく携わっていると、経験を積むにつれ、顕示心も生じてきました。ある日、同修の一人が私の作成した紙面について、自分の意見を述べました。彼女の意見に対して素直に納得できなかった私は、たくさんの言い訳を持ち出し、自分の観点を通そうとしました。そこで、他の同修の意見も聞いてみましたが、その結果はあの同修の意見と同じものでしたが、私はすんなりと素直に受け入れました。どうして違う2人が同じ意見を言ったのに、私の反応がそんなに違ったのかと、きっと自分に何か問題があるのに違いないと認識し始めました。無意識に自分は最初の同修よりも経験が豊かだと思い込み、その同修を凌駕した優越感に浸っていたため、あの同修の言ったことが理に合っていても、直面したくなかったのです。しかし、2人目の同修は自分より経験が多く、専門知識も豊かなため、私にとって、受け入れやすかったのです。私心を持ち込んでいて、正しい意見を無視したのです。

  そして、同修の原稿を編集する際に、謙虚でない姿勢で行うと、同修が心血を注いで書いたものを簡単に削除してしまい、甚だしきに至っては間違いを起こしてしまいます。このようなことを一度体験して、同修の仕事を大切にするようになりました。校正と編集の仕事の量は元のままですが、自分の心境と効率は改善されました。同修の間違いを見つけた時、もはや愚痴をこぼしたり、避難するのではなく、善意を持って、相手に教えるのです。その結果、この同修も進歩した、あの同修も上達できたと日に日に見えてきました。私はもう大幅に原稿を修正する必要がなくなりました。

 先月、ドイツのメールチームがヨーロッパ交流会の前に行った、交流会会場で使うラジオについての説明会は、私を大いに啓発してくれました。私は同時通訳を聞く必要はないため、メールチームのこの話し合いは私の大切な時間を無駄にしたと思いました。後に、同修からのメールで、綿密な機械の性能、販売先、購入する際の注意事項等についての説明を読み、自分のことを非常に恥ずかしく思いました。私は同修のその細かな気配りに感動しました。反省してみると、私はマスコミの報道は決まった型にはめることは当たり前だとか、ネットで関連記事を検索するのは当たり前だとか、それに同修が正確に仕上げることも当たり前だとか、などと自分なりの観念を持っています。したがって、同修が自分のやり方についてこない時に、いらだって1分でも惜しんで、解説したくなく、同修の手助けをしたくないのです。しかし、事実上はもし、同修が私に合わせるのではなく、私が積極的に同修に合わせ、私自身がわずかでも変われば、多くの問題が存在しなかったことに気が付きました。

  二つの紙面を担当しているので、肩の荷は重そうですが、実際には綿密に(師父に)按排されているようです。いざ、人手が足りなくなった場合、或いは私の状態があまり良くない時、同修の誰かがすぐに私に、手助けは必要かどうかと聞きにきます。そして自ら原稿を提供してくれるのです。現在までのこの長い間、同修はずっと黙々と協力してくれており、本当に心から皆に感謝しています。

  新聞作りはとても大変な仕事だと思います。なぜならば、長期にわたってやり通さなければならない上に、決められた時刻に完成させなければなりません。遅らせることは絶対にできません。自分の紙面が締め切りに間に合わないから、新聞の印刷も遅らせるわけにはいきません。ですから圧力が大きいのです。このプロジェクトに参加する事ができ、本当に誇りに思います。もちろん、師父の我々への要求は非常に高いのです。現在、プロフェッションナルな面においても、地域の密着度にしても、内容の充実度にしても、私たちの新聞はまだまだ更なる大きな挑戦に直面しています。

  師父、ありがとうございます。皆さん、ありがとうございます。

 (2009年のドイツの法会での発表原稿)

  2010年4月17日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/8/215876.html

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