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同修を助ける中で自分を修める(二)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)その田舎はあまりにも遠く離れていたため、常に行くことができず、2カ月過ぎて行ってみたら、同修たちにあまり変化がありませんでした。田舎の同修たちの変化が見えないと、私はこのことについて自信がなくなり、あまりにも難しいと思いました。彼らはいつになったら修煉して上がって来られるか? どうすればいいのか? 現地の同修とこのことについて交流すると、同修は私が内に向けて探すことを手伝って、私の多くの執着心を見つけ出してくれました。結果を求める心、忍耐強くないこと、善の心がないこと、ただ仕事をしたい心、他人を変えたい心などなど。 

 自分の問題を見つけてから、心を静めて学法し、良くない心を法の中で正し、自分を清らかにさせました。本当に人のために考える善の心を修めることができました。その後、田舎に行くとき、再び同修の足りないところを見ることをせず、善の心を持って、彼らの不足の所が見えたら、自分の法に基づいた認識を持って彼らと交流し、彼らに自分の執着が見えるよう、問題にぶつかったら自分を探し、着実に修煉し、法を多く学び、法の中で精進するようにさせました。

 自分が変わったため、田舎の同修にも変化がありました。同修たちを排斥していた一人の同修が全体に入るようになり、学法グループに参加し、精進し始めました。あまり自分を修めることができなかった2人の同修が、着実に自分を修めることができるようになり、しっかり、かつ正しく自分の修煉の道を歩むべきだと悟ることができました。

 この過程の中、私は忍耐する心がなければ、善の心がなくなり、全過程を歩み尽くすことができず、竜頭蛇尾(初めは勢いがよいが、終わりは振るわないこと)になってしまい、自分の内外からの邪魔を解体することができず、結果的にこのことを良く行うことができず、心性も向上できず、さらに多くの法理を悟ることができず、また同修を邪魔してしまうと体得しました。ことを行う中で、自分を証明せず、自分を着実に修めてこそ、大法をしっかり実証することができ、行なったこともとても神聖になると体得できました。 

 田舎の同修を助けるこの過程で、私は師父に手伝って法を正すこの偉大なる意義を本当に体得しました。

 以上、正しくないところについては、同修からの叱正をお願いします。

 (完)

 2010年8月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/22/228653.html

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