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修煉の道で人を救うことを銘記すべき(三)


文/山東省の大法弟子

(明慧日本)自分は大法弟子で、私は彼らを救わなければなりません。私は落ち着いて「兄さんのお金に対して、あなたたちに報告してもいいです。ただ二、三十年前のは記録もないから、ずれがあるかも知れません」と話しました。夫の両親の衣食から二人の子供の小学校から大学までの費用、その後、私二人の給料も話しました。そこまで話して、夫の両親が娘らに、これはあなたたちが関わる問題ではないと言いました。
 
 私は続いて話しました。「あなたたちも私が法輪功を修煉していることを知っていますね。私が修煉する前だったら、あなたたちはこのように私を攻める勇気がありますか。師父は私たちに良い人間、まず他人のことを考える人になることを求められています。私とあなたのお兄さんの体は全部師父が浄化してくださったのです。師父が私たちにどのように高尚で徳がある人間になるかを教えてくださいました。本当にあなたたちに『転法輪』を読んでもらいたいです」 このとき彼女らは、はにかみながら大法のことを受け入れ、大法のお守りも求めて、三退もしました。
 
 2006年末に、私は上海の娘の所に行って孫の面倒を見ました。孫は一歳で話し始めました。私が教えて孫が「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」とつないで言うことができました。これを聞いた娘婿は私に「お母さんが法輪功を修煉することに私は関わりません。ただ私の息子に対してはこれを教えないでほしいのです」と言いました。私は娘婿に「全世界で多くの子供が大法の修煉をしています。ほら、私たちの洋ちゃんはどんなに健康で、賢いでしょうか」と言いました。娘婿は怒って「私にこんな無駄な話しをしないでください。このようにしたいなら家に帰ってください」と大声で言いました。私はこれが関だと分かっていましたが、切ない気持ちで涙が出ました。
 
 それからは、娘婿が私と話を交わしませんでした。私は修煉者で、彼と同じようにしてはいけないと思いました。後で娘婿の気持ちが落ち着いた時に、私は大法のことを彼に伝えようとしました。結果、私の話が終わらないうちに、娘婿は大声で「それで、私が間違っているのですか」と怒りながら言いました。私は多く話せず、自分の部屋に戻りました。私はどこに漏れがあるか分からず、まず学法をしようと、『転法輪』を読みました。しかし、実際は心から放下できず、娘婿を怒らせることを恐れていました。
 
 この関を乗り越えずに、また次の関がやってきました。夫は1999年7.20以降は修煉しませんでした。このとき、夫は焦慮症にかかって、私は実家に帰らなければなりませんでした。昔の同修が私の家にやってきて夫と一緒に学法したりしましたが、夫は心から怖がる心を捨てられず、病院に行っても病が治りませんでした。私の心はどうしても放下できませんでした。
 
 私は同修と切磋琢磨し、大量に学法してから本当に悟りました。「情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」(『転法輪』) 師父の保護下で私は人心を放下して、恨みも捨てました。それから娘婿と仲直りして、その後、夫も再び修煉を始めて体が健康になりました。
 
 私の修煉の道を振り返って見ると、一歩一歩が師父の慈悲なる保護のおかげです。正法修煉の最後の段階にもっとしっかり歩み、師父が私たちに任された三つのことをよく行い、衆生を救う中で着実に修めて円満成就します。 
 
2011年01月15日

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