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師を信じ、法を信じて、正しい道を歩む(二)


文/中国河北省の大法弟子

(明慧日本)2001年、地元で大型の洗脳班を設置することになり、各国営企業に、まだ「転向」していない大法弟子の名前をまとめて提出するよう知らせが届きました。私と夫は同じ会社に勤務していたので、この知らせは夫から聞きました。2カ月の洗脳教育で、しかも費用は個人負担でした。当時、経済面で困っていたmたえ、私は家族に負担をかけたくなくて、この機会に外に出て仕事をしようとしました。そして、私は北京へ行きました。当時、北京では全国スポーツ大会が開かれていて、地元の公安局は私が北京にいることを知り、会社に圧力をかけて私を連れ戻すようにしました。会社側は、夫に私を連れ戻させようとして、夫を解雇しました。
 
 夫は、私が迫害されることを恐れて、「子供を連れて北京に行く」と言いました。私はそれを聞いて、彼らは修煉をしておらず、路頭に迷う生活には耐え切れないと思い、家に戻りました。戻ってから、私は直接会社に行って、会社の上司を訪ねました。「あなたたちは私を探しているのではありませんか? 私は来ました。私は、生活のためアルバイトをしに北京に行ったのですが、何か間違っていますか? 夫に仕事を与えてください。あなたたちは修煉者の私を探しているのではありませんか? 彼とは何の関係もありません。私にどこかに行ってほしいのでしょう。夫が影響されず、娘が学校に通えるならどこへでも行きます」と言うと、上司は公安局の人を呼びました。当時、私は恐怖心がありませんでした。公安局の人は私を見て笑いながら「帰ってもいいです。私たちについて来る必要はありません。家に戻ってください。全国スポーツ大会が終わったら、仕事の問題も解決してあげます」と、言いました。当時、私の正念が足りていました。
 
 2002年、派出所はいわゆる「証拠」を捏造して私を逮捕しました。法輪功を学びたい人がいて、その人の家に教えに行った時、すぐに逮捕されたのです。当時、私はすぐ内に向かって探してみると、安逸の心が生じていたのです。警官は、私が法輪功を広めていたことを理由に拘禁しました。しかし、私はこの押し付けられた罪を認めず、今回の迫害に反対すべきだと思いました。それで、私は断食を始めました。同修は私が苦しんでいるのを見て、他人に見られていないとき、「ちょっと食べて」と、声をかけてくれました。しかし、断食するのは他人に見せるためではなく、邪悪の生命、および旧勢力が私に押し付けた迫害に反対するためです。ここは私がいるべき所ではなく、誰も大法弟子を迫害する権利はありません。断食してから17日後、私は無条件で釈放されました。
 
 2007年、私と同修は資料を作る拠点を訪ねました。その時、資料拠点はすでに監視されていて、一時間も経たないうちに私たちは逮捕されました。7人の警官に代わる代わる監視されていました。初めは師父の教えどおりに、発正念をして真相を伝えました。それで4人の警官が三退しました。後になって、正念が足りずに心が動じ始めました。多く話したら刑が重くなるのではないか、と恐れていました。当時、夫は病気で亡くなり、家には娘が一人残されており、真相を伝えるときにいろいろな心配事を考えてしまいました。そして、子供のことを心配するほど恐れる心が生じました。
 
 その後、私は留置場に送られました。私はすぐ内に向かって探し、子供に対する情が重いことに気づきました。すべては師父が按配して下さると思ってからは、少し落ち着きました。私は煉功と発正念をして、断食で迫害に抵抗しました。その期間中、警官に無理やり食べ物を口に入れられ、鼻の穴にゴムホースを挿入されて水を流し込まれました。当時、私はすぐ止めさせ、悪には報いがあると発正念しました。すると、警官はすぐ苦しい顔をして、止めました。私は発正念の威力を、身をもって感じました。 
 
2010年12月14日

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