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自分の執着を隠さない


文/純浄

(明慧日本)今日は用事があって同修が家に来ました。家にいる時、その同修は自分の子ども(同修)のことについて、どのように素晴らしいか、どんな良い仕事をしているかを私に言いました。同修が自慢している様子に気がついて、私は心からその話が嫌になったので、何度も同修の話の途中で中断してみました。同修が帰ってから、私は口で何も言いませんでしたが、心からむらむらと強い嫉妬が生じました。「人は世の中のものをいくらもらっても、大法には及ばない」と思いました。その時、潜在意識の中で自分の心理状態は良いと思い、得意になりました。 

  夜、父親(同修)が家に戻りました。それで、父親に「その同修は自分の子どもがどのように素晴らしいか、仕事でどんなに上手くやっているかをひけらかした」と言いました。しかし、父親は聞こえないふりをし、自分のことをやり続け、時々違う話題で私の話を中断しました。私は少し怒り、「なぜ人の話を真剣に聞かないの、私のことをぜんぜん尊重してくれない」と非難しまた。父親は笑いながら、「その同修の子どもは本当に素晴らしく、仕事を良くやっているよ」と言いました。その話を聞くと私はさらに不満になり、「お父さんの話は、法の基準に基づいてはかっていない」と咎めました。自分の行為は全く常人の表れでした。

  夜に学法する時、「父親の先ほどの態度は私にとって鏡だ」と突然、悟りました。「自分が話す時、父親に中断されることは自分を尊重していないと思い、同修が話す時に私が中断したことは、まさに同修は尊重されていないと思っていただろう」と分かりました。内に向かって探すと、同修の子どもは同修が言うよりもそれほど素晴らしくないと思っていたが、実はそれは私の潜在的嫉妬心の表れだったのです。師父は「他人に良いことがあったら、その人のために喜ぶところが、自分の心のバランスが取れなくなります」と『転法輪』の中でおっしゃったことがありますが、その法で自分を量ってみると、確かにそれは嫉妬心でした。

  また、なぜ父親が帰って来たとき、このことをそんなに父親に言いたかったのでしょうか。実は、潜在意識の中に、父親に自分のことが良いと言ってもらいたいという考えがあり、さらに、同修が自分より素晴らしいと分かり、人から慰めてもらいたいのでした。心の中の苦痛に触れられると、大法を「保護の傘」としてさすいうことは、まさに大法で自分の執着を隠すことです。修煉はつまり人間の心を修めるということですが、もし自分の執着をこのように隠してしまったら、修煉になりません。師父が按排してくださった毎回の向上の機会をムダにしてはならないのです。

  師父の『精進要旨』経文の中で「時間との対話」によると、「最もよく見られることは、彼らはいつも人間と比べ、彼ら自身の過去と比べていますが、各次元の法の要求に基づいて自らを量ることができていないのです」と言いました。

  その中から、修煉はつまり自己を修めなければならず、他人と比べてはいけない。さらに、自分の過去と比べてはいけない。必ず法の各次元の要求に基づいて自分のことを量るのは、ほかでもなく修煉です。

  2010年4月4日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2010/4/2/220816.html

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