師父と大法を無条件に信じているのか(二)
文/中国の大法弟子・浅悟
(明慧日本)同修Bさんを例にしますと、Bさんは高等教育を受けておらず、話し上手でもないため、法理に対する理解がどれほど高いか、深いか、本人から話したこともありません。しかし、何らかの魔難に遭ったら師父に助けを求めて、よく奇跡的な効果を収められるのが、彼女の特徴ともいえます。
例えば、 彼女の息子は結石を患っていて、地元の名医も治せませんが、Bさんは師父をかたく信じており、息子に「これは、無知なあなたが以前、大法の書籍を燃やしたため、罰が当たったのです。私の師父に懺悔すれば、師父はきっとあなたを助けると思います。あなた次第です」と教えました。息子は師父の写真の前にひざまずいて3回も叩頭して、泣きながら「師父、私は間違いました! 師父、無知で大法に対して罪を犯した私を助けてください!」と言いました。そして、10分も経たないうちに結石がある部位が緩んで、直径1.5センチの結石が身体から排出されて、痛みもなくなりました。
また、Bさんの孫娘は生後80日の時、舌に大豆より大きいこぶがあるのが発見されました。検査の結果「奇形腫で、手術して切除することができますが、子供があまりに幼いため、現在は手術ができません。子供が大きくなって、こぶが飲食に影響するほど大きくなった時に手術すればよい」と病院側から告げられました。
Bさんは息子と嫁に「他の病院に行かなくてもいいし、こぶが大きくなるまで待たなくてもいいです。今から誠心誠意心をこめて『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じれば、師父はきっと助けてくださいます。安心してください」と言いました。
息子と嫁はBさんの言うとおりに2、3日念じた結果、孫娘のこぶは本当に消えたのです!
Bさんがどんな魔難に遭ってもすぐ師父に助けを求めるのは、彼女が師父と大法をかたく信じていることの表れです。師父に助けを求めることを思いつけば、きっと師父が按排してくださる道に乗ることができ、結果は当然、常人が想像できない奇跡が現れるのです。肝心な時に師父に助けを求める一念を頭に思い浮かべることができるのは、彼女の修煉の背後にかたく師父と大法を信じる心があるからです。ただ口で言うだけでできるものではありません。
最後に、私自身の話をしましょう。我が家に時々ゴキブリが出てきます。私はゴキブリが嫌いですが、殺したら殺生になりますので、とても悩んでいます。明慧ネットで読んだ文章からヒントをもらって、私は善意を持ってゴキブリに「もう我が家に現れないでね」と言いました。本当にその文章の中で言われているように正念の神通力が現れて、ゴキブリはそれっきりいなくなりました。その時、私は特に歓喜心が生じたわけではありません。
4日後、娘(修煉者)は2、3日ゴキブリを見かけないため、私に聞きました。私は「明慧ネットで読んだ文章からヒントをもらって、ゴキブリと善意なコミュニケーションをとって、発正念した結果です」と教えました。話しながら、密かに顕示心が生じました。
5日目、家にゴキブリがまた現れました。私は内に向かって探した結果、顕示心が見つかりました。それに、善意なコミュニケーションと発正念をしたら、ゴキブリは本当に姿を消すのかと内心で微かに疑ったこともあります。また、ゴキブリがいなくなったのは自分自身の正念が強いからだと思い、大法のこの上ない神通力をその次に置いたこともあります。
師父と大法を信じることに、少しの不信があるだけで全く異なる結果になることを、ゴキブリの件を通じて理解することができました。
また、女性の同修Cさんのことを例にあげて見てみましょう。Cさんは髪の毛を染めたために、顔とまぶたが腫れ上がり、特に上まぶたは目が開かないほど変形しました。彼女は直ちに発正念をして師父に守りを求めた結果、腫れは治りました。
染髪剤は化学物質で、薬でもあり毒性も含んでいるため、髪を染めるのは良くないことだと師父が私に教えて下さっているのかもしれません。師父は『転法輪』に「われわれ煉功者は、身体の浄化を目指しているのではありませんか? 絶えず身体を浄化して、絶えず高い次元へ進んで行きます。なのに、あなたが身体の中にそんなものを吸い込むのは、まったく逆行しているのではないのでしょうか?」とおっしゃいましたね、とCさんは私に話しました。
実は、私も髪の毛を黒く染めています。Cさんのことを通じて、私にも髪を染めて若返りたい執着と見栄え重視の執着があることに気づきました。それを取り除き、修煉は何よりも若返りを実現できる方法だと信じよう、と決心しました。
また『スイス法会での説法』で、師父が「修煉者は栄養食品を食べてもいいですか?」の質問に答えてくださった時の言葉を思い出しました。私はこのように理解しています。つまり髪の毛を染めたい発想は栄養食品を食べたい発想と同じことで、小さなことですが、その裏にやはり本当に師父と大法を信じるかの根本的問題が存在します。
悟ったらすぐに行動しないと、と思い、私はすぐ美容院に行って、先日黒く染めた髪の毛を全部カットすると、もとの白髪が現れてきました。髪を染めて若返りたい執着心を取り除いたため、内心はとても平然としていて、たとえ「老けた」と言われても平気です。その後、再びCさんの家に行くと、Cさんは「悟ったことを本当にすぐ行動に移しましたね」と言い、私は「本当に師父と大法を信じるのなら、行動に移さないと」と言いました。
3日後、Cさんの家に行った時、Cさんは「まるで奇跡が起きたようです。あなたの髪の毛は前回よりだいぶ黒くなりました。自分で気づいていませんか?」私は「そうですか? 男はそんな細かいところを気にかけません」と言って鏡を見ると、本当にだいぶ黒くなっていました。
この不思議な変化から、着実に心を修めて本当に人心を放下するならば、我々の体を浄化させて若返らせるなど、師父は何でもできます。しかし、これは本当に師父と大法を信じてこそ、できることです。「修は己にありて、功は師にあり」だからです。
私は、上記のいくつかの事例を通じて、法を多く学んで、三つのことを多くやれば師父と大法を信じることになり、どんな難関も乗り越えられるという理解は間違っている、と悟りました。魔難が現れたとき、修煉者がどれほど法を学んで暗記し、どれほど大法の仕事をしたか(もちろん多く学法して暗記して、多く大法の仕事をするのが良くないと言っているわけではない)を考量されるのでなく、どれほど着実に自分の心を修めたか、内心から師父と大法を信じているかが考量されるのです。師父と大法を無条件に信じて師父に助けを願ってこそ、はじめて奇跡が起き、順調に難関を乗り越えられるのだと、私はやっと悟りました。
(完)
2011年02月28日
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/12/30/122191.html)
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