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同修に責任をもって指摘しよう

(明慧日本)同修の間で励まし合うことは非常に重要です。面子(めんつ)や他の同修が自分より良く修めているからということを理由にして、他の同修の間違いを見ても指摘しないのはよくありません。このことが原因で、問題が起きてしまえば、全体に大きな問題をもたらしかねません。ここでは、私が気付いた幾つかの問題について、交流したいと思います。
 
 迫害されたことのある同修は、恐怖心を持ちやすい傾向にあり、迫害を受けた後、消極的になってしまうケースもよく見られます。このような同修は恐怖心を取り除くべきです。恐怖心に対して発正念をすれば、著しい効果があります。もし邪悪に迫害されたことで、法を実証することをやめてしまえば、まさに邪悪の罠に落ちたことになるのではありませんか? 迫害の中で関を乗り越えられないのは、恐怖心があまりにも強いからです。徹底的に恐怖心を取り除くことは極めて重要なことです。
 
 ある同修が正念を持って、迫害を乗り越えた話は非常に感動的なものですが、一部の同修は、何度も迫害され、迫害されてはそれを乗り越えるというサイクルを繰り返しています。4回、5回以上も迫害されているケースもあります。前に、ある同修が書いた修煉体験を読んだことがありますが、非常に強い歓喜心をもって書かれていました。この同修は私の近所に住んでいないので、連絡をとっていませんでした。この人が再び不法に逮捕され、厳しい迫害を受け、数年間にわたって拘禁されたという報道を、少し前に明慧ネットで見ました。その時私は、自分の無責任さを強く感じました。なぜ私は彼に指摘しなかったのでしょうか。この同修が自分の近くに住んでいないということは理由にはなりません。なぜ私は彼にアドバイスしなかったのでしょうか?
 
 以上は個人の考えです。不足があれば指摘をお願いします。 
 
2011年06月26日

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