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四川省:残酷に迫害された家族3人 命を奪われる(三)

五、拷問

2001年10月、私は古藺留置場の副所長、女性警官に簡陽刑務所の2監区へ連行されました。2001年11月に苗渓刑務所に移送され、2002年夏、簡陽刑務所の7監区、後に8監区へ移されました。4年間の刑務所生活で、私はあらゆる苦しみを嘗め尽くし、中国共産党の様々な罪悪行為を目にしました。

刑務所は各種の拷問で法輪功修煉者を転向させ、私はこの残酷な迫害を経験しました。私は刑務所で受刑服を拒否し、邪教標識の胸札を付けず、法輪功を中傷することに抗議しました。刑務所は、意志の固い法輪功修煉者に対する迫害は極めて残酷で、以下は拷問の一部です。

吊るし上げ:苗渓刑務所では、20数日間続けて吊るし上げられました。両手は反対に鉄窓にはめられ、足の親指だけ地面につき、髪の毛は不揃いにめちゃくちゃに切られました。昼夜連続して吊るし上げられ、洗面は許されず、水も飲ませてくれず、食事とトイレの時のみ、1日3回下ろされ、毎回8分だけで、時にはトイレに行くと食べる時間がなくなりました。20昼夜以上も吊るし上げられ、足は腫れて、靴下が肉に食い込んで、皮膚は化膿してしまいました。手錠は刃物のように、少しでも動くと腕にはまり込み、腕は脱臼してぼろぼろになりました。受刑者らは迫害の道具となり、順番に来て手錠をはめるなど迫害に加担しました。20日間が過ぎて、8分の解錠時間が来ても、すでに立ち上がられず、全身倒れたままはって進み、8分間ではとてもトイレまで着きません。髪の毛以外に、痛くない場所はなく、寒さ暑さが感じ取れず、飢餓感も失い、昼夜の区別ができなくなり、意識がもうろうとしました。にもかかわらず、係長は引き続き私を吊るし上げました。


拷問の実演:吊るし上げ
 

片腕をはめる:20昼夜以上も吊るし上げられ、私が非常に衰弱しているのを見て、私の片腕を窓にはめて、壁に向かって立たせました。私は苦しめられて立てられず、何度も壁にぶつかって、頭がこぶだらけになり、首、胸も青紫色になり、とても辛かったのです。苗渓刑務所での50数日間、各種の拷問で苦しめられました。苗渓刑務所から簡陽刑務所へ移送された時、簡陽刑務所の警官は、思わず私の傷だらけの腕をじっと見て、全員が黙って声を出せませんでした。背中で手錠をはめる:この種の拷問は、普通の人なら30分も経たないうち激痛を感じます。聞くところによると人を死に至らせるため、普通は禁止されていますが、7監区長は私に対して実施しました。はめてから、しばらく休んでまた手錠をはめ、一回に数時間はめられて、腕が脱臼しても引き続きはめられました。何日間はめられたのかは覚えていません。


拷問の実演:背中で手錠をはめる

バスケットゴール板、樹に手錠ではめる:7監区長は私をバスケットゴール板に吊るし上げ、1日中手錠ではめ、寒い日、雨の日、炎天下にもかかわらず、2003年正月から夏まで手錠をはめられました。私の両手を反らして樹を抱えるようにしてはめられ、立てられず、非常に苦しい姿勢でした。

手錠をはめる姿勢で寝させる:夜、私の片手は鉄製ベッドにはめられ、もう片方を下の段にはめられて、斜めの姿勢で寝させられました。


拷問実演:斜めの姿勢で寝させる

数年間、私は長期にわたり手錠をはめられて、冬は寒く夏は熱い独房の中、便所の中、あるいは屋上ではめられました。手錠はすでにさびて開かなくなりました。

薬物を注射:苗渓刑務所で、私は強行に薬物を注射されました。しばらくして頭が爆発したように痛み、私はベッドから地面に転がり、気絶しました。受刑者は私を引っ張り、倒れることを許さず、寄りかかることも許されませんでした。何回注射されたかも覚えていません。

灌食:私は断食して刑務所の非人道的な迫害に抗議しましたが、警官は各種の野蛮な方式で灌食しました。例えば、苗渓刑務所で私を窓のそばに立たせて、受刑者が窓の外から私の髪を引っ張り、もう一人が私の手足を押さえて、管を鼻からわざと気管へ挿し込み、私はすぐ息苦しいと感じて、力が抜けて動けなくなりました。彼らは依然として手を緩めず、引き続き灌食し、また私の手をねじったり、鼻をつねったりしました。
  


拷問の実演:暴力的な灌食

苗渓刑務所で、彼らは私を倒して押さえつけ、私の口をこじ開けて、私の膝の上で罵りながら受刑者に踏ませ、膝がもう少しで負傷するところでした。さらに、腕がねじられてアザだらけになりました。簡陽刑務所で、私は背中に手錠をはめられたまま灌食されました。鼻から注入し、時には鼻から胃に挿し込み、24時間にわたって昼夜の区別もなく、鼻の穴は腫れて、鼻水が流れていました。時には数日間挿し込んだまま取り出さず、まったく法輪功修煉者を人間として見なしていない状態でした。簡陽刑務所の7監区長は、私の両手を別々に鉄の格子にはめて、一人が鼻をつまんで口をこじ開けて灌食しながら、後ろで7監区長が拳で私の背中を猛撃しました。私は息が苦しくて、気絶しそうになりました。警官は「さらに泣けば、電気ショックを加えるぞ」と脅しました。長期の野蛮な灌食で、私の口腔の中はぼろぼろになり、顔は傷だらけで、刑務所から家に帰った時、顔に黒い傷跡が多くありました。

縄縛り:簡陽刑務所の7監区長と数人の受刑者は、私を屋上まで引っ張って縄縛りを実施しました。私の両腕は背中で手錠をはめられ、両足を合併させて、3センチの太い縄で下から膝の上まで、しっかりと隙間なく巻き付けられました。そして、彼らは縛ったままの私に正座させるように強制し、そばにいた受刑者は私を口汚く罵りました。極度な苦痛に耐えながら精神的な苦痛を加えられ、私は心が引き裂けられるように泣き叫びました。監獄部の警官は驚き、ひっそりと話した後、私を8監区へ移しました。

逆立ち:両足を合わせて、膝をまっすぐにして、腰をかがめて、両掌は地面について、晩から朝まで逆立ちにされ、血が頭にのぼり、頭が膨れてとても辛かったのでした。翌日、私の両足は腫れて動けなくなり、歩く時は1センチずつ進み、小さい溝さえ越えられません。翌日、また拷問を加えられます。

暴行:7監区長は私を鉄の柱に手錠ではめて、私の全身にむやみに暴力を振るい、罵りながら殴り、またハイヒールや鉄くぎの革靴を履いて猛烈な勢いで私を蹴りました。7監区長がよく使う手段は、指の第2関節を曲げて、その関節の骨で人を殴り、頭から顔へ下り、殴られた場所はすべて青紫の塊になります。苗渓刑務所の受刑者は警官の指示の下で、靴底を使って憚らずに私を殴りました。力強く繰り返し打たれたので、私の目は眩み、顔面が赤く腫れました。



拷問の実演:野蛮な暴行


裸にして暴行:私は囚人服を着ることを固く拒否したため、7監区長は受刑者を連れて、私を便所に閉じ込めて全裸にさせ、あるいは下半身を裸にさせ、受刑者に棒、柄のある箒、植物の葉などで、もっぱら下半身に暴行するように命じました。植物の葉は、皮膚に当たるとすぐできものができ、かゆくて痛くなります。7監区長はそこまで暴行しても、まだ憎しみを解消できず、私と皆の前で「死なせてやる!」と何度も言いふらしました。他の監禁されている人たちは、ひっそりと涙を流して、私に「気をつけて」と心配してくれました。

蚊に刺させる:ある日、7監区長はハサミで後ろから私の服をぼろぼろに切って、捨てました。また、受刑者に私の服をすべてごみに投げ込んで、ごみ車に詰めるように命じました。そして、便所の中で手錠をはめて、便所の中は汚くて臭く、環境は極めて劣悪でした。便所の中で、7監区長は受刑者に私の裸写真を撮影するように指示し、また男性警官を呼んで来て、私を侮辱させました。私は便所の中で手錠をはめられて動けず、裸の体は蚊に刺され放題で、全身に数え切れないほどの刺された傷跡が残っています。

トラの椅子に縛る:私は苗渓刑務所でトラの椅子に縛られました。両足は上へ持ち上げられ、トイレに行くことも許されず、一旦縛られたら数日間に及びました。
 



拷問の実演:トラの椅子


長期に直立姿勢を強要:連続して数ヶ月、朝6時から夜12時まで壁に向かって立たされ、腰がとても痛くなり、足の裏に厚いたこができ、両足は硬くなりました。

地面を引きずられる:7監区の地面はでこぼこですが、7監区長は受刑者に指示により、私の足を引きずって、走り回ったりして、わざと私の体を地面と摩擦させました。しばらくして、皮膚が擦り切れて、血が出ました。

巫術(ふじゅつ)で精神をかき乱す:受刑者の中の2人は巫術をしたことがあり、1人は60代、もう1人は40代で、2人は警官の指示の下で、夜中に外の樹に私を手錠ではめて、赤い布で私の腰を巻き付け、私の生年月日を書いて、口の中でつぶやいたり、紙を燃やしたり、ご飯を地に撒いたりしました。1人は泥と砂を私の身にどんどん撒き散らして、飲んだ水と唾を私の顔に噴き出しました。

私は不当に刑罰を下されて、4年間にわたる地獄のような生活の中で、残酷な迫害は一日も休まず、私が家に帰った当日も隔離室から出てきたばかりでした。
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/8/残酷迫害夺去我家三条人命-243607.html)
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