三、古藺留置場での残酷な迫害
中国共産党の江沢民グループは、国の法律を破壊してまで法輪功を迫害し、刑務所を利用して、警官らの違法行為を放任しました。
2001年1月19日、石宝鎮の党書記・傅志高の指示で、石宝派出所の所長・胡電波と体格のよい運転手や李憲忠らが、車で私の家までやってきて、不当に私の家を捜査しました。何も見つかりませんでしたが、彼らは高齢の父の前で私を公安局まで不当に連行し、そして、古藺県の留置場に閉じ込めました。
古藺留置場で、私は以下のように迫害されました。
見せしめに、街中を引き回された
古藺県610弁公室の人員・陳漢釗と公安局長の指示の下で、警官らは私たち数十人の法輪功修煉者を細いロープで縛り付け、法輪功を中傷する看板を首に吊るして、数台のトラックに乗せ、実弾入りの銃を持つ武装警官らに押さえつけられながら、広場で逮捕会を開かれました。逮捕会が終わると、古藺県政府を始め、永楽鎮、太平鎮、石屏黄工場、竜山鎮、護家郷たちにより、私たちは街中を引き回されました。私たちはスローガンを叫び、正念は天を突き抜けました。武装警官らは、私たちが叫ぶことを許さず、細いロープで私たちの首を締め付けました。私の首は強く締めつけられ、出血しました。
実演:看板をぶら下げ街を引き回す
死人ベッドに縛られた
古藺県610弁公室の警官、公安局長、公安警察、留置場所長、留置場の医師ら10数人が、私を死人ベッドに持ち上げて、私を手錠で「大」の字に固定しました。死人ベッドは、1本1本、間隔がある鉄で作られており、かたくて痛い拷問具です。私は医師である劉に、手錠を少し緩めて下さいと頼みましたが、かえってきつくされました。私は、死人ベッドによる迫害でひどく苦しめられました。私の耳は化膿して、数年間治りませんでした。
拷問の実演:死人ベッド
不明薬物を注射される
数人の警官らは、私をしっかり固定して、無理やり私の臀部に注射をしました。不明の薬物を調剤して注射したのは、留置場の医師の劉でした。その時、私はずっと善意で彼らを説得しました。「法輪大法は本当に素晴らしいのですよ、あなたたちは、法輪功修煉者にこのような事をしないで下さい」。公安局長も現場にいたので、私は彼に聞きました。「あなたには、お姉さんや妹がいますか? もし、あなたのお姉さんや妹が、このように苦しめられたら、あなたはどんな気持ちになりますか?」 私は注射をされた後、全身寒気がして、痙攣が半日も続きました。さらに私は、鼻に管を挿しこまれて灌食され、不明の薬物を灌入されました。
拷問の実演:不明薬物の注射
警官に殴打される
ある日、私が室外に立っていると、留置場副所長・徐永仲は、私をじっと見ていましたが、私は黙りこんだまま、彼を相手にしませんでした。すると、彼はすごい剣幕で私に、「名前は? どこの人?」と聞いてきました。聞き終わった後、私を殴ったり蹴ったりしました。私は顔がひりひりして、目がくらみました。その時の様子を、数人の警官らと法輪功修煉者が目撃しました。国家が公布した『刑務所法』では、管理人員は暴力を振るってならないと明確に定めてられており、徐永仲は、皆の前で、彼の違法行為を曝け出しました。
四、不当判決 法律執行機関の参与
留置場で、610弁公室の陳漢釗、古藺県公安局の傅建らは、何度も私に対して尋問を行いました。時には、公安局の勤務時間が終了しても、留置場で食事の時間になっても、彼らはまだ尋問を続けていました。彼らは、私にわざと濡れ衣を着せて、強引に私を法廷に送りました。
法廷上では、正常な手続の順序は無視され、まるで芝居のようにお茶を濁すものでした。私は発言することが一切できず、共産党の弁護士は法廷上で、はばかりなく邪説を拡散しました。私はいい人で、どの法律にも反していないにもかかわらず、意外にも「邪教組織を利用して、国家法律の実施を破壊した」という虚偽の罪名で、不当に4年の判決を宣告されました。
私は法輪功修煉者で、正々堂々と善い人になり、常に他人のことを先に考えるように心がけています。私は修煉を始めてからは健康な体を得て、道徳レベルも向上しました。社会に対して百利あって一害もありません。
古藺裁判所は、故意に是非を逆転させ無実の法輪功修煉者を迫害しています。強権の下で、このような目的は簡単に成し遂げられ、これは、歴史上で中国共産党が中国の民衆に対して行った、最も残酷な迫害です。