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中共から迫害を受けた教師はどれほど優秀か 文/清渓
7月23日付中国語明慧ネットに掲載された文章の中に、法輪功修煉者の教師が迫害された事例が何篇かあった。それらの教師は、一体どのような人物だったのだろうか。
『吉林市:優秀教師・李文麗さんが受けた迫害』という文章について、李さんは吉林市船営区歓喜卿の小学校教師であり、ただ法輪功を修煉しているという理由で、強制的に遠大小学校から下ワ子小学校に転勤させられ、その後また吉興小学校、銅匠小学校、最後に牛溝小学校へと何度も転勤させられた。李さんは「真・善・忍」に基づいて自分を律し、保護者からのプレゼントや礼金などを断り、好評を得ていた。李さんが担当したクラスは全卿での統一試験でいつも上位3番内に入っていた。特に、銅卿小学校は環境がとても悪く、他校に転校した学生が各クラスに多くいたが、李さんのクラスには1人もいなかった。しかし、2008年の北京五輪期間、李さんは自宅の門前で不当に連行された。3カ月後、学校に戻った李さんを見て、生徒たちはみな感激して泣いていたという。2009年9月15日、警官らが教室に押し入り、李さんを連行した。警官らの暴行を目撃した生徒たちはショックを受けて驚き、泣きながら李さんを囲んで守ろろうとした。その後、優秀な教師である李さんは、授業を中止させられ、食堂での雑用を強いられた。
『遼寧省遼中県:2人の良い人が強制連行され、判決を下された』という文章は優秀な教師・陳敏さんの物語である。陳さんは遼中県六間房学校の英語教師であり、仕事を真面目にこなし、苦労をいとわず、4年続けて高級教師に昇進するチャンスを他人に譲った。ある時、校長は陳さんを優秀教師にする予定だったが、不当な手段を使って昇進を狙った他の教師がいたため、校長は陳さんと相談した。校長の苦情を聞いた陳さんは「校長先生、また苦情があれば譲ってさしあげます」と言った。陳さんの高尚な人格を知ったその教師は、泣いて陳さんに謝った。しかし、これほど優秀な教師が、ただ法輪功を修煉しているという理由で3年の不当判決を下された。校長は「陳さんは我が校で最も優秀な教師であり、責任感を持っており、最優秀の人間であることを誰もがわかっている」と警官に伝えた。
『黒竜江省:矯齢インさんが迫害され死亡した真相を隠された」という文章について、矯さんは双鴨山市集賢県建新高校の食堂マネージャーであった。食堂マネージャーが、少しずつお金や物を蓄え、私腹を肥やすことは非常に簡単で、今の中国ではやらない人はほとんどいないが、矯さんはしなかった。数年来、矯さんはずっと2人の貧しい学生に無料で食事を提供していた。祝日やお正月に、矯さんは食堂の職員にボーナスを支払い、毎年の中元の日に、職員に月餅や果物を配分するだけでなく、学生にも配分した。貧しい職員にはいつも百元から数百元をあげた。彼は食堂の職員のことを考えていたが、自分は質素な生活を送っていて、学生が捨てた靴下を拾って使い、衣服もあまり買わなかった。職員宿舎の電気ポットが壊れたら、彼は無条件でお金を出して修理し、自分のお金で宿舎の内装工事をした。自動開閉ドアの設置、カーテンの更新、ハンガーの購入、ベッドの更新、洗濯機の購入など全て矯さんが行った。商品を多く購入した彼は、スーパーからいつもリベート や商品などを勧められたが、受けとらなかった。食堂が提供した料理はメニューが豊富で、価格も適正であった。食堂の衛生検査は、例年一流であった。しかし、これほど良い人物が、2011年6月10日に不当に連行され、7月8日に迫害されて死亡した。49歳の若さだった。連行から死亡まで、当局にすべての情報を封鎖されて、家族は何の説明も受けなかった。
以上の三つの事例は、人を憤慨させた。授業を禁止させられた李さんの元のクラスの学生は、別の学校へ転校するだろうか。陳さんは刑務所に入れられてしまったが、今後、校長と不平を分かち合う人がいるだろうか。矯さんが迫害され死亡したあと、食堂のメニューの品質は引き続き保障できるのだろうか。彼から援助を受けていた2人の学生は今後、学校生活を続けられるだろうか。どんな状況であっても、我々はこのような事実を知らなければならない。以上の3人のことを知った人々は、彼らを永遠に忘れないだろう。
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