日本明慧
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若い生命は大法のためにある(三)
文/江蘇省の大法弟子 雲舒
資料の作成は危険があるように見えますが、師を助けて法を正す中で、一人一人の技能と願望に違いがありますから、やったことにも差があります。真相資料を作る同修は法を実証する勇気を持つだけでなく、法に責任を負い、衆生に責任を負う心を持たなければなりません。これは私たちの天職であり、使命でもあります。責任を果たす過程で、人心で問題を考えず、師父の需要、法の需要、衆生の需要を考えれば、どのようにやるべきか分かります。
ある日、1人の同修が家庭資料拠点を設立したいと、私たちに助けを求めました。そのとき、私は一つの不正な念が浮かび、自分の安全を心配しました。その後、私は自分の心が妨害を作ったことに気がつきました。同修が家庭資料拠点を設立することは法に符合しており、資料拠点ができれば、どれほどの衆生が救い済度されるでしょうか? また、私たちは一つの全体ですから、他の同修から助けを求められたとき、自分に解決できることであれば、黙々と円融すべきです。師父は私たちに「今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」(『精進要旨』「佛性に漏れ無し」)と言われました。私たちは、師父が私たちにやってほしいことをやるべきで、人為的に妨害されないようにすべきです。師父は『転法輪』の中で次のようにおっしゃいました「煉功者としてあなたがいつも病気のことが頭から離れなければ、それは、求めること、病気を求めることにほかならず、そうなると病気が本当に身体の中に侵入してきます。煉功者としては心性が高くなければなりません。いつも病気ではないかと怯える必要はありません。病気を恐れるのも執着心で、同じように修煉者に面倒なことをもたらします」。私がこれを心配し、あれを心配することは求めているのではないでしょうか? 私は恐怖心を取り除いて、同修と一緒に協力して資料拠点の設立を助けました。
法をしっかり勉強し、大法で自らをきれいにし、自分を正した上で、正念で資料拠点を維持することは私たちの責任です。問題が現われたら、人を責めず、黙々と補い、しっかり円融すべきです。自分が正しくやれば、周囲の環境、自分の空間がきれいになり、人心が少なくなり、神の一面が強くなり、神の道を平穏に歩くことができ、師を助けて法を正し、衆生を救い済度する責任を果たすことができます。
大法は世間で19年間、広く伝えられました。私たちは法を得た喜びを経験し、厳しい試練も経験しました。大法の中で成長している若い生命である私は、今日まで歩んで来られたことを幸せだと感じました。同時に昔の子ども弟子が法を正す進展についていけず、あるいは人間と神の状態の間を徘徊して前に進まないことが惜しくて悲しいと感じました。私たちは自分の生命と大法との関係を認識して人心を放下できれば、人間の中で迷わず、執着せず、史前の誓約を忘れないのです。私たちが法の中にいれば、自分の力を発揮することができます。それは私たちが今世で生きる真の目的であり、史前の誓約でもあり、責任でもあります。
(完)
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