日本明慧
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新しい学習者でも三つのことをよく行うことができる(ニ)

文/河北省唐山市の大法弟子 
 
実修、内に向けて探す
 
 私が法を得て一年後の正月のこと、夜夫は知り合いの家で晩御飯を食べて家に帰ってきませんでした。夫は夕食後、マージャン遊びに行っており私は夫の携帯に電話をして、「10分後帰ってきてくださいと言ったのですが、帰ってきませんでした。私が再び電話すると電源が入っていませんでした。以前、夫は私が催促すれば、必ず帰ってきて、電源を切る勇気すらありませんでした。そのため私は夫を探しに出かけ、道中、歩きながら怒ってしまいました。私は魔性が爆発したかのようで、「着いたらお前を叱ってやる。速く帰ってこい!」と考える一方、もう一方分かっている一面、すなわち善良な一面が「私は今大法弟子ですから、法も得ているし、真・善・忍に基づいて行うべきで、以前のようにしてはいけません。口でいくら大法が良い言っても、自分自身を変えなければ、どこが良いのかと思われてしまうでしょう。師父が言うとおりに行わなければなりません」と考えました。こうして善と悪が戦いあって、最後に善が勝利しました。私は夫のいる場所着いた時、ニコニコしながら「夕べ残業で遅かったから、疲れているでしょう。今日はここまでにして帰りましょうか」と言いました。帰ってから夫に「私はあなたの面子を保ったでしょう。これからあなたを罵らないことにします。は私のイメージがあるから」と言いました。夫は笑って、「今日は確かによくできた。あなたにどんなイメージがあるの?」と聞きました。私は「大法を学んでいるから、大法弟子としてイメージを表すべきです」と言いました。
 
 実家に、落花生を取るときに使う道具があります。ある日実家の前で落花生を取っていたとき、ちょうど同修が来て一緒に交流しながら、手伝いをしてくれました。しばらく経って夫は道具を運んでくれました。同修は「いい夫だね、道具も運んでくれるなんと言いました。私は「今は忙しい時期夫と一緒にマージャンで遊んでくれる人はいないからだよ。そうでなければ来る暇もないよ」と言ってしまいました。夜帰ってから夫は「これから人前でそういうこと言わないでください。私が遊ぶ以外何もしていないように思われるではないですか?」と言いました。私はいけない、と思い、に向けて探しました。このとき『転法輪』の「嫉妬心」の中で、子供が100点を取った部分の法が頭に現れ、自分の中の嫉妬心を見つました。同時に師父が毎回法を説く時、最初にいつも「みなさん、お疲れ様です!」と言ってくれて、口調が厳しい時も師父はいつも後で、「今日師父の口調が厳しかったと言ってくださいます。師父はとても謙虚で、常に弟子の受け入れ能力を考えていらっしゃいます。私も師父のように、すべてによって対応し、慈悲で自分の言動を導きたいと思いました。私はもう一つったことがあります。同修の過ちが見えた時、または皆がある同修のせいと言うとき、これらの評価や評判を基準にしてこの同修を測ってはなりません。そうしてしまえば、自分の心の中で同修を一定のレベルに固定してしまいます。修煉を続けていくにつれ、同修も一歩一歩だんだんと良くなっていきます。一考一念は全て法に基づかなければなりません。
 
人間の観念を取り除く
 
 私たちは何度も輪廻転生していて、様々な観念つまり人間の考えを形成してきました。これは私たちが修煉の中で取り除くものです。何問題を考えるときや何をやるとき、その一瞬で法を思い出しそのとおり行えば、既に正念つまり神の念なり、このときは神の状態なのです
 
 ある時、同修と露天市場へ行って、化粧品を売る若い男性に真相を伝えたとき、「三退」について話した後、大法の真相を話しました。この男性は大法のことを聞くとすぐに「今すぐにあなたたちを通報します」と言いながら、携帯を取り出しました。私は正念を発しながら彼に「真善忍の三文字どれが良くないと思いますか? 何かいけないこともありますか?」と言いました。同修も「これはあなたのためです。真相さえ分かれば幸せが訪れますと言いました。私たちの話を聞くと男性笑って「かけませんよ。もう行っていいですよ」と言いました。
 
 十何年前から虫歯が1つあり、今年その虫歯から変な匂いが出てきました。『転法輪』第七講、「ポケットから一本のマッチ棒を取り出し、薬の宣伝をしながら、病んだ歯にマッチ棒を当て、ちょっと横に動かすと、歯がポロリと落ちました。痛くもなく、わずかな血痕があるだけで、出血もしません」を読んで、私は考えました。古代はマッチ棒で、現代は精密機器で虫歯を治療しました。私は大法を修煉しているから、医者に抜いてもらわず、自分で抜けたらいいなと思いました。翌日の朝、歯ようになって、舌でちょっと舐めるとけてしまいました。しかも出血もありませんでした。「人はそこに坐ったまま、手も足も動かさないで、他の人が手足を使っても出来ないことをやり遂げてしまいます。」「煉功者の場合は、意念が功能を支配して働かせます。一方、常人の場合は、意念が四肢や感覚器官を支配して働かせるのです」『転法輪』。師父は法を説く時よく大法弟子は功能がもっていると言っています。私たち日常の生活の中で思惟行動を行うとき、常に自分を神の立場に立たせ、真に「正念を持ち続け、神はこの世にいる」『感慨』にように、神様の状態になりましょう!
 
 不適当なところをご指摘願います。
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/18/245525.html)
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