日本明慧
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貴重な記憶:永遠の見証(三)

 報告会が無事終わりました。師父は湖北省の武当山に行きました。私たちも師父について車に乗って武当山へと発ちました。正午頃、私たちは武当山の観光地につきました。ある修煉者が「大きな看板が空から落ちてきて目の前に現れたのが見えた」と言いました。そこで、師父に対して「師父、私は大きな看板が見えました。私たちは看板の方向へ進んでいます」と話しました。する師父は「それは山の入り口です」とおっしゃいました。続いて修煉者は「看板の両側には多くの古代の衣装を着ている兵士が立っています。2人の兵士は列になって二人の間は20メートルくらい離れています。武士たちは鎧を着て奇妙な冠をつけています。冠の周りには沢山の角があり、全ての角には梅の花がついています。左手には古代の兵器を手に持ち、右手は開いています。指の先端にも梅の花が咲いています」と言いました。師父はこれに対して「それは山の神です」と答えました。看板の中に入ると、何名かの修煉者は天目を通して、山の中に沢山の寺があり、岩の上にも人が立っているのが見えました。白い服や灰色の服、様々な服がありますが、全て古代の服です。師父は「彼らは昔の修煉者です」とおっしゃいました。
 
 車は更に前へと進み、ある荘厳な場面が目の前に現れてきました。それは、大きな寺院でした。この大きな寺院は複数の小さな四角い寺院によって形成され、いずれの小さな四角い寺院は何列もの、金色に輝く鎧を着た人々によってできていました。まるで閲兵式のようでした。ある巨大な金色の人が寺院の最前列に立ち、全ての金色の人々も同じ姿勢を取っていました。左手は下腹部の前に置いて手のひらを上に向け、右手を半分宙に上げ、手のひらを左に向けていました。蓮の花の形をしていました。その場面はこの上なく厳かでした。このポーズは歓迎を意味していると、師父はおっしゃいました。四角い寺院は、どんどん大きくなり、無限に大きくなりました。普段物体を見る時のように、近くなれば鮮明に、遠くなれば曖昧になるのではなく、どんなに離れていても同じように綺麗に見えました。本当に素晴らしいものでした。
 
 この場所の北にある、山の峰は、かつて道の大師である張三豊氏が修煉した場所だと言われています。何名かの修煉者は天目を通してそこに、「張三豊がかつて修煉していた時の面影がある」と言いました。
 
 帰る途中、私たちは渋滞に遭いました。たくさんの車が道路を塞ぎ、解くことのできない結び目のようになっていました。通常ならば、この渋滞を解消するのに数時間ほど道路規制がかかってしまいます。私たちは武漢に戻って次の伝授クラスに行かなければならないと思い、皆焦りました。そこで師父が車から降りて、自ら車に指示し始めました。こちらに移動して下さい、そちらの車はもう少し待って下さいなどと、しばらくすると道路の渋滞が解消されました。やはり師父に解決できないことはありません。
 
 3月29日、予定通り伝授クラスが始まりました。湖北省からやってきた人もいれば、さらに遠い地区からやってきた人もいました。また、武漢に出張中の人もいました。毎回、授業が始まる時、師父はいつも前もって会場にいらっしゃり、参加者たちが入場するのをずっと遠くから眺めていました。師父がステージに上がると、全参加者が自ずと起立し、大きな拍手で師父を迎え入れました。師父はいつも微笑みながら、皆さんに会釈し、修煉者たちもずっと師父を眺めていました。師父が何度も会釈して初めて、拍手の音が止みました。修煉者が座った後、師父は説法を始めました。師父の説法には原稿はなく、ただ一枚の紙だけで、そこには数行、誰も読めない字が書かれているだけでした。様々な符号です。授業の際、会場は非常に静かでした。修煉者たちは静かに授業を聞き、ただ師父の大きな声だけが会場に響きました。
 
 授業の時、多くの修煉者は師父の背後から金色の光が差しているのが見えました。ステージの上に沢山の師父が座っているという人もいれば、ステージそのものが大きな城楼になり、2つの大きな扉が開かれ、左右から四名の古代の衣装を見にまとった武将が立っており、師父が城楼の中で説法していると言う人もいました(当時、この武将が誰かはわかりませんでしたが、ある修煉者の話によると、これこそが8大金色だと言うことです)。授業の後、私は師父に「師父、ホールのステージがまるで船のように見えました。船の両側は波打っていました。師父は船の上で厳かに説法なさっていました。まるで師父が『私はこれほど素晴らしい法理を皆さんに捧げました。皆さんと一緒に進みたいです』とおっしゃいっているように感じました」と言いました。師父は「そうですよ。私は人々を救い済度しているのですから」とおっしゃいました。
 
 10日の伝授クラスの中、毎日煉功がありました。ステージで修煉者が実演しながら、師父は微笑みながら修煉者の中に入って動作を正していました。最後の一日は質疑応答です。どんなに問題が多くても、師父はいつも落ち着いて修煉者が法理を理解するまで回答していました。
 
 伝授クラスの中で、師父が水を飲んでいる様子を一度も見たことがありません。師父はいつも修煉者に休むようにと言っていますが、ご自身は休んだことがありません。師父のこの、大きな胸襟と私利私欲のない道徳、そして非凡な気概は、誰もが永遠に忘れることはありません。
 
 別の功法をやっている人が、法輪功修煉者に対して「誰かが武漢で功法を伝授する際、掲げられた横断幕は、私が功を発すれば必ず落ちました。しかし法輪功の横断幕は、私が連続10日間功を発しても全く動きませんでした。李洪志先生の功は本物です」と言いました。また、「公園で他の功をやっている人の背後に、大きな尻尾が見える人もいれば、顔の半分が黒く、半分が赤くなっている人もいますが、しかし法輪功の煉功点の上には金色に輝く大きな覆いがあり、李洪志先生がその上に座って下を見ておられるのがわかります」と言いました。
 
 またある時、師父がステージの下に降りてしばらく休んでいた時、ある女性の修煉者が感動を抑えきれず、突然ステージに上がって話し始めました。なんとこの女性はもともと、頸椎ヘルニアを患っていました。そのため歩くことも出来ず、色々な病院で治療を受けたが効果がありませんでした。しかし、法輪功を学んでから数日後、奇跡的に治りました。彼女は「今、自分が感じていることはまさに、師父がおっしゃっているように体が非常に軽く、歩くときは風すら生み出すほど軽いものです」と言いました。その場にいた修煉者たちもさらに、師父と大法の無限の威徳を実感しました。
 
 伝授クラスが行われる中、師父に「功徳の大法」と書かれた額を贈呈することで、修煉者の師父に対する崇高な敬意を表しました。またある年配の女性は、「李洪志先生はまさに現代の生き仏です」と話しました。
 
 数名の同修は連続して師父の伝授クラスに参加することが出来ました。これらの修煉者たちは、これまで大法を修煉することで自分と自分の家族にもたらされた幸せを実感し、皆師父に感謝していました。最後の授業が終わる前、修煉者たちは師父にご飯をご馳走してあげたいと言いましたが、師父は断られました。私たちは、師父からあまりに多くのものを頂いたのに、なぜ食事をご馳走することすら、師父は拒まれるのでしょうか。「師父は本当に正しい道を歩んでいる方です」と思いました。仕方なく、修煉者たちはお茶の葉っぱを買ってきて、お茶を淹れて、お茶を作って師父が説法をされるときに師父に捧げました。しかし、それも師父に断られました。伝授クラスの期間内、師父は数時間にわたって説法されても、一口も水を飲まないことが多く、修煉者たちは師父が衆生のために一身に身を捧げるその精神に感動し、涙を流しました。
 
 第2回目の伝授クラスが終わった後、1993年4月8日、武漢市気功協会は、師父に感謝の気持ちをこめて、特別師父に木藍山(もくらんざん)を観光されるように按配しました。車で10数キロ離れたところに木藍山があり、山野中にお寺が建っています。木藍山に着く前に、天から沢山の仙女が降りてくるのが見えました。仙女たちは、色鮮やかなスカートを履いており、水晶のように透明な帯がついていて、非常に鮮やかで綺麗でした。これは人間世界で見ることの出来ない色でした。仙女たちはまるで敦煌壁画に書かれた仙女のようでした。この時と同じように、多くの巨大な武士が降りてきて、数千数百年間ずっと、この木藍山を守っている守護神のようでした。
(続く)
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/5/13/240538.html) (English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/5/27/125561.html)
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