考え方を変えれば反発することはない
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 (明慧日本)共産党が大法を迫害して以来、私は魔の巣窟で迫害された時に迫害に反対したため、相手は機先を制する(相手より先に行動して、気勢をくじく)方法を多く用いました。そのため、正常な環境の中へ戻って修煉しても、自分が相手の理屈に染められてしまうのではないかと深く恐れるようになり、相手の機先を制したほうがいいという自分の考えをいつまでも改められずにいました。

 多くの場合、相手の発言を聞かず、自分の考えが他人より良いと思っており、いつまでも他人の意見を受け入れないのです。たとえば私が迫害された時、地元の多くの同修は無関心で、ある者は共産党側に立って口を聞いたり、共産党がやりたくてもできない事をやるのではないか、という先入観を抱いていました。ですから、同修たちに対してずっと偏見を持っていたのです。

 今日、学法で『転法輪』の第九講を学び終わった後、まだ8時だったので、私はみんなで切磋琢磨することを提案しました。そこで、同修たちは自身が体験したことを話し始めました。

 しかし、話し始めてすぐ、同修の話題は他人に真相を伝える時はどのようにすべきかという問題に移り、みんなそれぞれに、いろいろなことを言い出しました。私は同修が何を言おうと静かな態度で聞いていました。つい口を挟んでしまう昔の習慣を改めたのです。

 私は話を聞き終えました。他の同修の真相の伝え方には過ちがあり、語気が良くないとか、真相説明の内容が一般の水準からずれているかとか、くどくどとうるさくて理性的ではないとか、彼らは他の同修をとがめていたようでした。さらに同修は、説明が下手なのは精神病だ、と言い出しました。

 内に向かって探し法に照らしてみると、同修たちは不満を漏らしたり他人の過ちをとがめたりして、そこに修煉者の善はないのではないかと、私は感じました。

 しかし、私にこの話を聞かせたのは、私こそ内に向かって探さなければならないのだ、と私は思ったのです。そこで、私は初めて同修たちの話に文句を言いませんでした。

 以前なら、私が反発すると、同修たちは、人が私の次元を高めるのを手伝っているのに、私が意見を聞き入れないと同修たちはかんかんに怒るあまり、途中で外に飛び出してしまうのでした。                                                                              

 今日の私は違いました。同修たちは自分の考え方が受け入れられたと感じたので、満足気に去って行きました。私は嫌な話でも笑って受け流しましたが、これは自分の心性を高める良い機会でした。

 今後、毎回トラブルに遭ったり、他人が自分の心を刺激するようなことに遭った時は、自分の心性を高める良い機会にしたいと思います。相手を大切にすることは自分を大切にすることです。

 現在、私が悟ったことが適切でなければ、慈悲に誤りを指摘していただきたいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/21/248135.html)     更新日:2011年10月30日
 
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