中共の生体臓器狩りの手掛り:遼寧省丹東市の元軍人の話
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 【明慧日本2013年3月31日】2006年秋のある日、私は偶然に遼寧省丹東市の元軍人の若者と知り合いました。彼は私にあることを伝えましたが、いまだに思い出すたびに恐怖を感じるそうです。その内容は以下です。

 「2000年12月のある寒い日、夜中の零時に軍の方で部隊に突然緊急集合命令が出されました。完全武装した部隊は丹東駅へ向かって出発しました。すぐに部隊は駅を多重包囲しました。しばらく過ぎた時、天津から来た列車が駅のホームに入りました。数名の軍人と数名の白衣を着た医師のような人が列車から降りてきました。彼らは我々の部隊のトップと何か極秘に話を交わすと、部隊の一部の兵士に列車を護送する任務が命じられました。私の所属連隊が呼ばれ、2人の兵士ごとに1車両ずつ守衛するよう命じられました」

 「列車に乗るまで我々は何が運ばれているか誰も知りませんでした。ただ非常に緊迫した雰囲気でした。誰もが運ばれているのは絶対普通の物ではないと分かっていました。列車に乗った後驚いたのは、これは普通の車両ではなく家畜運搬用の特殊車両であるということです。列車には天井がなく上は青空でした。しかし、護送されてきたのは家畜ではなく法輪功修煉者でした。男・女、老人と子供が含まれていました。話によると彼らは陳情するために北京を訪れた法輪功修煉者達だそうです。彼らは一人一人、手錠をかけられて車両の上にある鉄筋の紐から吊り上げられていました。まるで毛を抜かれた鶏を加工工場で吊り上げている様でした。私とペアのもう一人の兵士も非常にびっくりして、驚いていました。緊張して声も出ませんでした。機関銃を握りながら、ぼうっと同じ場所にずっと立っていました。12月の東北の冬は冬服を着ても骨まで寒いのに彼らは薄着で、猛スピードで走る天井の無い列車の中にいて、どれほど寒いかは想像できると思います。とても寒いです」

 「何時間も走って列車はやっと終点の瀋陽市蘇家屯駅に着きました」

 「今回の特殊任務を終えて兵士達は部隊に戻りました。戻った後に知ったのですが、今回の任務の途中『事件』が起きたとのことです。それは、同じ任務に命じられた黒竜江省双城県から来た兵士が、今回の法輪功修煉者達が吊り上げられ護送されている様子を見て、非常に驚いたそうです。特に彼らの多くは年配の女性でした。この兵士はあまりにも衝撃を受けて、突然胸が痛くなり、特に彼女達が真冬なのに非常に薄い服しか身につけていない様子を見て、心が衝撃を受けて、頭が朦朧として、『おかしく』なり、この護送されている法輪功修煉者を見ると誰もが自分のお母さんのように目に映ったそうです。そして、彼はペアの兵士に彼ら(修煉者達)の手錠を外して休ませて体を暖めてあげようと相談しましたが拒否されました。するとこの兵士は空を向けて銃を発砲したそうです。ペアの兵士が恐れて鍵を渡すと、この兵士は彼らの手錠を外して休ませました。しかしその後、ペアの兵士は上司にこの兵士に行為を報告してしまいました」

 「軍はこの兵士を逮捕して刑務所に拘禁して、長時間に渡りこの兵士を拷問し暴行したそうです。なぜ法輪功修煉者を助けようとしたのか、何か政治的目的があるのではないかと長い間責められ、拷問されたそうです。しかし、この兵士は意外にも頑固で何も言わず、口を閉じたままに暴力を耐えていたそうです。兵士がこうして長期間迫害され危篤状態に陥った後、部隊の一人の幹部がこの兵士の親戚(この親戚は地方政府の武装部部長です)に連絡をして兵士を保釈し、彼は一命を取り留め実家へ帰ったそうです」

 このことを聞いて時間が経っているので私も概略しか覚えていませんが、これが全て事実であることは間違いありません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/3/19/271106.html)
 
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