法を正す師に手伝い 常人から抜け出る(二)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2013年6月12日】

 市政府に真相を伝え

 師父の『選択』という経文が発表されてから、突然、私には一種の強烈な西洋の政府機関に真相を伝えたい思いが生まれました。

 以前、ある市会議員に教えてもらったのですが、市内の市民の誰でも、当市と関係がある重要な話題を提起したら、月一回の市大会に行って発言することができます。そこで、私達は発言願いと発言の原稿を市政府に提出しました。

 市政府の最高執行オフィスからの回答によると、彼らは大量の調査研究を行った結果、私たちはある団体または個人(邪党と江沢民)に対し強烈な非難告発を行っているので、それが不公平だと判断したそうです。

 即ち、彼らは大量の調査研究を行ったにもかかわらず、未だに真相を知らないのです。私は彼らに手紙を出し、これは江沢民に対するリーズ市の法輪功修煉者一個人の非難告発ではなく、彼がすでに世界中の多くの国で非難告発を受けている事実を伝えました。

 このとき、私は第一線で江氏訴訟案件に携わっている同修たちに非常に感謝の意を覚えました。彼らの努力によって、今日の私たちの真相を伝える道が開きました。

  頻繁に議員に真相を伝える中で、ある議員は市政府がなかなか決心がつかないうちに、彼の属する党派の全ての議員に手紙を書き、私の発言の原稿と一緒に送りまし た。手紙の中で彼はこう書きました。「この手を焼く案件について、緊急に政治的方策を打ち出さなければなりません。明らかに、政府の官吏達は現在の中共のオリンピック団体と、中国との友好都市の関係に影響がないよう、方策を打ち出すことを遅らせる為の口実を使っています。発言原稿の中で言及されている拷問や臓器狩りのことは非常に大きな事案ですので、私たちはどう対処すべきでしょうか?」

 まもなく、ある議員が返信してきました。「なぜ法輪功は私たちが最も発言を必要としないとき、わが都市に危害をもたらすかもしれないこの時期に、市政府に来て発言しようとするのですか?」

  彼の観念に対し、私たちは返信を書き、こう説明しました。「私たちがちょうど七月に申請したのは決してわざとこの時間に合わせたわけではありません。それに、真相を知るのに貴方に何の危害をもたらしますか? これはご面倒をおかけすることではなく、法輪功修煉者に発言をさせることこそ、わが都市の栄耀であって、 危害ではありません。歴史がこの点を証明してくれます」

 私たちの発言の当日、ある老人が近寄って来て私の手を握りながら言いました。「私はずっと貴方が来るのを待っていました」彼は自ら資料を要請しました。そして、彼はまさに私たちの発言で中共の感情を害し、リーズ市に危害をもたらすのを恐れていたその議員でした。

 もう一人の議員は手紙でこう書かれました。「私はずっと人権を支持しています。しかし、中国共産党代表団が帰ってから、私達は法輪功に発言許可を与えた方が良いと思います。そうすると、人権の支持もできて、中国共産党の感情も害しません」

  このような考え方に対し、私は返信を書きました。「貴方の手紙を見る限り、共産主義の邪霊が未だヨーロッパを支配していることが読み取れます。中国本土でも、多くの国民が法輪功修煉者を支持するために拇印を押しているのに、最も中共を恐れている人たちも立ち上がったのに、我々の西洋社会では、何に恐れているのでしょうか?」

 こうして、何度か手紙での問答の行き来を通じて、私たちは彼らの思想の中の正しくない要素を解体することを図りました。ある日、市政府は突然、私たちの発言要請を受け入れることを手紙で知らせてきました。しかも、発言は7月のオリンピック期間中に可能とのことでした。

 市大会は一つの都市の盛会で、そこに市長、百人近くの議員及び数十名の政府要員が出席されます。彼らは静かに私たちの発言を最後まで清聴し、そのうちの数人は前に出て私たちと握手を交わし、感謝の意を表明されました。

  個人的な感想ですが、真相を伝える過程で、彼らとの面会が非常に重要でした。親しい議員の一人が私に、反対意見を持つ議員達と会うことを薦めました。彼らと会うと、徹底的に彼らを変えることができると言われました。私はこれが師父による啓示だと思いました。大法弟子の存在自体が巨大なエネルギーですので、彼らに会ってたとえ何も話さなくても、彼らの背後の邪悪を解体できます。旧勢力は多くの隔たりを設け、今の空間においても同じです。近距離で彼らの目を直視しながら発正念するのも有効です。また、大法弟子の誠実な態度や修煉者特有の常人を超越した気質も彼らの心を動かすことができると思います。ですので、なるべく外に出て、常人と面と向かって真相を伝えた方がいいと思います。

 徹底的に常人の観念を改める

 師父は『ロサンゼルス市法会での説法』の中でおっしゃいました。「当時、私は表面の体の転化が、修煉してできた部分と協調し、体を修煉の中で、人間の状態 から離れさせ、修煉の弟子が自分の正念で人間と同じ状態を保つようにしたかったのです 」また、師父は「常人の観念を根底から変えなければなりません 」(『轉法輪』)ともおっしゃいました。

 私が思うには、修煉の最後に差し掛かり、師父が大法弟子に要求されているのは、徹底的に常人の観念を取り除き、真の自我を見つけることです。言い換えれば、常人の思惟から抜け出し、その枠から出て、「神」の思惟で行動することです。最後に私たちは外形までも常人から離脱し、光が果てしなく輝く神になります。精神と物質は同一ですので、この過程は累積から突変する過程になります。

 これは一つの概念、理論ではなく、真実であり、実際に行われる偉大な工程です。

 また、個人的に強烈に思うには、私たちが常人から離脱するにつれて、常人たちもそれを徐々に感じるようになります。私たちの一挙手一投足も後世に影響を与えています。彼らは覚え、これを貴重な追憶にするでしょう。

 この点を悟り、私は常に神の念で自分に要求し、なるべく常人の念を持たないようにしています。そして、観念がなく、純粋な本性で物事を見るとき、私はすぐに他人の観念や執着に気づきます。しかし、怠慢になったとき、観念の捕虜になることもあります。実際、それは頑固で、千百年にわたって形成された「人間」の殻と、すぐに表面まで突破してくる「神」の一面との戦いです。時には神の一面は勝ち、時には人間の一面は優位に立ちます。

 私は当地のあるクラブで「フリーチャイナ」を放映する際、予想外に、観客は二組みに分かれて観に来ました。二回目の放映の途中、私のコンピュータは電源がギリギリ切れるところでした。このとき私がすぐに起した一念は、これらの衆生は真相を観るために長い年月を待っていて、今日やっとチャンスが訪れました。宇宙の全ての要素、生命はこのチャンスを生かさなければならず、他空間で電力を補充するようにします。

 しばらくすると、私は自分が一生懸命に、電力が補充されることを願いながら発正念しているのを気づきました。覚者なら一念で乾坤を築くのに、私はなぜこんなに力一杯使って発正念をしますか? 実際、一念があれば十分で、自分の能力を疑ってはなりません。それから、私はコンピュータの電源などに気にせず、観衆たちと一緒に映画を観終えました。皆が感嘆し、映画の内容に夢中に議論を交わす中で、私のコンピュータも任務を終え、電源が切れました。

 私にある多くの不足を一々列挙するに値せず、以上は私個人の浅い認識ですので、皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。皆が互いに励み、なるべく早く、最大限に衆生を救いましょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/22/273330.html)
 
関連文章