文/ミズーリ州の大法弟子
【明慧日本2014年11月3日】ある州議員に来てもらった経緯もここで皆さんに紹介させてください。私は彼の事務所に何度も電話を入れましたが、ずっと誰も出ないため、私はインターネットで他の連絡方法を検索してみました。意外にも、彼はあるサイトに携帯電話番号を公開していて、しかも彼に連絡したいなら、誰でもその番号をかけて良いと言っています。その番号はまるで私のために公開されたと私は感じました。政治家などに電話をかける時、やはり緊張して、時には動悸もしましたが、私は発正念して緊張を抑えて、その州議員の携帯電話にかけました。彼は映写当日に時間がないと言って、彼の時間に合わせて特別に映写することもできると私は提案したら、「我が家に来てください」と彼は言いました。そのようにして、私たちは彼の家に行って「フリーチャイナ」を映写しました。映画が終わって数秒間経っても、彼は何も話ませんでした。彼はきっと真相に震撼したのだと思います。「映画で語られた内容を私はずっと前から知っていました。もしも機会があれば、きっとあなたたちを応援する」と、彼は話しました。彼の反応は私が期待したほどのものではありませんでしたが、結果に執着せずに、少なくとも今日の努力は価値があると私は思いました。
その頃、「フリーチャイナ」の試写会に来てもらうため、私はずっと多くの人や組織に連絡していましたが、長い間順調に進まず、まるで至る所で障害にぶち当たる感じでした。このプロジェクトに協力できる同修も少なく、時に私は非常に孤独を感じました。多くの常人は、生きている人の臓器を摘出して売買するという前代未聞の悪行を聞いてもまったく無関心なようでした。その冷たさにショックを受けて、私はよく涙をこぼしました。
私は涙をこらえて、『各地での説法六』を手に取って、「二〇〇四年復活祭ニューヨーク法会での説法」の下記の段落が目に映りました。「すべての大法弟子にとって、すべてのことに対して法をもって量ることができれば、より正しく歩むことができます。このようにすれば、見える学習者も見えない学習者も問題を起こさないのです。法があるから、法の要求にしたがって行ってください。ほかの生命がどんな状態であっても、変化に満ちた各種の複雑な表れは大法弟子を妨害することができません」[1]
その言葉から、師父からの慈悲なる励ましを感じました。自分はやはり人の態度、世間の情勢を気にしすぎて、常人からいわゆる支持をもらいたいのです。試写会を行うのは何のためでしょうか。常人から何かを得たいためでしょうか? 大法弟子は常人に頼って、常人に何かしてもらいたいと思ってはならず、ただしっかりとするべきことをやり遂げるほかなりません。もしも世間の人がすべて反対に立ち上がったら迷いが破られ大法弟子の修煉環境も無いかもしれません。私の心配、焦慮、緊張、プレッシャーは、根本を言えば結果に対する執着に由来しています。
「悟りが先にあって見えるのは後のことで、心を修めて業を取り去り、本性が現れて初めて見ることができるのです。」[2] もっと深く掘り下げて探すと、結果に対して執着するのはやはり、師父と大法を堅く信じていないからです。また、私は協調をする時、自分が抱えるプレッシャーを皆に分担させたくて、自分ひとりで大きなプレッシャーに耐えたくありません。そのため、同修が分担してくれない時、私はすごく悩みました。その執着が見つかった時、一瞬、あの嫌なプレッシャーも軽くなったと感じました。
先週の金曜日に私たちは隣の市の市庁舎で、真善忍国際美術展を催しました。美術展で私はある夫婦と出会い、私は彼らに真相を伝え、自分がどのように大法の修煉に入ったかも教えて、彼らはとても感動していました。今週の火曜日に、私たちは同市庁舎で「フリーチャイナ」の映写会をもう一回行いました。ある夫婦は映画に心を打たれて、彼らが知っている教会にぜひ紹介したいと言っていました。彼らとどこかで会ったような気がしたのですが、先週末の美術展で出会ったことを最後にやっと思い出しました。これは師父からの励ましでしょう。自我を放下して、結果について執着しなくなる時、物事は予想外の展開が起きるでしょう。
「大切なことは執着心、常人としての心があると気づいたら、どのように取り除くかが最も大切です。もし何か問題が現れた時にそれを取り除くことができれば、その時に行ったことが最も良く、最も神聖なのです。」[3](『ニュージーランド法会での説法』)
以上は私は「フリーチャイナ」を宣伝する中での修煉体験です。不足なところは皆さんのご叱正をお願いします。
(完)
(2012年米国中部法会の発表原稿)
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法』二〇〇四年復活祭ニューヨーク法会での説法」
[2] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「何のために見えないのか」
[3] 李洪志師父の経文:『ニュージーランド法会での説法』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/11/2/136124.html)