【慶祝5.13】仕事における実話
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文/華北地域 雪蓮

 【明慧日本2014年6月4日】1994年6月、私は幸運にも李洪志師父の講習会に参加しました。毎日2時間以上の講義で、会場には警備や管理者もいませんでした。師父の講義が始まると、会場はしんと静まり返り、5千人以上の体育館には穏やかなエネルギーが充満していました。毎回講義が終わっても、私はまだ聞きたくて、その場を離れようとせず、喜びと幸福感が込み上げて、その気持ちは言葉で表現できないものでした。その時、心には悩みや心配することすべてが無くなり、世の中の何もかもが分かったような気がして、生命の真の意味を完全に悟り切れた気分でした。それから、私の人生の新たな一ページが開かれました。

 毎朝、団地の煉功に行って、集団煉功をしました。和気あいあいの雰囲気、美しい音楽。煉功をした後、体は軽く、頭が冴え、朝食を摂ってから、子供を学校に送り、出勤して、一日中元気いっぱいでした。夜、時間があれば、何人かの同修が集まり、順番に法輪功の著作を通読して、お互いにトラブルに遭ったらどう対応すればいいかを切磋琢磨して、内に向けて探した体験を話し、今の言葉で言えば、お互いに正のエネルギーを交流し、心はますます純粋になりました。

 生活と仕事は表面上では、それほど変化が見られませんでしたが、心の底は快くて、善良で、思いやりのある気持ちでいっぱいでした。万事は法輪功が提唱している真・善・忍の原則に従い、それによって、生きる希望と喜びを味わい、子供の頃に戻ったように楽しくて、純粋な気持ちでした。今まで自分のために何とかしようとするプレッシャーから解放され、毎日他人のことを考えながら、損得勘定をすることもしなくなりました。法輪功修煉者としては、どこにいても良い人、さらに良い人にならなくてはならず、何事も他人を優先に考え、トラブルに会えば、まず自分の不足を探しました。

 また、自分の利益と関わる場合でも、自然に任せて、自分のものならなくならないし、他人のものなら争っても手に入らないとの考え方で対処しました。仕事は社会に奉仕するためで、力の及ぶ限り努力して、指導者の立場にいる人は責任を持って、何事も公正に処置し、従業員の立場にいる人は与えられた仕事をしっかりこなす等々、人生観と世界観が根本的に変わりました。

 私は修煉してすでに20年になり、心身共に多すぎるほど恩恵を受けました。浩瀚たる師の恩に対して、報いきれることはありません。5.13の法輪大法デーを機に、私は修煉後の仕事の中で起きたいくつかの実話を書き出し、一つの角度から大法修煉者の真の姿をお見せし、世間の人に事実を正確に理解してもらい、中国共産党のメディアが飛ばしたデマを暴き、虚言に毒害された世間の人の目を覚まさせ、自分に明るい未来を選択してもらいたいと思っています。

 家を譲る

 1998年頃、勤め先は業界内の他の部門と吸収合併するため、最後の家の配分を行いました。しかし、争いはとても激しいものでした。担当者に贈り物をする人、裏取引をする人、刃物を持って幹部を脅す人もいました。中堅技術者として、私は配分優先順位の上位にランキングされました。当時、私が住んでいた家は古いものでしたが、広さがありました。私は家族と相談して、新しい家の配分を辞退しようとしました。幹部は私と個別に話をして、「これは最後の家を配分するチャンスで、あなたは慎重に考えるべきだ」と言いました。私は「修煉をしている以上、万事は大法に従うべきで、何事も他人を優先に考えなければならず、その上、古い建物でも誰かが住まなければなりません。私は古い建物に住んでいても、まったく不便を感じていません」と言いました。

 翌年の1999年7月になりました。江沢民と中国共産党当局はお互いに利用して法輪功を迫害しました。私は迫害の「重点対象」とされたため、辞職して職場を離れざるを得ませんでした。当時、私が住んでいた古い家はすでにお金を支払いましたが、不動産の証明はまだ入手しておらず、財産権はまだ職場の物となっていました。古い家だったので、注目されないこともあって、私に同情する幹部が私を代弁してくれため、会社は不動産の手続きをして、家を私に売却してくれました。普通、職場を離れる職員は、規定により、元の職場の持ち家を返却しなければならないのですが、多くの同僚は「やはり良い人には良い報いがある」と陰で言いました。

 家を譲ることに関してはもう一つのエピソードがありました。2007年、私は同業者の会食に参加して、昔の同僚に会いました。私は法輪功を学んでいるため、迫害により何度も命を落とす危険があったと聞いて、皆はとても悲しんでいました。その中の一人は、私の手を取って涙を流しながら、「良い人だ、良い人だよ」と言いました。その後、彼は地方から当時の職場に転職した時、お子さんが2人もいて、私が家を譲らなければ、彼は住む所がなかったと聞きました。

 社長からの最初の奨励

 1999年7.20以後、「610弁公室」の人はいつも私の勤め先の幹部に圧力をかけて来るため、私は元の国営企業を離れ、自分で活路を求めることにしました。ある個人経営の社長は私が法輪功修煉者であること、また仕事も真面目で、能力があることを知り、何度も人を頼んで、私をスカウトして来ました。その後、私はその会社に就職し、購買部門に配属されました。

 私はまず購買ルートをきちんと整理して、購入量の大きい商品に関しては、入札で供給者を決める計画を立てました。社長は私の考えを支持して、私を責任者に指定しました。南方のある会社の社長は車で入札の参加に来た時、一箱の冷凍エビを積んできました。そのエビはとても大きくて、またプレゼント用にさらに、10箱に小分けをしていました。どうしても収めてほしいと言われました。私は自分が法輪功の修煉者なので、お土産をお断りすると言いました。私は「わが社の入札募集は規定通りに行い、いかなるその他の要素もなく、御社に実力がありさえすれば、必ず落札する機会がある」と説明しました。この社長はあまり信用していない様子でした。私は彼の長年のわが社に対する支持と協力に対して感謝の意を表わし、それから入札要項を詳しく説明しました。私は彼に、「私達と仕事するにはその他の費用は何もかかりません。私たちは現場に視察に行っても、食事の接待をお断りします。入札価格を下げ、品質をしっかりと行ってください」と言いました。彼は私の誠意を感じ取り、心配がなくなり、全力で入札の準備作業に投入しました。

 入札募集の仕事はとても成功を収めました。私は正式に副社長に任命され、その中の一つの重要な仕事は、適格な仕入先を選定することでした。つまりすべての購入先の選定は私が責任を持ち、私は購買部門の総責任者になりました。

 年20万元のリベートを断る

 当時、わが社は一つの商材を多く使用して、しかも長期的に調達しなければならず、ずっと輸入材を使っていました。コストを下げるため、私は国産のものに変更したいと考えました。テストや、少量の試用を経て、国産の材料は大量に使用が可能だという結論に至りました。当時、国内では生産メーカーは数社しかなく、入札することができませんでした。ある企業は人を通して私に頼んで来て、価格は輸入品より格安で、しかも品質も安定しており、購入量で概算すれば、私に毎年20万元のリベートを出すから、彼らの商品を採用してほしいと言いました。私は明確に彼らに、「品質を保証する前提で、価格を最大限に下げてください。私は法輪功の修煉者で、リベートをもらうはずがありません」と言いました。相当後になりましたが、社長はその話を知って、私のことを大変称賛して、年末に私に特殊貢献賞を授与してくれました。

 この個人経営の会社は規模の拡大にはマネージメントが追いつかない状況となりました。もっと「側近」にマネージメントに参加してほしい、社長は私の言動を通して、法輪功修煉者が信頼できると判断し、もっと多くの法輪功修煉者に会社に来てほしいと私に言いました。一時、わが社の三つの主要部門の責任者は全て法輪功修煉者になりました。毎回、敏感日になると、社長は手を尽くして彼の公安部門の友人に頼んで、わが社の法輪功修煉者が迫害されないように守ってくれました。

 購買を管理する部門の担当者は普通3年で交代します。毎年人を変えるところもあります。それは、上司が担当者を信用していない事と、もう一つは前払金が多くて、供給側が信任しないためです。しかし、私はこの会社ですでに8年間働いて、ずっと購買担当をしていました。その後、私は大法修煉を堅持するため、中国共産党による不法労働教養の迫害を受け、会社を離れざるを得なくなりました。同僚たちは、私が離れた後、またもとの購買ルートを維持していましたが、しかし市場での小規模仕入れだけで、毎年少なくとも50万の損害を被っていると噂していました。

 幹部が救援し、従業員が募金をする

 私は不法に労働教養を科されてから、会社の副社長は知人に頼んで私を見舞いに来て、保釈金を払って私を釈放させようという考えを提示しました。私は断りました。「私は会社に入った時、社長と口で約束があっても、労働契約を結んでおらず、何が起きても、会社と関係ありません。絶対お金を払わないでください。法輪功を修煉するのは合法的なもので、法輪功修煉者を迫害するほうが真の犯罪です。私は絶対会社に迷惑をかけません」と言いました。

 家に帰った後で知りましたが、会社はいろいろな方法で私を救援しようとしましたが、いずれも失敗に終わったそうです。なぜなら、当局は「保証」を書かないと、釈放しないと言いました。一方、会社は私のような人柄をよく分かっており、絶対本心に反して、邪悪に妥協して、何か保証を書くことはしませんでした。

 私は労働教養を科された期間、会社の従業員は自発的に2度も私のために募金をしてくれました。数年前の迫害が極めて酷い環境の中、堂々と迫害された法輪功修煉者の募金を集めることはとても貴いものでした。まさに民意は騙されないという証です。

 新会社、最初の仕事で8万元を節約

 不法な労働教養から帰って来た私は、迫害されて息絶え絶えになり、すぐには仕事に復帰できませんでした。会社の副社長は1万元の見舞金を送ってくれました。私は煉功に努め、体力が早く回復しました。しかし、元の会社では人事が大きく調整され、私の居場所はすでに無くなりました。副社長の紹介で、私は別の会社に行くことになりました。新会社のトップは法輪功修煉者が欲もなく、とても信頼できると知っており、初日から私を資材購入部に配属しました。

 一回目の仕入れは部品の予備でした。納期は比較的余裕があったため、私は情報を収集して、同じ商材の市場調査をして、厳選した数社と情報を交換し、商談をしました。最初の注文は会社のいままでの価格と比較して、8万元を節約しました。その上、商品は予定通り納入され、品質も良かったのです。

 会社のトップは私に奨励金を出すと言いました。私は「供給側の動きを常に注視して管理し、コストダウンに努めるのは仕入担当の本来の仕事です。奨励する必要はありません」と言いました。トップは私を購買部門の総責任者に任命して、さらに私に2000元の給料をアップしてくれました。

 私はまた一連の購買管理制度を改善して、法務審査によって最終確認を行い、私の助手がその実行を厳しく監督するようにさせました。

 私は新しい会社で3年余り仕事をしました。毎年購買コストを5~10%下げる目標を達成し、しかも納期は厳守して、品質も合格基準に達していました。今の中国では、三角債務、商品代金の滞納は避けられない中、私が率いるチームは誠心誠意に、供給側と密接に連絡を取り、良好な関係を築き、この2年来訴訟を起こした事はありませんでした。

 祭日や祝日などによくプレゼントを贈る供給者がいました。私はすべてを会社の倉庫に保管するように助手に指示しました。お客さんの接待には社長と同行する場合以外、私は一切参加しませんでした。私はいつもマネージャーや購買部主幹などに、仕事をする前にまず身を処しなければならない、原則が守れて初めて仕事は長く続くと言いました。また、「購買の仕事は嫌疑を避ける事が大事で、地方の顧客が来たら、食事をする場合でも、必ず2人で同行して、簡単な食事を取り、浪費をしてはいけない」、「取引先には根気良く付き合い、平等に情報交換をして、市況を多く把握すれば、会社により多くの利益をもたらすことが出来る」と言いました。

 迫害は民衆から支持を得られない

 私は新しい会社に就職して間もなく、会社に2人の人がやって来て、市役所のものだと自称して、会社の社長に会いたいと言いました。受付の人は社長が出張中でいないと伝えましたが、その2人は面白くなさそうに帰って行きました。翌年、この2人はまた来て、また市役所のものだと言いました。受付の人は身分証明証の提示を求めましたが、2人は様子ありげで、提示しませんでした。会社は110番に通報して、警官がやって来たら、この2人はやっと身分証明証を取り出しましたが、国家安全局のものでした。

 その後、私は社長に、国家安全局が2度も妨害に来て、圧力を感じませんかと聞きました。社長は「あなたはここでしっかり働いています。退社後に、あなたが何をしても、会社と関係ありません。国家安全局を相手にしなくて結構です」と言いました。

 昨年のある日、大勢の警官が我が家にやって来て、私を派出所まで連行しました。私は警官に法輪功迫害の真相を話し、そして彼らに「迫害は法律の根拠がなく、すぐに清算されるに違いありません。王立軍、薄煕来は法輪功を迫害してすでに悪の報いに遭い、刑罰を下されました。あなた達はもう迫害に加担しないでください」と言いました。

 彼らはみんな法輪功修煉者がよい人だと認め、法輪功の病気治療と健康維持の効果も認めましたが、ただ、「天は中共を絶滅し、三退で平安を守ること」は共産党に反対していると考えているようでした。私は落ち着いて彼らに「一人の人は伝染病にかかって、死にそうになっていて、医者はこの患者に近づいたら、命を失う危険性が分かっていても、全力を尽くして他人にこの患者から離れて、命を守るようにと伝えるでしょう。歴史から見ても、どの王朝も永遠に続くものはありません。中国共産党はすでに末路をたどっています。早く退いて、副葬品にならないようにしてください、真相を伝えて、三退を勧めるのは他人のためです」と言いました。真相が分かった警官は上司に根回しをして、その夜、私を家に送り帰って来ました。

 私が連行された時、家族は警官らの恐ろしい様子を見て、私はしばらく帰って来られないと思って、会社の社長に電話して、私が連行されたことを伝え、休暇を取りたいと頼みました。社長は救援に人を送る必要があるかどうかと聞いたら、家族はしばらく様子を見てからにすると答えたそうです。私は家に帰って、翌日出勤したら、同僚はみんなとても心配して、何をどうすればいいかと聞きました。また、絶対にあなたを会社から連行させないと言いました。社長も私が普通に出社してきたのを見て、とても嬉しくて、何も聞きませんでした。社長は心の中で、法輪功修煉者は一番信頼できると思っているようです。

 今年、会社の本部も私たちの購買の仕事を気に入ってくれて、本部の一部の購買の仕事を私たちに任せたいと考えているそうです。これは私たちの購買の仕事に対する理解と承認です。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/5/18/291434.html)
 
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