文/イスラエルの大法弟子
【明慧日本2018年10月6日】私は今年21歳です、大法を修煉してから3年経ちました。2年前、私は初めてニューヨーク法会に参加しました。ニューヨークに着いた翌日、街全体がある種の強大なエネルギーに包まれているように感じ、このエネルギーは私にとても大きな影響を及ぼしました。私はまるで不思議な物質の中で漂っているかのようで、いまだかつて感じたことのない穏やかで静かな心地でした。そして、はっきりと自分の思考がこのエネルギーに抑制され、穏やかで静かな感覚にとって代られたと実感しました。
ニューヨークに滞在中、私は有意義な素晴らしい体験をしました。私にとってこの特別な体験を皆さんと分かち合いたいと思います。
私はほとんど毎晩、中国大使館前の広場に行き、迫害で亡くなった同修を追悼し、中国共産党による法輪功修煉者への迫害停止を同修と共に呼びかけました。毎晩、数多くの国々からの修煉者が広場で煉功し、発正念をします。この活動は数日間続きました。
大使館前の広場は非常に寒く、それは水域に隣接しているからだと思いました。ある晩、私は広場に行く予定をしていなかったので、防寒装備が不十分でした。しかし、ある事情でその広場に行き、何も考えずに発正念をしていた同修の列に加わりました。
追悼式の前半が経過した頃、天気が変わり非常に寒く感じましたが、同修達と煉功、発正念を続けました。しばらくして、寒さが私を妨害し始め、そのため、入静して煉功し、集中して正念を発することが出来なくなりつつあることに気づきました。
ある瞬間、私は非常に寒く感じ、もう1秒も続けることが出来ないほどでした。できるだけ早く暖かい場所へ逃げたかったのです。目を開けると、周囲の同修達が静かに正念を発しているのが見えました。彼らは極めて強大な力で正念を発しているようです! まるでダイアモンドのようです! その時、私はこのような印象を受けました。「同修達はこの空間の物質、『寒さ』に全く影響されない物質、『寒さ』と同じ次元にいないようです」。この印象は非常に強く感じました。
追悼式の終了時刻を把握していなかったため、「寒さと追悼式はまだ長時間続くようだ」と思い、私は煉功を中止して立ち上がり、暖かい場所へ移りました。数分後、追悼式が終わりました。
その時、私はとても失望したのを覚えています。一つの理由は、本当は移動したくなかったことであり、もう一つは、自分が立ち上がってから僅か数分後に式が終了したことでした。
もちろん、この経験は私に一つの貴重なものを与えてくれました! 私は自分の周囲に表れた非常に強大な信奉に対する強い正念、決意、奉献を目にしたことに気づきました。それはあまりにも強く、修煉者を更に高い次元に向上させると同時に、信念を一層強くさせるのです。
師父はおっしゃいました「現代科学は、時間には場があり、時間場の範囲に入らなければ、時間の制約を受けないと考えています。他の空間の時空概念はわれわれのとは違うのに、どうやって他の空間の物質を制約できますか? まったく役に立ちません。考えてみてください。その時になれば、あなたはもう五行の中にいないのではありませんか?」[1]
その時、自分が悟ったことはある種、有意義なものだと気づきました。それ以来、修煉の過程で多くのことを悟ることができました。例えば、師父の経文を読もうとすると、突然、倦怠感に襲われ、もう中止したいと思うようになります。そんな時、私は常にあの追悼式で見た同修達のことを思い出し、すると、すぐに平静を取り戻し、何の苦もなく経文を学び続けることができます。またこの思い出は、寒さや他の困難などを克服する手助けになっています。
師父は「具合が悪いと感じるのは、常に病気にかかるのを恐れているせいです」[1]とおっしゃいました。実際に、あの時、広場にいた同修達の行いは師父のこの言葉を実証したのです。同修達の強固な信念は寒さに影響されず、寒さを恐れる心に妨害されることはあり得ません。
この貴重な贈り物、私の記憶に刻み込まれたこの場面はずっと私と共にあり、自分自身の正念を更に強固にし、また師父と大法に対する揺ぎない信念を保持することにおいても、限りないインスピレーションを与えてくれました。私が啓発されたこの体験が、同修の皆さんのご参考になれば幸いです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』