【明慧日本2018年10月19日】長きわたり人生の路を探し続け、30代に別れを告げて40歳になろうとした時、私はついに法輪功を見つけました。その時の歓喜と興奮は言葉で語ることはできず、人生において忘れ難い思い出になりました。
師父はおっしゃいました。「多くの人は長年の練功を経てきていますが、練功したことのない人もいます。ところが彼の一生の中に真理や、人生の真諦に対する追求があり、思索があります。そんな人はいったんわれわれの法を学んだら、法輪大法を人生の中で知りたくても答えが得られなかったたくさんの問題がたちどころに分かるようになります。思想の昇華に伴って彼は非常に感激することになります。これは間違いのないところです。真に修煉する人は、大法の重みを知っているので、それを大切にすることが分かるに違いありません」[1]
私は常に力の異なる現れのほかの形式に感嘆していましたが、しかし大法を読んだ時の威力とは比べ物になりません。阻止できない一種の力は私の思想を根本から変えました。あのように慈悲で、私を感動させた大法に涙が出ました。私は知っていました、私の生活はここから変わったのです。
はじめて『轉法輪』を読んでから、私は多くの良くない習慣を取り除き、ネットの色情に関するものを見なくなり、パソコンに保存したゲームソフトを削除し、汚い言葉を話さなくなり、酒を戒め、学法を妨害されないように本棚を整理しました。
職場は第二の家庭
以前、私の仕事はほんとうに私に適しているだろうか、仕事を変えた方がよいのではと、自分の仕事に懐疑を抱いていました。私は十分な報酬をもらっていないと感じ、自分の夢を追いかけて仕事をしている人たちを羨ましがっていました。そこで私はますます疲れ果てる症状が現れました。修煉を始めて学法を通して分かったことは、この職場は私がいるべき場所で、ここの人たちとは深い縁があると感じました。毎日彼らを助けすることは、私にとって大したことでなくても、彼らは大いに助かることになります。
身近な人たちが私に不満をもち、時に緊張を引き起こすのは、私の欠点を気付かせるためであり、自己を実証しようとする誤った考えを改めさせようとしています。ですから、私はこれらの欠点と過ちを認識し、それらのよくない物質を取り除き、自己を昇華させることができるのです。もし私に忍ができ冷静さを保ち、善をもって彼らに接することができれば、彼らは私の業力を減らす機会を提供してくれます。ですから、もしトラブルが発生し、私の業力が取り除かれた時、私たちの関係は何もトラブルが発生していなかったようになります。一定の期間が過ぎたあと、再び新たな業力の状態が現れ、私たちが生生世世にどれだけの生命を傷つけたのか? 誰も分かっていません。
我が社の社長の考え方は私とはまるっきり異なり、彼は問題自身の角度から、障碍を探し出し、如何なる形式の変化と新たな物事の発生も避けていました。それに比べて、私はこれらの任務の中で解決方法と機会を見つけ、情況に対する完全な判断をしていない情況下で、すでに問題の中に投じていました。私たちは性格が異なるため、多くのことで対立し、そのため多くの言い争いが生じ、2人の関係は緊張した状態になってしまいました。法理を深く理解するにつれ、自分の欠点が暴露され、異なる性格はお互いに補い合うことができると分かり、彼の優れて点は私の弱点を正すことができるので、私たちは前進して、永遠に争いの中に陥らないようにすることです。私は徐々に彼を評価し、社長との協力関係を改善することができました。
2017年、当社はグループ会社を含めて新たな組み替えが行われ、とても辛い時期を過ごし、この組み換えは仕事量を増やし、圧力と落とし穴になりました。時に私たちの精神にかかる圧力はほんとうに大きく、問題が山積みになりました。私は師父の法理を思い出し、一歩下がって、自分は多くのことにおいて修煉者の要求に基づいて行なっていないことを認識した時、状態はすぐよくなり、緊張もほぐれました。私は常人の観念で物事を見ていたので、見た時はとても重要なように見えましたが、実は大した問題ではなかったのです。私はいつも自分の理念を固持していたため、問題の多さに恐怖を感じていました。そのため一度立ち止まり、自分の理念に固執しないようにしました。結果として、予想以上に仕事を完成させ、年末の終了式で上層部から、私たちが行なった仕事を称賛されました。のちに役員たちは私たちに会い感謝しました。社長は私にとても感謝しているといい、私がいなければ仕事はこんなにできなかったといいました。
事務所で宗教の問題を議論することは望ましくなく、このような雰囲気の中で、私は同僚に大法を紹介する方法を見つけていません。しかし宗教の自由があり、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」というポスターを掛けることは許されています。仕事上多くの同僚が私を訪ねますので、私はこのような方式で彼らに法輪大法の存在に気付いてもらうようにしました。私は必ず障碍を突破しなければならず、すべての機会を利用して真相を伝えなければなりません。
家族の変化
大法に出会った喜びを経て、最初の頃は家族とのバランスがうまく取れていなかったため、家族の雰囲気に影響しましたが、最終的にバランスが取れる落とし所を見つけることができました。私たちの生活が安定し、睦まじくなり、以前の緊張した雰囲気も解消されました。妻と娘は私の修煉を支持するようになり、法輪大法の素晴らしさを知り、迫害に反対しています。私は早朝と夜に煉功をするように按排しました。こうすれば彼らと一緒にいる時間を修煉に使うことなく、しかも静かな環境の下で学法や煉功をすることができます。
真善忍の原則は彼らの生活の中に反映されています。例えば、以前から絨毯を換えようと計画し、安価なものにしようと決めました。この前私たちは家具店で予算に合う絨毯を見つけて購入しました。代金を支払う時、言われた金額があまりにも少なかったので、これは間違いだと気づき、値札を確認しょうとしましたが、絨毯に値札がついていませんでした。値段が違うのではないかと店員に言うと、店員はすべてのバーコードをスキャンして、そんなはずはないと言いました。私は彼女と一緒に絨毯についているバーコードをチェックすると、そのバーコードは値段に関係のないものであることが分かり、この絨毯の値札を探し出しました。この時に私はジョークをいい、私は割り引いている絨毯を購入したいのですが、こんな安いものを買おうと考えていませんというと、彼女はとても感動し、レジで並んでいた買い物客もこのことを見ていましたので、私たちのような人がいることを考えもしなかったことでしょう。修煉者として、このようにすることは当然であり、妻も私と同じように行なったことに対して、とても嬉しく思いました。
この前、娘は学校で宗教に対する小規模な講演をする機会を与えられたといって、私に手伝ってほしいといいました。娘は法輪功についての講演を申請したというのです。このことを聞いて、もちろん私は嬉しく思いました。なぜならそれは娘の心の現れだからです。このほか私が真相を伝えるよい機会になるからです。法輪大法は宗教ではなく、宗教の儀式もありませんが、人々に宗教だと見られても、私は問題がないと思いました。
私は欧州天国楽団のパレードによく参加して資料を配り、横断幕を掲げますが、これは確かによい経験になりました。今日まで私には真相伝えが足りていません。これは私の法輪功に対する理解に関係しています。今後の時間において、個人の修煉を強化するとともに、努力して多くの人々と接触し、彼らに真相を伝えます。なぜならば法輪大法はほんとうに素晴らしく、人々と社会に限りない福音をもたらしているからです。
師父に感謝いたします、同修に感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』