明慧法会|危機を無事に脱した経験
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年4月3日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1998年に法輪大法を学び始めました。今日お話しするのは、17年前に警官に捕まった時に危険な目に遭った時の話で、危機にさらされた時に師父が私を保護してくださったことの体験談です。

 2001年11月中旬、江沢民集団の追跡から逃れるために、私と同修の娟さんは路頭に迷うことになり、娟さんのいとこの家にやって来ました。娟さんのいとこの家は遠い辺境の地にあり、町からさらに遠く離れていました。娟さんのいとこの近隣の家では、妻はキャバレーでアルバイトしており、夫は保証人を立て一時出所し入院しているという、過ちを犯した殺人犯でした。

 娟さんのいとこのAさんの家の経済状態は悪く、部屋が2間だけの古くて粗末な家で、家の中には大きな二つのタンスと鉄製のベッド以外は、2年間火を入れたことのない小さなオンドルがあるだけでした。いとこのAさんは地方でアルバイトをしており、家の中ではいとこのAさんが連れている14歳の娘が暮らしているだけでした。

 いとこのAさんは良い人で、法輪大法がすばらしいことを信じており、私と娟さんを住まわせてくれました。私と娟さんが住み始めてから、この2年間火を入れていなかったオンドルに火が入り、小さな家の中は毎日暖かさと和やかさに満ちあふれていました。私と娟さんは毎日学法し、煉功して正念を発し、いとこのAさんの家に来た友人や隣人達に法輪功迫害の真相を聞かせると、皆とても聞きたがりました。特にいとこのAさんの近隣の家の妻は、大法の真相を知ってからの変化が大きく、長い間悪い習慣に染まっていた顔が、段々とよくなりました。

 娟さんの母親は同修です。2002年の元旦が来る前に私たちに会いに来ました。真相が書かれた横断幕を持って来て、元旦の期間中にかけておくように私たちに言いましたが、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)と警官らがすでにここに来たことは私たちに言いませんでした。元旦の前日に横断幕をかけ終わり、私と娟さんはそこを離れることにしました。

 元旦当日の夜、私と娟さんは順調に20枚以上の横断幕を掛けに出かけました。次の日、いとこのAさんと隣人が結婚式に参加し、私と娟さんはすぐに物をかたずけ終わり、地方の同修の家に行く準備をしました。

 冬の町は格別に寒く、私と娟さんがバス停に着いた時、昨夜掛けた横断幕が風に吹かれて地面に落ちているのが見えたので、私たちは横断幕を拾って掛け直しました。横断幕を変圧器に掛けた際に、変圧器から音が鳴りだし、近所の人がそれに気づき私たちを通報しました。警官がオートバイに乗って私たちの所にやって来て、オートバイを降りると片手で娟さんの服をつかみ、もう片方の手で私の服を掴みました。振り返るとすぐに警察署へ行って「三宝子」という人物に会って、パトカーで来るようにと別の警官に伝えていました。

 私は恐れを抱かずに頭をあげて警官を直視しながら、正念を発し始め、娟さんは警官に真相を伝えました。正念の作用が働き、警官らは私たちを見ようとしませんでした。すると「手を緩めなさい!」というはっきりとした言葉が聞こえてきました。その声がまだ消えないうちに、必死に私たちを掴んでいた警官の手は感覚を失ったかのように、その瞬間に下に垂れ下がりました。その瞬間、私と娟さんはすぐに前方に向かって走り、警官らもあとを追いかけて来ました。

 前方には1本の道しかなく、私が見る限りもしこのまま進んで行き、パトカーが来たりしたら、私たち2人は誰も逃げられないので、娟さんに前方に走り逃げるよう伝え、私は身をひるがえして戻って行きました。警官らは慌て、どちらを追いかければいいのかわからず、最終的に娟さんを無視し、すぐに私を追いかけて来ました。私は急いで住宅のある地域に逃げ込み、大胆にもある宅地の庭に逃げ込み、走りながら考えました。家の中に入って本当のことを話し「私は法輪功を修煉して警察に追われています。この家に隠れさせてください」とこの家の家族の人に伝えようと思いました。そうです、簡単に警官に捕まるわけにはいきません。今はこのようにするしかなく、師父にお任せしようと思いました。その結果、師父がこのようにお決めになったのです。

 私がこの家の玄関まで来た時、鍵がかかっているのがわかりましたが、よく見てみると、錠前が玄関にかかったままでした。この家の人は鍵をかけ忘れたようで、ほとんど何も考えずに、錠前を外して家に入り、中から鍵を差しました。私は急いで西側の建物へ行き、懐に持っていた『轉法輪』を隠そうと思いました。それは大法書籍に損害を与えたくなかったからです。もしここの家族に縁があれば、この『轉法輪』を読んでもらい、もしかしたら修煉を始めるかもしれません。しかし私が扉を開けて建物に入った時、すぐに驚いて毛が逆立ちしそうになりました。家の中では十数匹の大型犬が虎視眈々と私をにらみ、口からは絶えずウーウーと威嚇のうなり声が発せられていました。

 私はすぐに冷静になり「私は大法弟子で、師父が守ってくださるので大丈夫だ」と思いました。そこで犬たちを指さして「こら、噛んだらだめよ、私は大法弟子だからね!」と言いました。私の言葉を聞くと、犬たちは本当にその場所から動かなくなりました。私はすぐに懐から『轉法輪』を取り出し、建物の隅の麻袋の上に置き、それから麻袋で本を覆いました。

 本を隠し終え、真ん中の部屋に戻り、心はとても落ち着きました。正念を加持して、娟さんが悪人に捕まらないように、と師父にお願いしました。すべてを師父にお任せし、すべては師父のおっしゃる通りになるはずだと思いました。この時、自分が覆いの上にいるかのように感じ、覆いの中は和やかな光で満ちていました。私の頭はこの光に抑制されているかのように、恐れたり驚いたりしませんでした。さらに少し眠気がありました。40分間その場でじっとして何も動きがなかったら、状況を見てここを出て行こうと決めました。このように考えて、私はこの家の妻がいつも着る古い仕事着を着て、置いてあった大きな帽子をかぶりました。するとさっき通りで私を追いかけていた警官らがやって来ました。前方を見ると、パトカーの所で赤い腕章をつけた2人があたりをキョロキョロ見回していました。氷点下30度の極寒の冬の日に、誰があんな所にずっと立っていられるでしょうか? 警察が雇った人であることは明らかでした。私は再び家の中に戻り、さらに30分以上を過ごしていると、突然、頭の中がはっきりして、すぐにこの場所を離れるアイデアが浮かびました。ここを離れなければいけない、と師父が悟らせてくださったのに違いない、と思いました。

 私は再び古い服を着て帽子をかぶり、「タダで人の家の物を持っていくわけにはいかない」と考え、膝の長さまである新しいダウンジャケットをこの家の妻のために残し、私が着ているこの古い仕事着と交換しました。後で聞いたところによると、この家の家族は私の服を警察署へ送ったということでした。私は西側の建物へ行き『轉法輪』を懐に入れ、後ろの出入り口から出て行きました。それから瓦のかけらで入り口が開かないようにして、たきぎの山をよじ登って塀を乗り越えて逃げました。

 私はいとこのAさんの家に戻って、今日起きたことを伝える準備をし、娟さんが正念で逃げおおせたかどうかも知りたいと思いました。私が大通りに沿って歩いていた時、私を捕まえた警官が自転車に乗って私のそばを通って行ったので、「娟さんはきっと無事に逃げおおせただろう」と心の中で感じました。

 娟さんのいとこの家は村から優に4、5キロは離れており、その間はずっと空き地です。氷点下30度の極寒の上に風が強くて、凍えている私は顔と首の感覚がすぐになくなってしまいました。心が不穏になり、空き地の真ん中を歩いていると、突然目の前に、警官が現れたような気がしました。考えが乱れ、あれこれとつまらぬことをむやみに考え始め、「警官が何か聞いてきたらどう答えようか」と考えていました。前に向かって歩き続けて考えているうちに、「私は大法弟子で、宇宙の中で最も正しいことをしており、誰も私を迫害しない!」という正念が湧いてきました。私の手が無意識に懐の中の『轉法輪』に触れると、「師父がそばで守ってくださっている」と私の正念はさらに強くなりました。すると恐れがすぐになくなり、目の前がパッと明るくなり、一層分の何かが破りとられたように感じました。さっき見えた警官を再び見てみると、なんと牛の顔でした。本当に「相は心から生じる」(訳注:外見は心が決める)でした! 私は心が段々と落ち着いてきました。

 もうすぐ娟さんのいとこの家に着く頃になって、先にいとこのAさんの家の隣家へ行ました。「この家の夫は朝から結婚式に参加し、妻は実家に帰って数日が経ち、カギはかかっているはずだけど、彼らはもう戻って来たのかしら?」と思いました。隣家に着くと私の目は輝きました。というのも、錠前は玄関にかかっているだけで、鍵がかかっていなかったからです。一陣の熱い流れが全身にくまなく流れ、「師父が弟子のために鍵を開けてくださったのだ」と涙が流れました。以前、この家の玄関には鍵がかかっているはずだと連想しましたが、実際は師父が開けてくださっており、でなければ、家を出るときに誰がカギを掛けずに出かけるでしょうか。なんて偶然なのでしょうか。他人の家の鍵がかかっていなかったのが、これで2回目だなんて? 災いが転じて福となったのでしょうか? 明らかに師父が助けて下さったに違いありません。

 その家に入って1時間くらいすると、全身が温まってきたところに、その家の夫と妻が帰って来ました。私が家の中にいるのを見て、2人はいぶかしく思い「どうやって入ったのですか?」と尋ねました。事の経過を説明すると、2人も非常に不思議に思いました。その家の夫と妻は大法の真相を理解し、私のことも理解してくれました。それから娟さんのいとこの家に行って状況を説明すると、いとこといとこの友人は「今日は法輪功の修煉者が捕まったとは聞いていないし、もしそうだったら、この小さな田舎ではすぐに伝わって来るはずだから」と言いました。娟さんも安全だとわかり、私は安心しました。

 午後3時過ぎ頃に隣家に行き「ここを離れる準備をします」と伝え、「手伝っていただけないでしょうか」と尋ねました。その家の妻はためらわずに「わかりました、安心してください。法輪功を修煉している人はみな良い人達です、必ずあなたを送り届けますよ」、そう言い終わるとすぐに村まで行きました。

 すぐに、その家の妻はマイクロバスを調達して来て、私を車に乗せてから、車に乗って私を町に送り届ける準備をするように夫に呼び掛けました。その家の夫は少し困った様子でした。私はこれ以上、この家の2人に迷惑をかけるわけにはいかないと思いました。さらにましてや、この家の夫はまだ刑期が残っている身で、不安になるのは当然のことです。そこでその家の妻に「送っていただかなくてもいいのです。すでに多くのことをしていただきました。これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはいきません。『法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい!』を覚えておいてください。もし私たちに縁があれば、これからまたお会いできると思います」と伝えました。その家の妻は少し心配そうにマイクロバスの運転手に、「お姉さんは法輪功を修煉しており、今日はお姉さんのことをあなたにお任せします。何か手違いがあったら、私の方で清算します」と言うと、運転手は「わかりました、安心してください。必ずこの方を無事に送り届けます」、そう言い終わると私を乗せて走り出しました。

 途中で運転手はガソリンを入れるために車を降り、私に疑われるのを恐れて、「姉さん、車にガソリンを入れるので、あわてないでください。今日はまだ飯も食ってないんですよ、でもすぐに戻りますから」と言い残して行きました。私は「あなたを信用しています」。ガソリンを入れ終わると、運転手は自分の方から「姉さん、私にはあなた達が悪人には見えません。真相資料を読んでみると、書いてあることはすべて本当のことでした。私のおばも大法を学んでいます」。続けて「今日、警察署が私の車を使って法輪功を修煉している人を捕まえに行きました。最初、彼らは何しに行くのかを私に伝えませんでしたが、もし法輪功を修煉している人を捕まえに行くのだとわかっていたなら、私は行きませんでした」と言われて、娟さんのことを言っているのだとわかり、運転手の話を静かに聞きました。

 法輪功は本当にすごいよ、今日、全員で2人を追いかけるのに、警察署の所長はすでに2人のお姉さんを引っ張ったが、どういうわけか、大の男が2人の女性を引っ張り切れず、署長はその内の1人を追うしかできませんでした。そのあと署長は警察署に戻って来て、部下に「今日は足の具合が悪くて痛み出し、数歩歩いただけで追いかけることが出来なかった」と弁解しました。

 運転手は続けて、警官が追っているお姉さんを連行するために、私の車は駆り出されました。お姉さんが住宅地域の袋小路に入って行くのが見え、塀を飛び越えて、人家の庭に入って行くのが見えました。もう少しで捕まるところでした。その時、もし警官がすぐに下りていたらお姉さんは捕まっていました。しかし署長は逆にぐるっと回ってその庭に入るように指示しました。その家は5人家族で、5人全員が警官に家の中を引っ掻き回され、積み上げてあった焚き木や部屋のタンスもひっくり返されましたが、お姉さんの姿はどこにも見当たらず、とても不思議でした! 最後に警官はどうしようもなくなり、低い塀の上に立って、あなた達の師父の名前を叫びながら「あなたは弟子をどこへ隠してしまったのですか?」と嘆いていましたよ。

 その話を聞いて、私は自信を持ちました。娟さんが確かに無事に危険を脱したことがわかりました。運転手は話し終わってからも「法輪功は不思議すぎる」と独り言を言い続けていました。

 目の前にいるこの善良な運転手を見ながら、私が真相を伝え始めると、運転手はとてもまじめに聞きました。もうすぐ同修の家に着く頃になった時、私は運転手に「大法の書籍を読みたくないですか?」と聞きました。運転手は「とても読みたいが、おばは勝手に大法書籍を私にいじらせない」と言いました。そこで私は懐から『轉法輪』を取り出し「私が今日いなくなってしまった本人です」と運転手に伝えました。運転手は驚きながら私を見て「姉さん、姉さんはすごい、それに姉さん達は皆とても親切です」と言いました。「私がすごいのではなく、師父のご加護があって、はじめて危機を脱することができました。あなたが大法書籍を読みたいのなら、ここに『轉法輪』がありますので、持って行って読んでください。でもこの本を丁寧に扱ってくださいね、これは普通の本ではなく、佛法ですから」と言って、本を渡しました。

 運転手は大きく目を見開いて私を見て、まるで「信じられない」とでも言いたげでした。私は運転手に本を懐にしまうように伝えました。運転手は片手で本を受け取ると、急いで懐にしまいました。そして運転手は感動しながら私に名前と住所、電話番号を伝え、普段はどこに行けば会えるのかを教えました。マイクロバスを降りる前に、私は運転手に「もし読みたくなくなったら、本をおばさんの所に送ってください」と言うと、運転手は素直にうなずきました。

 同修の陳淑さんの家に着くと、私は現在の私と娟さんの状況を話しました。陳淑さんは自分の妹(妹も大法弟子)を通じて部屋が空いている同修を探しました。同修は空き部屋の鍵を私にくれ、ドアを開けるパスワードを教えました。タクシーで空き部屋のある場所まで行き、一つ目の鍵はすんなり開きましたが、二つ目の鍵がどうしても開かず、最初はパスワードが間違っているのかと思いましたが、パスワードが間違っていたら、一つ目の鍵も開かないはずです。そこで私は焦り出し、何度もパスワードを使って鍵を開けようとしましたが、開きませんでした。

 私は師父に助けを求め、というのもはじめて資料拠点に行った時も鍵を開けるパスワードを間違えて覚えており、その時は師父に助けを求めると開きましたが、今回は師父に助けを求めても開きませんでした。すると突然「陳淑さんの家に戻って娟さんを待て、ということではないのか」と悟りました。そう思い立つともう焦らず、再びタクシーで陳淑さんの家に戻り、自信を持って陳淑さんに、ここで娟さんを待とうと思って戻ってきました。娟さんも必ず戻ってきますよ。

 30分ほどが過ぎた時、突然窓の外で足音と話し声が聞こえ、急いで外に出てみると、やはり娟さんで、ちょうど陳淑さんの娘婿と話しているところでした。家に入ると、娟さんは簡単に事の顛末を話し、本当に間一髪で何ごともなかったそうで、皆とても喜びました。私と娟さんが同修の空き部屋に着いた時、私は娟さんに「今回はすぐに鍵は開くはずです」と言うと、やはり二つの鍵はパスワードで開きました。私は「さっきはあなたを迎えに行くようにと、師父が私を悟らせてくださいました」と言うと、娟さんはとても感動し、師父の慈悲深さに感謝を申し上げました!

 部屋に入り、娟さんは危険を脱した一部始終を私に話しました。

 私たちが分かれた後、警官は私を見失うと娟さんを追いました。娟さんは空き地に逃げ込み、ダウンジャケットが分厚く、邪魔だったので、ダウンジャケットを脱ぎ捨て、カシミヤのセーターだけの薄着になり、警官が追いつけないように、走りながら正念を発しました。警官は娟さんと4、5歩の距離にまで迫っていましたが、どうしても娟さんに追いつけませんでした。そして娟さんは警察が雇ったマイクロバスに袋小路まで追われましたが、幸いにも塀があまり高くなく、普段は何をやってもヘタクソな娟さんでしたが、なんと一飛びで塀を飛び越え、そのままある家の土倉の小屋に入り込みました。それをその家の妻に見られたような気がしましたが、その家の妻は声をあげませんでした。その時にやっと、警官らもその家の庭にたどり着きました。

 娟さんは土倉に入った後、麻袋と塀のすきまに隠れ、さらに大きなかごを頭にかぶり、そして「師父、弟子に覆いをかぶせてください。弟子は本当に窮地に追い詰められており、絶対に中国共産党に捕まるわけにはいきません」と師父に助けを求めました。すると他のことを考える間もなく、警官らはすでに土倉に入っており、狂ったように物を動かして捜査を始めました。ところが、娟さんが隠れている大きな麻袋が積み上げられている場所まで探すと動きを止め、何かを見つけたようでした。麻袋の後ろにいる娟さんには警官の吐息さえはっきり聞こえました。娟さんは引き続き心の中で師父にご加持を求めると、警官らはその場所に2分間立ち止まった後、出て行きました。

 娟さんは土倉の中に居て、外で起こっているすべてが非常にはっきりと聞こえました。数人の警官がその家の納屋やたきぎの山、さらには家の中までひっくり返し、さらに他に数件の家屋も捜査し、結局なんら得るところがなく、庭に望みなく立ち尽くして、師父の名前を叫びながら「あなたは弟子をどこへやってしまったのですか?」と師父に尋ねていました。

 警官が立ち去った後、娟さんはその家の妻に土倉に鍵を掛けられてしまい、娟さんはカシミヤのセーターだけの薄着で、背中は氷と霜がびっしりと張った塀のそばで、十分に凍えたまま午後を過ごしました。娟さんは暗くなる時に備えて、脱出方法を考えました。夕食時になり、娟さんはその家の妻が夫に「ちょっと土倉を見てきてよ、土倉の中よ」と言うのが聞こえました。夫は「行きたくない」と言いました。土倉の中の娟さんは「これ以上ここにいるわけにはいかない、脱出方法を考えなければ」と思いました。しかし扉に鍵がかかっていて、どうやって出られるでしょうか? 娟さんが頭をあげると土倉には小さな窓があり、ガラスはなく、ただファイバーボードが釘付けされていました。そこで娟さんはファイバーボードを取り外そうとして、力を入れ過ぎて音が出てしまい、その家の夫に聞かれました。その家の妻が夫に「早く見に行ってよ、土倉の中で物音がしたわよ!」と言うのが聞こえました。

 その時は夫の声は聞こえませんでしたが、突然にその家で飼っている馬の「ブルルル!」という鼻を鳴らす音が聞こえ、夫が妻に「馬だよ、何でもないよ」と言いました。

 娟さんはうまくファイバーボードを取り外して、土倉を飛び出し、そうして娟さんは自分の弟の家にたどり着きました。娟さんの弟はすぐにマイクロバスを手配して、娟さんを陳淑さんの家に送り届けました。

 車の中で、マイクロバスの運転手は娟さんと娟さんの弟にその日に起きたことを話しました。昼間、警察が大至急で運転手の車を雇って、法輪功の女性2人を捕まえようとした事、また、頼まれて1人の法輪功の女性をあるところまで送って行ったことなどを知らせると、娟さんも私が危機を脱したことを知りました。このようにして私と娟さんは師父のご加護の元で、すさまじい勢いの魔難を乗り越えました。

 それからすでに17年が過ぎましたが、この体験を思い出す度に、心は限りない感謝の気持ちで満ちあふれてきます。絶え間ない師父の心の込もったご加護がなければ、弟子は虎の口を無事に脱することができなかったでしょう!

 師父のご恩には報いがたく、弟子はさらに精進して、これからも師を手伝い、法を正す一歩一歩をしっかりと歩んでまいります!!

 弟子は師父に感謝いたします!

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/8/376431.html)
 
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