謝ることを習得する 
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文/ 中国の大法弟子

 【明慧日本2020年5月25日】私は、嬉しいことに1999年に法を得ました。法を得た私の心は喜びでいっぱいでしたが、常に自分は法を得たのが遅かった、もっと早く法を得ていれば、生きていくことも今のように辛くはなかっただろうと悔やみました。法を得てから間もなくして迫害が始まりました。グループ学法の環境がなくなり、問題に遭遇した時、内に向けて探さなければならないことの認識がまだ浅はかだったため、向上が遅かったのです。しかし、ここ一年の間、私は自分の心性の向上に目を向けることを決心しました。大量の学法と発正念を通して自分が法の中で昇華していくことを実感できました。

 私は病院に勤務しており、家でも職場でも私は負けず嫌いで気の強い人間です。明らかに自分が間違えている事でも、心の中では分かっていても認めませんでした。口に出して相手に謝ることが出来ません。私はこれは中国共産党文化であることだと気付き、必ずこの悪い習慣を取り除かなければならないと心の中で決めました。

 ある日、私が病院の消毒室のドアを開けた瞬間、数人の患者が押し入ってきました。その中の一人が消毒エリアに侵入したので、慌てた私は大声で「もうこれ以上入らないで、侵入しないで!」と怒鳴りました。その患者は気まずそうに立ち止まりました。怒鳴り終わらないうちに自分の醜態に気付きました。「ごめんなさい。私の声が少し大きかったようで、きつい言い方をしてしまいました。気にしないで下さい。あなたたちは入院されているだけでも大変なのに、すみませんでした」とその患者に謝りました。患者が「病院で受診してもらっているので、先生の言われることに口答えなんかできませんよ」と言うと場が和みました。私はその患者に消毒エリアは立ち入り禁止であるとの説明をし、さらに「大声を出してしまい、気分を損ねられたことをお詫びします。機嫌を直してもらえればと思い、謝りました」と説明しました。すると、その患者の顔に笑みが浮かび、傍にいた人たちも尊敬の眼差しを私に向けてきました。

 先程の患者たちが去った後、私は「ごめんなさい」という言葉を口にするのは簡単だと思い始め、体中が心地よいと感じました。誰が正しくて誰が間違っているかという事はどうでもいいことです。 

 ある日、退院予定の患者がいましたので、患者の退院手続きの待ち時間を短縮するために先行させました。しかし、その患者の名前を2回呼びましたが本人は現れませんでした。私は、他の仕事にかかり、そのうち、この退院予定の患者の件を忘れてしまいました。すべての仕事を終えた後、道具を全部消毒して帰宅しようとした時に、その患者が母親と一緒に現れました。私は彼らを忘れていたことに気付きました。消毒した道具をもう一度消毒しなければと思うと、直ちに苛立つ気持ちを抑えきれず、顔をこわばらせてしまいました。その若い男性患者が「先生、ごめんなさい。僕のせいなんです。時間を忘れていました」と何度も繰り返して私に謝り、傍にいた母親も私に「遅れてしまいました。ごめんなさい」と謝りました。道具の消毒はとても面倒だという事を説明しました。その親子が去った後、私はやっと我に返り「自分がこの事を忘れたのに、なぜ相手のせいにしたのだろう?」と考えれば考えるほど、それは明らかに自分のミスだと分かって、非常に後悔しました。

 次の日、病室に行ったら、昨日の親子はまだ退院していませんでした。自分が無礼な行動をとってしまった事を挽回する機会が来たと考え、その患者の退院手続きを済ませて、自ら病室に荷物を届けに行きました。あの若い患者は食事中でした。私を見て、慌てて茶碗を置いて、出迎えに来ました。「急ぎませんので、食事が終わったら来てください」と伝えました。食事を終えて、その若い子は私の所に来ました。「あなたは若いけれどしっかり者ですね。昨日は私のミスだったのに、しかもあんな悪い態度をとってしまいましたが、あなたは私に謝ってばかりだったですね。少しも怒らなかったですね。とてもあなたは良い人です」と褒めました。また、彼の職業も尋ねてみました。大学を卒業した後、田舎へ戻り、小学校の教員になるつもりだと答えました。「田舎から都会へ転職したいのですが、コネだと数十万もかかります」と教えてくれました。「あなたのご両親はあなたを大学まで行かせて、大変な苦労をされたはずです。コネで転職したら、ご両親にもっと負担がかかるので、自分の努力で勉強して、もう一度受けてみませんか? 社会の不正な気風に流されずに、自分の実力で勝負して見たらどうですか?」と彼を励ましました。すると彼は「ありがとうございます。僕にもこの考えがあったのですが、自信がありませんでした。今日、先生の話を聞いて自信が持てるようになりました。先生の仰る通りに勉強を頑張ります」と頷きました。「もう少しあなたに教えたい事があります」と私は続けました。私は彼に法輪大法真相や、三退の話をしました。彼は私の話を聞き、三退に賛同して脱退しました。最後に彼は私に「先生は本当に優しい人です。また必ず会いに来ます」と言って、別れを告げました。

 家庭でも私の一存で決めています。夫は表では私に従っていますが、裏では隠れて常軌を逸した行動を取っていることに気付きました。特に夫がマージャンをしていることが発覚しました。夫は自分の稼ぎからは僅かな金額しか生活費に充てていません。さらに、借金をしていました。ここ数年、私に多くの魔難を招いた夫のことを憎み、見下していました。彼がマージャンをすることを恐れている為、彼の遅い時刻の帰宅について、よく喧嘩をしていました。長い間、怨恨を抱き、心性も向上できず、私の身体にも正しくない状態が現われました。自分のこの問題に対して、厳粛に対処しなければならないと思い始めました。すると、自分にたくさんの常人の心を見つけることができました。この中で最も深刻な問題は、自分が内に向けて探さないことです。私は自分を傷つけたことがあるすべての人に対し、恨みを抱いています。自分に存在する問題点が見つかりましたので、その問題点について長時間発正念をして、自分の空間場にある全ての怨念という物質を取り除くことにしました。

 今年の大半を費やして、自分が恨みを抱いていた全ての人に対して、考え直しました。その人たちは間違っていません。その人たちは、私の修煉を手助けする役になっていてくれたのでした。特に夫もその中の一人です。ただ私はそれを認識できませんでした。私は「師父、いままでの全部は私の過ちでした。私を傷つけたすべての人を許します。その人たちはみな大法のために来ているのです。大法の中で帰正されるようお願います」と師父に許しを請いました。きっと、夫も私の修煉のために今のような役を演じているのですから、苦しいはずです。そんな夫の事を不憫に思い始めました。私は必ず大法に則って修煉しなければなりません、旧勢力が私に試練を与える口実で、衆生を大法に罪を犯させるわけにはいきません。発正念をして、自分の空間場にいる邪悪が妨げる要素を取り除いていきたいと考えました。

 しばらくすると、夫が変りました。彼はマージャンを辞めて、お酒を飲みにも出かけなくなりました。ある晩、夫と夕食をしていた時、私は夫に「私達はいつまでも、このように仲睦まじく一緒に居られたらいいと思ってる。昨日、私はあなたに当たり散らすようなことをして悪かったと思ってる。あれは私のせいで、それから、いままでのことも全て私が悪かったのです。許してくれますか?」と尋ねると、夫は頷きながら「いいよ」と答えました。夕飯の後、夫が後片付けをしてくれました。気が付けば、以前、私は掃除を怠っていたアルミ製の鍋や、コンロとその周りの壁が全部、綺麗にピカピカに磨かれてました。黙々と掃除をしている夫を見て「謝ることって、こんなにも大きな影響をもたらすことが出来るのか?」と驚きました。夫のこのような変貌ぶりを、かつては見たことがありませんでした。夫は実家に戻れば、どんな家事でもこなしますが、自分の家に戻ってくると、ソファに横たわって一日中、携帯を弄ったり、本を読んだりして過ごします。家の中のことは全部私に任せっきりだったのです。

 翌朝、夫は朝5時に起床して、床の拭き掃除をしました。6時になると「一緒に市場へ行って、果物と夕飯の食材を買おう、今夜は何が食べたい? 僕が作ってあげるよ」と私を起こしに来ました。彼は変りました、まるで別人のようでした。 

 このことを通じて、心を修めることは如何に重要かが分かりました。以前の私は、家の事を主人に相談することもなく、私の独断で決めていましたが、今は変りました。今では先に夫の意見を聞きます。夫は「奥さんの言う通りにするよ」と言いますが「私はやはりあなたの意見を聞いてみたいのです」と言って、夫に聞きます。男性は物事を考える時、比較的に周到に考えることが出来ると思うからです。家のことは些細な事柄なので、誰が判断しても変わりはありません。負けず嫌いな性格の私は、常に自分を中心に生きてきたので、日々苦しくて辛かったのです。自分中心の世界から抜け出してこそ、はじめて無私無我の境地は真に自由自在だと知りました。

 以前の私は、常に他人の不行き届きに目を光らせ、けちを付けて不満を言いましたが、今は常人でも同修でも関わらず、人の至らないところを見て、自分と照らし合せることが出来るようになりました。そうすることで、自分の執着を見つけることが出来て、修煉も以前より楽になりました。愚痴がだんだん減っていくにつれて、心は増々清浄になりました。修煉者の身に起きた出来事は皆良いことだと思います。他人の為という立場に立って、問題に着目して、内に向けて探せば、すべてが良いことに転じていくのです。自分の心を磨いていれば、無私無我の境地に近づいていき、さらに高い境界に至ることが出来ると思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/3/9/402187.html)
 
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