広東省:廖努力さんが四会刑務所で受けた迫害
(明慧日本) 2004年1月5日、深センの法輪功修煉者・廖努力さんは深セン福田区の裁判所で10年という不法な実刑判決を下された。広東省の四会刑務所に収監され、野蛮な迫害を受けた。
刑務所の第七監区で、廖さんは残酷な拷問を受けた。2006年、警官・鐘少彬は受刑者の王桂海(警察に監房のリーダーに抜擢されている)に指図して、廖さんを殴打させた。廖さんは気絶し、医師(刑務所指定の医師)は生命の危険に及ばないと診断したのち、鐘は更に廖さんに対し脅迫し、「刑務所の中で騒ぎを起こさないことだ! 聞かなければ今日ぐらいのことで済まないと思え」と警告した。当直のリーダー刑務所の政治思想教育担当の副監区長・張潮斌は離れた場所に立ち、事態の進展を静観し、手加減しない暴行を容認していた。その場にいた多少は正義感のある警官・王華は当時新入りで、見て見ぬ振りをしていた。
事後、廖さんはこの暴行に対する処理を不服として、刑務所へ手紙で苦情を訴えたが、刑務所を管理する刑務管理長・尚東平はその手紙を刑務所に戻し、内部で解決するようにと指示した。副監区長・張は後ろ盾の指示を受け、廖さんを行政処分にした。これを受け共産党書記(兼七監区長)は廖さんにさまざまな体罰を加え虐待した。廖さんの労働時間を延長し、夜は更なる体罰を加え、例えば、駆け足や軍事訓練などをさせた。このような虐待は2004年から2009まで継続した。
2009年6月26日、この日は廖さんが釈放される日であった。「教育改造」を担当していた副監区長・陳遠彬は廖さんが発明した3項目のパテントに関する資料、文学作品、刑務所で取得した資格証明書、帰宅の交通費まで差し押さえた。
廖さんは釈放され家に戻るはずであった。しかし、地元の「610弁公室」の役人や警官が刑務所にやって来てその場で再び廖さんを連行し、地元に戻り迫害している。以前、廖さんは連行された時、廖さん名義の銀行カード、パソコン、携帯電話、各種の資格証明書及び現金などを深セン市警察、「610弁公室」に奪い取られた。それらの現金や品物を取り戻すことができないため、就職することもできない廖さんは、ただ家で難民のような生活をするしか方法はなかった。残念なことにこの類の難民は何の生活保障もないのである。
2009年8月1日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/25/205273.html)
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