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正法の過程を重視し、正法時期の大法弟子になる(二)

(明慧日本)

 3、師父が弟子のすべてを按排してくださっている

 修煉する前の私は中学校の教師で、国語を教えていてクラスの担任をしていました。担任という仕事は重責のうえ忙しかったため、とても疲れていました。私は修煉を始めたのですが、もし担任という職務から外れ、時間に少し余裕ができれば、「三つのこと」に力を注ぎ、師父の正法の進展についていこうと考えていました。しかし、私はこの思いに執着しませんでした。新学期が始まり、学校側は私が難病の息子を抱えていることを考慮してクラス担任を外してくれました。そして、私は学校が経営している工場や学習塾の営業部門に転勤することになりました。新しい職場での仕事はそれほど忙しくありませんでした。ですから、私は仕事の合間に『転法輪』を暗記して正念を発していました。時には同修と切磋琢磨する時間もできました。

 学校の善意に対して、私は当然ながら真面目に仕事をしました。どんなことにも大法に基づき、自分を厳しく律していました。私の仕事は営業なので、人と出会うことが多かったのです。中共政権下の社会では、商売のルールは変異しています。商売が成立すれば、リベートや裏金などを要求されるのが当たり前になっているのです。しかし、私は修煉者として、そのような金を要求したことがなく、たとえ相手から無理やり渡されても受け取りませんでした。ある日、商人と商談後、彼から一つの封筒を渡され、その商人はその場から走って去りました。封筒を開けてみると1,200元が入れてありました。私は仕事を終えてから、彼の店に直行し、そのお金を返しました。そして、彼に法輪功の真相を伝えたのです。法輪功の真相を知った彼はすぐに「三退」しました。このようにして、私の仕事に対する姿勢が商人たちに認められ、私に対して尊敬する気持ちさえも持ってくれました。私と付き合いのある商人たちは大法の真相を知り、大法の素晴らしさが分かり、大法を認めてくれました。私は人と接するとき、いつも謙虚で穏やかな態度で接していたため、教師や生徒に支持され、私の仕事にもよく協力してくれました。

 一学期を終え、私は仕事の実績が著しく上がり、上司から高い評価をいただきました。学期末になって、優秀職員という賞を私に与えて下さいました。私は今もこの仕事に就いていますが、この期間中4回にわたり、教師の仕事に戻されたことがありました。仕事を変られても、私は心が動じず、上司の指示に従いました。その結果、私は比較的に忙しくない今の職場に戻されました。「この職場は私のために師父が按排してくださり、常人はこの仕事を奪うことができないのです」ということを私は悟りました。4回にわたって学校に戻されたとき、第1、2回目は今の職場の上司が学校に懇願したので、この職場に戻ることができました。3,4回目はやはり学校側が私の家庭を心配して今の職場に帰されました。これらの結果は、師父が按排してくださったものだと思います。

 大法弟子として神の道を歩んでいる私は、円満成就までの道のりを師父がすでに按排して下さったと分かっています。私が営業部門に異動したのも、ほかの同修と比べ大法の修煉を始めるのが遅かったので、師父が法を学ぶ時間を按排してくださったと考えています。もし、教師の仕事をそのまま続けていたとしても、そこの衆生を救うべきだと師父が按排されたと考えることもできました。ですから私は、師父の按排に従い、世間のすべてのものに執着せず、正法の進展についていけるように一層精進しなければならないと考えています。そして、私は必ず「三つ」のことをよく行わなければならないと決心しました。

 夫が大法を修煉し始めたのは、私と息子より4ヶ月ほど後のことでした。夫は、悟性がとても良い人だと思います。息子の業力浄化が最もピークだった時、親族たちが大法を修煉している私と息子を止めさせようとしましたが、夫は不眠不休で子供の世話をし、決して私と息子の修煉を止めさせようとしなかっただけでなく、黙認と寛容をもって私と息子を支えてくれました。夫は内向的な性格で、人と話すことは苦手なのですが、修煉においては昇華がとても早いほうだと思います。例えば、修煉し始めたばかりの夫は、明慧ネットに掲載された『修心断欲』の体験文章を読んだ後、その日から性欲を徹底的に取り除きました。一年間修煉した夫は、月に6日間あった休みが10日間となり、そのおかけで私の修煉の時間が増えたのです。まさに師父が言われたように「修は己にありて、功は師にあり」 (『転法輪』)なのです。修煉者はその一念があれば、慈悲深い師父が加持してくださり、按排してくださるのです。

 2007年の後半、我が家にあったオートバイと電動バイクが立て続けに盗まれました。この2台のバイクは、私たち一家が休日を利用して田舎へ衆生を救い済度するための「法器」でありました。最初のバイクが盗まれた時は、私たちは内に向けて探していませんでした。そして、すぐ電動バイクをローンで買いました。ところでそのバイクは2ヶ月後、また盗まれました。2ヶ月たて続けにバイクを盗まれたことに対し、私たちの修煉がどこに問題があったのかについて、内に向けて探してみました。旧勢力の妨害を否定しなかったことが、邪悪に隙を与えてしまい、乗じられてしまいました。その後、自転車を購入して、田舎へ大法の真相を伝え続けていました。師父は、私たちが衆生を救いたい純粋な心を見てくださり、2週間後、夫の友人は車を購入し、電動バイクの置き場所がなくなり、私たちにくれました。2ヶ月後、意外なことに、我が家に送金者不明で現金3千元が届きました。この3千元を手にした途端、バイクを購入しようという念が現れました。そして新車のバイクを購入し、田舎へ真相資料を配るための専用車にしました。

 現代医学には息子の難病を治療する方法がありませんでした。慈悲で偉大なる師父は、息子に健康な体を与えてくださり、そのうえ智慧も与えてくださいました。2005年6月に息子は難病にかかり、一流の病院で治療しました。そのため、当時小学校だった2年生の息子は休学しました。元気になって息子が学校に戻ったときには、同年代の子はすでに5年生になっていました。息子はみんなと同じように5年生のクラスに入りました。息子は毎日半日しか学校へ行かなかったのですが、成績は優秀でした。これこそ大法の奇跡なのです。息子の身体に起きた不思議な出来事を見た親戚・友人・隣人たちは、大法の素晴らしさを認めるようになり、大法が受けている迫害の真相を分かってくれました。これらはすべて師父が按排してくださったと私は知っています。

 3年間の修煉の過程で、私たちは修煉に対する確固たる信念を持っていたので、師父は私たちが精進できるよう加護してくださいました。そして、私自身が何かやりたいと考えなくても、師父は私の正念を加持し啓示してくださり、大法弟子として衆生を救い済度すべきことを按排してくださいました。私はただ師父が按排してくださった道を歩むだけなのです。

 私は修煉してから、「正法の過程を重視し、正法時期の大法弟子になる」ということを誓っていました。こうすることで、自分が怠けた時、安逸心が現れたとき精進できる原動力になってくれるからです。師父の広大なご恩に対し、人間のいかなる言葉を用いても感謝の意を表すことができません。ただ師父が決めてくださった「三つのこと」をよく行い、内に向けて探すという法理を忘れず、修煉の過程を大切にし、悔いのないように師父が按排してくださった道に沿って最後まで歩む通すことが、すなわち師父への恩返しなのです。

 慈悲なる偉大の師父に合掌します。同修全体に合掌します。

 (完)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 2009年11月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/9/211602.html

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