過程
(明慧日本)師父は次のように説法されました。「私は何かをする時にその過程を最も重視しています。なぜならば、この過程の中で人々に真相を認識してもらい、世の人々を救い済度し、真相を明かすことができるからです」(『各地の説法三・大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』)「過程」という言葉を、私は初めて考えさせられました。
長い間、私は何かをする時にいつも急いで、早めに目的に達するように、そわそわしています。このそわそわしている時、私は知らぬ間に良くないものを感じました。
今日、突然ある理が分かりました。つまり、いかなることをしても目的に執着せず、大切なのは心が落ち着いて、成し遂げる気持ちを持っていれば、法理に適います。この理について、師父は何度も教えてくださいました。「做(さ)して求めざれば、常に道中に居る」(『洪吟・道中』) 「しっかりと修める人は求めることに執着することなく自然と得るのですが、一切の功、一切の法はすべて本の中にあって、大法を通読すれば、おのずと得ることでしょう。 学ぶ人は自然に変化して、反復、通読すれば、すでに道の中にいます」(『精進要旨・師を拝む』) 「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』) いずれも天機なのです!
もし目的に執着しながら何かをすれば、必ずそわそわし、個人の損得にばかりこだわり、目前の功利を求め、極端に走り、だらけやすいのです。言うまでもなく、これは良くない状態です。我々は法輪大法に従って修煉しており、法輪大法に同化しなければなりません。師に遵う過程の中で、我々は大法をしっかり勉強し、自己を着実に修煉し、真相を伝え、衆生を救い済度します。
2009年11月17日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/13/212389.html)
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