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2人の年配の同修の物語

(明慧日本)1カ月前、私はある老夫婦が協調している学法グループに参加しました。この夫婦は70代の同修で、正法の進展に伴い、あらゆる困難を乗り越えて資料点(真相資料を作成する場所)を立ち上げました。夫婦はパソコンの使い方から始めて、印刷、DVDの書き込みができるようになったのですが、インターネットへのアクセスがまだできなかったのです。そのため、私は明慧ネットから真相資料をダウンロードしてUSBメモリに保存し、夫婦の家に持っていきました。私が行くたびに見たのは、心をこめて包装した真相資料が多く置いてあったことでした。そして、衆生が真相を知ることを妨害するほかの空間の邪悪要素を、正念を発して取り除いていました。

 夫婦の自宅の広さは10平方足らずで、部屋に置かれているものは、すべて修煉の必需品だったのです。部屋が狭いため真相資料を作成する設備でいっぱいになり、衣服の収納ダンスを整理して、師父の写真をタンスの一番上に置き、大法書籍をタンスの中に収めていました。壁1面に服をかけており、小さいテーブルの下に安いビスケットがおいてありました。時間を節約するための昼食だそうです。夫婦は午前中に煉功し、法を学び終えてから、ビスケットを食べながら、真相伝えに向かうのです。夫婦の生活は質素で、贅沢といえば正月に買ってきた水餃子を子供に食べさせるぐらいです。

 夫婦は大法を固く信じて着実に修め、子供たちの積極的な支持と助けを得ています。子供たちは正念の時間になると、よく両親に教えました。

 人々を救う時間を大切にし、移動時間を節約するため、夫婦は電動自動車を買いました。不法に収容された同修を救い出すため、同修と正念を発する時間を欠かしたことはなかったのです。支給された年金のほとんどは人を救うために使い、70歳という高齢にもかかわらず、資材を買うなどで頻繁に出入りしていました。大法弟子として世間のすべてを放下し、衆生を救うために全身全霊を捧げていました。夫婦の行動に私は心から敬服し感動しました。

 第6回明慧ネットでの中国大法弟子交流会を知り、夫婦は私に代筆で投稿するよう依頼しました。ある日グループで法を学び終えた後、投稿の内容について打ち合わせを始めました。夫婦の話では第5回の交流会にも同修にお願いして、投稿しましたが掲載されなかったそうです。このたび投稿したいのはただ師父に本音をお伝えしたいのです。夫婦は「どんなことがあっても、師父について最後まで歩み通したい」とのことでした。

 奥さんは今日までの修煉の経歴を話してくれました。2005年に迫害の真相を伝えていたとき、警官に連行され、不当な3年の実刑判決を下されました。収容所で邪悪な生命は警官を操り拷問を加え、信仰を放棄させようとしました。そのため、奥さんは自分の身体をコントロールできなくなり、四肢が震え続け、未だに煉功や自立した生活も困難な状況です。奥さんが邪悪の按排を否定し、正念をもって迫害を制止したことで、収容所は迫害をあきらめ、1年後に釈放されました。しかも、年金は1円も減ることなく通常通りに支払われました。

 奥さんは「旧勢力は私を修煉できないように、この状態になるまで迫害しました。私の信念はますます強固なものとなり、最後の最後まで師父について行くことを決めました。私は第2セットの功法『法輪椿法』を煉功する際、扉の枠をつかんで煉功しました。このように今日まで修煉してきました。これも師父が私を見守ってくださったからです。でなければ今日まで生きてこられなかったことでしょう! 私はいつも師父と聞くと涙が止まらず、師父の慈悲なる済度に、感謝の気持ちを表す言葉がありません」と話しました。奥さんの目つきと表情からは師父と大法に感謝し、固く信じていることが現れていました。

 この年配の同修から見て取れるのは、師父と大法が神聖で偉大なことです。自分を振り返って見たとき多くの不足が見つかりました。ここで明慧ネットをお借りして、師父の慈悲なる済度にこの上ない感謝を申し上げます。今後、師父の期待に背かないよう、限られた時間で人を救うため、さらなる努力をいたします。最後に明慧ネットに携わっている同修に、私たちに信憑性のあるネットを提供してくださり、このような邪悪な迫害の中で、迫害の暴露などに欠かせないネットとなったことを感謝し、無私なる奉仕に感謝いたします。

 2009年12月11日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/12/4/213685.html

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