心性の試練や関を乗り越えるにあたっての体得
(明慧日本)私は大法弟子であり、しばらくの間修煉してきました。今日は、心性の試練や関を乗り越えるにあたっての、体験と考えをお話ししたいと思います。
たくさんの同修が書いた修煉体験を見て、修煉は決して楽ではないと思いました。一つの試練をやっと乗り越えたら、今回は良くても、次は駄目だったり、見ていて辛いのです。師父は内に向かって求めるように言われました。私も以前は同修たちと同じで、何かの難に遭ったら、自分の何の心が捨てられていないのだろうと探しました。見つかっても、無理やり捨てるような感じで、いつもスムーズにいくわけではありませんでした。
ここ最近、私は試練を乗り越え、また新しい体験ができました。
ある時、家の人がいきなり私に向かってよくない事をたくさん言って、私は不機嫌になりました。しかし私は、これは私を向上させるためなのだと悟りました。そして、私は「このよくない心は全部業力と関係がある。だから、この良くない心に痛みを味わわせてやろう、苦しみを味わわせてやろう」と思いました。その後、私はもうその良くない心はなくなったように感じました。逆にそれは「心地よい」に変わったのです。それは、業力がどんどん減り、徳がどんどん増えていくような感じでした。良くない心が痛くなると、もっと快くなり、それを削り、減少させているようでした。さらに、業力と徳の分かれ目がはっきりしていました。また、私の意志も強大になってきて、師父が言われたように、「苦をもって楽と成す」となりました。これは、そのちょっとした体験です。
また、ある時、私は煉功をしていると我慢ができなくなってしまいます。しかし、師父が「武術気功」の中でおっしゃった一部の法理が、私に煉功に対しての新しい見方を与えてくれました。私は「煉功で我慢ができないのは、たぶん意志が足りないのだろうと思い、ならば、煉功する時に我慢をすれば意志が強い力につながる」と悟りました。こうして、私は、煉功の時にますます我慢できるようになり、さらに、そのような放散痛(痛みを外側へ散らすこと)の感じはもうあまりなくなり、快くなりました。もちろん、本当の気持ちがいいとは違います。これが2つめの体験です。
不適切な所があれば、ご指摘願います。
2010年4月19日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/5/221014.html)
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