師父に随い、修煉の道を歩む(二)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)午後、雨が降ってきました。私と娘は出勤しなければなりません。私たちは早目に昼食を済ませ、バスに乗って百貨店へ行きましたが、路上で1人の浮浪者にも会いませんでした。私は世人に大法の真相を伝えたいとの一念があるので、師父が私に縁のある人を按排してくださいました。私がバスに乗ると、多くの人が立っていましたが、なぜかドアの近くが一つ空いていたので、私は座りました。バスが発車する直前、60歳ぐらいの女性にバスの番号を聞かれました。私は「はい、そうですよ」と言いながら、彼女に私の席を譲ると、彼女は感謝してくれました。「私は法輪功を修煉しています」と話し始め、彼女にマスコミが法輪功に対する嘘の宣伝をしていること、師父と大法に罪を着せたことを伝え、真相資料を渡すと彼女は受け取りました。そのときから、私は正法の道を歩き始めました。
三、師父はいつも私の傍で見守ってくださる
2000年12月、私と同修は大法を実証するため、北京へ行きました。山海関駅を通るとき、警官に連行されました。警官に名前を聞かれましたが、私は「私の上司が連座されるから、名前は言いません」と答えました。警官は「真」という字を書きました。その後、帰る電車で私服警官が「あなたたち、当地に帰ったら拘禁されるよ」と言いました。私は師父がその人の口を借りて危険を知らせてくださったと悟り、途中下車をして安全に家に帰りました。私たち大法弟子は法に基づけば、師父がそばでずっと見守ってくださるとわかりました。
私は、円満成就を求め、家族(同修)に「情」を持って、2001年に真相資料を配るとき、真相がわからない人に通報され、私たち家族全員が連行されました。警官に「資料はどこからもらったのか」と尋問され、絶対同修のことを言わないと考えました。師父は「この人が素晴らしいと言い、あの人が素晴らしいと言って、みながみな、素晴らしいと言うならば、人の心を見分けることはできるでしょうか? 肝心な時にこそ、人の心を見るのです。 一部の心を取り除かなければ、佛までをも、あえて裏切ってしまいます」(『精進要旨』「白日の下にさらけ出す」)とおしゃいました。同修が圓満成就すれば佛様になるので、同修を裏切ってはいけません。その後、警官は資料のことを聞かなくなりました。
拘禁されている間、私は「ここで何をしていますか? これで大法を実証することができますか? 師父、弟子の悟性は悪いですが、弟子の私は必ず師父に随い、修煉の道を最後まで歩んでいきます」と常に考えました。この一念で、半年後私は留置場から出ることができました。しかし、警官は私を帰宅させず、私を派出所に連れていき、北京に陳情に行かないという保証書にサインを強要しました。私は再び労働教養を恐れて、保証書にサインをしてしまいました。帰宅後、非常に後悔して、師父に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
四、真相を伝えること、「三退」を勧めることを日常生活に溶け込ませる
師父の後期の経文を勉強した後、正法時期の大法弟子は個人の圓満成就を目的としない、私たちの責任は、衆生を救うことです。大法弟子への中共の迫害を暴露するのは政治のためではなく、中共の政権が欲しいのではなく、目的は依然として衆生を救うことです。修煉者は常人の事に対して争わないのです。私は、明確な法理の認識ができて、衆生を救うことに自信を持ち、行うときにも穏やかな気持ちでできました。
私は正社員でなかったため、昼に真相を伝えることができます。デパートの従業員、路上で宣伝ビラを配る人、市場で商売する人、バスに乗るときに出会った人、通行人、道を尋ねる人々は私に縁があると思って、救う対象にしました。真相を伝えるとき、「三退」を勧める過程で、「あなたを通報する」、「共産党に反対している行為だ」などといわれても、私は心動じず、正念を発して、師父と大法を信じ、師父のご加護の下で難関を乗り越えました。ある日、自転車置き場で真相資料を配るとき、大法の真相をわからない退職者にみられ、「何を配っているのだ、法輪功の者か」と聞かれました。彼は大きな体で入り口のところに立っていましたが、私は心動じず、何も答えず、その隙間から出ました。師父は「一つも心が動じなければ、あらゆる動きを制することができるのです」(『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」)とおっしゃいました。
(続く)
2010年5月10日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/1/222658.html)
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