日本明慧
■印刷版   

佛光が太行山を照らす(二)


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)

 二、1994年の法輪功石家荘講習会、私も修煉を始める

 (1)師父が石家荘市で功法を伝えられる

 1994年3月3日は私にとって忘れられない一日です。その日の午前8時半、李洪志師父は予定どおり石家荘に来て説法をされました。まず河北省軍分区の講堂を借りて、臨時の気功講習会を開かれました。当時、参加者は約900人で、うち600人は北京から師父に付いてきた来た古い学習者で、残り300人は石家荘市地元の受講者です。

 説法の時、師父は受講者に手を開かせて、皆に手にどんなものがあるかを聞きました。私の子供は当時6歳で、大きな声で「お母さん、あった、あった! 扇風機のように回っています…」と言いました。他の子供も一緒に叫んで、それで多くの大人も声を出し始め、静かな会場は賑やかになりました。師父は皆に立ち上がってもらって、「全身リラックスして」と言いながら、手が空中で右から左まで何か掴んだように動きました。私はすぐ一筋の強い光を感じて、感電した感覚が全身を走り抜けました。

 3日の夜7時、石家荘市紡績第三工場の職員宿舎のクラブの一部屋を借りて、師父はまた皆に説法されました。階段もなくて椅子もなく、薄い壁を挟んだ隣はダンスとカラオケでとても騒いでいましたが、師父は少しも気にされませんでした。私たちは地面に座って説法を聞きました。私のすべての悩みが消えて、とても居心地良かったと感じました。

 翌日の晩、比較的良い石家荘市紡績第二工場の講堂で、師父は説法されました。受講者は900人ぐらいいました。

 (2)師父は私の体を浄化 してくださった

 当時、私の体に大きな憑き物が憑いていました。多くの気功師は私を見ると、ひざまずいてお辞儀をしてくれます。理由が分からなかったのですが、法輪功を修煉してから、彼らは私の体に憑いた憑き物を拝んでいると分かりました。

 師父の説法の3日目、憑き物の部分を説かれた時、私は全身非常に寒気がしました。虎の皮で作ったコートの上に羽毛のジャケットを着ても、寒くて仕方がなく、また多くの痰を吐き出しました。私に説法を漏れなく聞かせるため、私は咳を出す時、師父は何も話さずに私を待ってくださいました。その時、師父は私の体を浄化してくださったと思います。我が家は代々、肺気腫の遺伝を引き継いでいます。

 師父はまた私を休憩室に呼んで、私の頭のてっぺんを三回叩いて、頸椎と命門もそれぞれ三回叩いて、「行ってしまえ」と言いました。それにより、私の体は体験したことのない軽やかさと心地良さに包まれました。このような憑き物はどうやって私の体に憑いたのでしょうかと聞くと、これからの説法を聞いたら分かります、煉功の時に目を開いてください、と師父は答えてくださいました。

 胃を3分の2切除したある同僚は、昼食に知らず知らずのうちに、幅広の硬い麺をたくさん食べました。「お腹いっぱいの感覚は本当に素敵です。私は今日たくさん、しかも麺類を食べましたよ。胃を切除してからこんなにたくさん食べたことがありません」と、彼女は嬉しそうに合掌して、「ありがとうございます! 師父は本当に現世の華佗です!」と師父に感謝しました。それからも、彼女はずっととても健康です。

 もう1人の同僚は脈管炎に罹って、足指の骨まで露出して、黄色の膿が染み出て、靴の中はいつもべとべと濡れていました。病院は足を切断するしかないと診断しましたが、彼は運試しに講習会に参加しました。結局、8日の受講が終わって、彼の足にかさぶたが出て、膿も出なくなって、新しい肉ができました。

 もう1人の同僚の子供(6歳)は建物の4階から落ちて、手術しても頭の中に鬱血が残っていました。鬱血が拡散すると神経を圧迫して、子供が半身不随になる危険性があります。治療のため同僚達はたくさんお金を集めました。師父がその子の頭のてっぺんを軽くなでられると、子供はそれから良くなりました。その子は今もとても健康です。

 (3)師父は私の全ての病気を取り除いてくださった

 法輪功を修煉する前、私はリウマチ、胆嚢炎、胃出血、十二指腸炎、婦人病、代々遺伝の肺気腫などたくさんの病気を抱えていました。最もひどいのは頭痛です。子供を産んだ時に破傷風に罹ったせいで、それ以降は発作が起きると、全身寒気がしてひどい頭痛がし、我慢できない時は壁に頭をぶつけてベッドで転げ回り、すぐにでも死にたくなります。

 医者である夫は、私のために多くの名医を探して診てもらったのですが、レントゲン写真でも原因が分からないし、頭痛は一向に治りません。夏場でも私は上下ともふかふかの服を着て、冬場に外出する時は、皮のコートに羽毛ジャケットを着て、帽子をかぶってマスクを付けます。20代の私は30代、40代のようにやつれて老けて見えるほか、とてもいらいらして怒りっぽいのです。西洋医学でも漢方医でも私の病気を治せないので、私は巫術に頼ってみたことがあります。巫女に診てもらったら、私はある大仙人に気に入られて、私はこれから巫女にならないとその大仙人に許してもらえない、と教えられました。私はまた多くのいわゆる気功師にも診てもらいましたが、体はかえってますます弱くなってきました。

 しかし、師父の講習会に参加した後、私の顔色は以前の光沢のない黄色から徐々に好転して、風邪もひかなくなりました。また、寒さに強くなって、冬場にそれほど厚着をしなくても寒くなりません。夏場に来ていたふかふかの服と毛糸のセーターを脱いで、私は想像もできなかったスカートがはけるようになり、また水泳もできるようになりました。ごく短い10日間で、私は30代、40代から本当の年齢の20代に若返りました。

 ある晩、夫は出張して、私と子供は留守をしていました。私は一晩中寝られなくて、分刻みでトイレに行き、膣が針で刺されるように激痛がして、ちょっと横たわるとすぐ便意が来て、トイレに行って横たわり、またトイレに行く、このように明け方まで繰り返しました。家に水洗便所がないので、小便は全て便器に流して、翌朝、公衆便所に捨てます。夜が明けて、私は便器を持って公衆便所へ行きました。その日の便器は特別に重かったのですが、蓋をしたため、私は中を見ませんでした。いつものように便器を傾けて尿を捨てようとすると、なんと尿は出て来ません。不思議に便器の中をのぞいて覗いてみたら、とてもびっくりして、中は液体の小便でなくて、満タンの膿と血の固まりとなっていました。私は嬉しくて、「自分の病気が治った」と真っ先に思いました。「師父、ありがとうございます。師父、ありがとうございます」と、私は無数のお礼を心で師父に言いました。

 私は夫に電話かけて、夫は急いで帰宅して、「どうしたのですか、これは何ですか?」と聞きました。「これは私の小便から出たもので、昨晩、一晩中寝ずに小便をしました。それに、これはどういう物ですか」と夫に言いました。内科医の夫は驚いて目を大きくして、「これはあなたの小便なの? これだけ大きいかたまり、現在の医学でも理解できない! 不思議だ…」と呟きました。この事をきっかけに、夫も修煉に入りました。後日、彼は師父の済南市講習会に参加しました。私の体の変化は家族みんなが知っていて、続々と家族全員が法輪大法の修煉の道に入りました。この事を思い出すたびに、私は感動の涙が流れ出ます。師父にどれほど感謝して良いか分かりません。

 (続く)

 2010年6月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/21/223935.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/5/29/117469.html

■関連文章
時間を見つけて青少年の大法弟子に関心を寄せよう
人心を放棄し、師父が按排された道を歩む(一)
師父のご加護の下で修煉する(一)
90歳の母が身をもって大法の奇跡を体験
大法は私を死の淵から救った 
法をしっかり学び、自分を正しく修めることで、すべて良く行うことができる(三)
正法の過程を重視し、正法時期の大法弟子になる(一)
病業が現れたら内に向けて探す
新しい修煉者の3年間の修煉体験(一)
病気が現れるかどうかは、自分の一念によるものである