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内に向けて探し、執着を取り除いた体験(一)

(明慧日本)私はすでに13年修煉してきました。今、振り返ってみると、よく出来たりよく出来なかったりしながら、修煉の道を歩んできました。今日、この場を借りて皆さんとこれまで最も印象深かった体験を交流したいと思います。

  一、修煉の道を歩み、情から脱け出す

  私は1996年、法輪功の修煉を始めました。当時、まだ学生でしたが、あっという間に10数年経ち、結婚適齢期になりました。私は幼い頃から自分の未来の家庭に多くの憧れを抱いており、幸せな家庭を持つことを渇望していたのです。数年前、私はある人と出会い、彼と結婚することを一心に望んでいました。しかし、私の両親は彼との結婚を断固反対していて、常人の生活に嵌まり込んで修煉できなくなることを、とても心配していました。

  そのとき、私の頭には結婚のことしかなく、執着しすぎたため、深夜になると、時々涙を流しました。修煉を放棄できるのかと自問自答してみると、答えはきっぱりノーでした。しかし、結婚を放棄しようと思うとできず、執着を隠すため、師父の法理の中で若い弟子が結婚してはいけないとおっしゃっていないと自分に言い訳を作って放棄しようとしなかったのです。この情の関門を3年かけてようやく乗り越えることができました。彼への失望や傷心また互いの苦痛を経て、私はやっと理性を取り戻すことができ、別れることにしました。その後、私は母親に一生結婚しないと誓ったのです。

  その誓いは純粋なものではなく、やはり情に対する執着があったのです。当時、私は、母親が私への情にかられて、三つのことを行う余裕がなくなったのを見て、母親の修煉を無駄にさせてはいけないと考えていました。情の中に頭を突っ込んでいた私は冷静になり始め、仕事を終えて帰宅後、毎日学法して発正念を続け、心が少しずつ落ち着くようになり、やっと当時の情に対する執着がどれほど無意味なことであったか分かりました。

  私は、周りの友人が結婚後、育児と家庭生活のために毎日忙しくしているのを見て、正法時期の若い弟子として、今結婚しないのは正しいことだと、改めて考え直しました。今の私は何も邪魔をされずに、三つのことを一心によく行うことができるのです。師父が『修める者の忌』の中で次のように説かれました。「親族の情に執着するならば、必ずそのために疲れ、まとわり付かれ、魔がさし、情の糸をつかんで一生をかき乱されるのですが、年を取って、悔いてももう遅いのです」 私は自分が正しい選択をしたことを嬉しく思うと同時に、師父の慈悲なるご加護を深く感じ取りました。当時、私は結婚に大変執着していましたが、いつも突然に何らかの原因で結婚出来なくなったりしていたのです。師父は私が悟るまで長い時間を下さいました。

  今でもたまに、周りの友人が彼を作って結婚していくのを見て、羨ましい時もあるのです。しかし、人間になるまで、幾度の輪廻を重ねてきたのは、今日の大法と出会い修煉し、そして円満成就して師父と共に帰るためではありませんか? どうして一方で人の事に執着しながら、一方で神になりたいと思うのかと、考えると冷静になりました。自分が師父の正法時期の大法弟子になれて、どれほど幸せなことであるか改めて深く感じました。

 (続く)

  2010年7月6日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/4/219185.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/3/23/115529.html

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