常に顕示心を戒める
文/中国遼寧省の大法弟子
(明慧日本)私は、三つのことをしっかり行なっている同修に比べて良くできておらず、あまり精進していないため、自己顕示する心があるはずがないと思い、これといって顕示する事もないと思っていました。ですから、顕示心について気にせず、顕示心を修めて取り除くことも重視しませんでした。
数日前、学法グループで学法が終わって、交流する時に、ある同修が自分の職場で困っているとについて、私の意見を聞いてきました。その時、私は気にかけずに自分の考えを話しました。
家に帰ってから、発正念の前に自分自身を清める時、顕示心という一念が頭に浮かびました。発正念の後、「一体その一念は何を指しているのか。もしかしたら、私にも顕示心があるのか」としっかり考えました。そして、学法グループに参加する時、自分があまり同修たちの話を聞きたいと思わないし、自分の見解を話しがちで、さらに同修達に認められることを望んでいたことを思い出しました。もちろん、自分と違う意見を聞いても黙っていますが、気持ちがすっきりしません。学法グループの参加者は6、7人いますが、私に相談してきた同修は皆と一緒に交流せず、私だけに聞いてくるので、彼女は私がよく認識できていると思っているのだ、という観念を持ってしまいました。それで、他の同修たちは、どうしたらいいか分かっていても、自分の意見を話したくなくなり、集団交流が不足してしまいました。内に向かって探してから、やっと自分を表現したがる顕示心があることが分かりました。
顕示心の目的は、自分の認識の正しさを実証したり、他人より自分が良いと証明したりすることにほかなりません。これは、自分が誰よりも上位に立ち、誰も自分よりよく修めていないという心です。
ある日の交流で、私が三つのことをする体験について皆と交流しようと思った時、ある同修が先に、家政婦をしている間に主人に真相を伝えた体験を語り始めました。さらに、なかなか終わらないようなので、私はこの同修に対して軽蔑の念を抱いてしまいました。その後、この同修に対する反感の念さえ抱きました。これでは良くないと分かっていますが、今から見ると、これは顕示心と嫉妬心のせいだと分かります。そして、同修たちの長所を発見して自分の不足を補うことなく、逆に、よく同修たちの短所に気づき、機会を探して同修に教えたり、同修を助けたりしないと気がすみません。このような心も自己を顕示したい心から来ています。
顕示心は旧勢力に乗じられる弱点となります。顕示心を放っておけば、修煉者はだんだんときわめて傲慢になり、最後にはダメになってしまいます。師父は次のようにお話されました。「功能といい、功を開くことといい、みなあなたが大法に従っているものだけが本当に正しいのです。もし大法を二の次にして、自分の神通力を最重要視し、あるいは悟りを開いた人は自分の認識こそ正しいと思い、極端な場合は、うぬぼれて自分が大法を超えているとさえ思ったりしたら、その時点で、あなたはすでに堕ち始め、危うくなり、だんだん駄目になっていきます。そうなった時は、修煉が駄目になるので、本当に厄介なことになります。下手をすると堕ちていき、修煉を台なしにしてしまいます」(『転法輪』)
顕示心の危害はこれほど大きいのです。かなり良くできた修煉者も、一瞬にうちに修煉が台なしになる可能性もあります。従って、常に顕示心を戒め、見つかったらすぐに修め捨て去るべきです。
2010年8月10日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/3/5/219243.html)
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