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起業の過程も修煉の過程である


文/中国の大法弟子・文蓮

(明慧日本)私は若い大法弟子です。最近、同修が書いた「若い大法弟子が文章を書くよう提案する」という文章を見て、私が最近出会った出来事を文章にまとめて同修と交流したいと思います。同時に、旧勢力のすべての按排を全面的に否定します。

 私はかつて『周易』、『八卦』などの書物を読んだことがあり、頭の中でこれらのことに対して少し未練がありました。前から会社を立ち上げたいと思い、起業して開店の準備をしていましたが、親戚と友達から古い暦を調べて、黄道吉日を探すように勧められました。初めは、私は気にせず、大法弟子はすべて縁に従うと考えていましたが、気軽に記念の日を探しました。その結果、開店当日に、会社の看板ができなかったのですが、私の心はとても平然としていました。食事の時、友達は「今日は黄道吉日ではないですね。神はあなたに今日開店させたくないようです。大丈夫、私達があなたを手伝って良い開店日を調べますよ」と言いました。

 私はとても平然として、すべては師父の按排に従おうと思いました。数日後、友達は私に「近頃よい日がないので、あなたは自分で調べてみてください。あなたは自分でできるし、インターネットで調べるのは便利です」と教えました。そこで、私は人心に動かされて、インターネットで調べました。気にはしませんでしたが、繰り返し1時間ぐらい調べて開店日を決めたあと、奇怪な事が起こりました。明慧ネットを開いたら、全部知らない字で、師父の写真以外のすべての字は私達が今使っている文字ではありませんでした。何回開いても同じでした。師父が山中で弟子を静観しておられるあの写真は、まるでこの意気地がない私にむかってため息をついていらっしゃるようでした。

 私はきっと、私のどこかに問題があると悟りました。私は落ち着いて考えました。もともと、私の観念が間違っていたのです。私は「不二法門」の問題を認識できず、さらに観念に問題がありました。師父は次のようにおっしゃいました。「大法弟子が行なっている一切の事が、すなわち未来を創造しており、今の三界内の一切のものはみな、大法のために存在しているのです」(『精進要旨二』「功能とはなにか」) もし大法がなければ私達は今日みな存在しないのに、なぜ古い暦を重んじたのでしょうか? 『周易』、『八卦』などはすべて先史が残したもので、まったく私達のこの時期のものではありません。大法弟子はすべて師父がおっしゃる通りにすべきなのに、あれらを求めるのは自分を常人と見なしたのではないでしょうか? このような常人の思想と観念はもっと早く取り除くべきでした。

 そこで、私は発正念をして自分の頭の中のすべての法に符合しない行為、観念と意識を一掃し、ただ師父が按排された道だけを歩み、堅く師を信じ、法を信じるようにしました。実は、私達は多くの場合、多くの面でしっかりと行っていませんが、私達が師を信じ、法を信じることにとても大きな関係があります。ここまで書いて、私は師父が私達に多く法を学ばせることの重要性を悟りました。明慧のこの場を借りて、同修に自分が大法弟子であることをしっかりと認識するよう伝えたいと思います。 
 
2010年10月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/11/230835.html

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