中国共産党の国民に対する経済的、肉体的、精神的迫害
(明慧日本)韓乃君さん(49歳男性)は、内モンゴル通遼市駅の職員であった。中国共産党(中共)が法輪功迫害を開始してからの十数年、韓さんはほかの千万人の修煉者と同様にさまざまな迫害を受けた。韓さんを迫害したのは内モンゴル通遼市ホルチン区公安局、国保(国家安全保衛)大隊、及び610弁公室などである。
韓さんは2007年6月、法輪功の資料を配布中に連行され、不当判決を下された。その後、保安召刑務所に護送され監禁された。2010年1月に釈放されたが、絶えず地元の警官から嫌がらせを受けてきた。
法輪功の真相を伝え、強制連行される
2007年6月27日の夕方、韓さんは法輪功迫害の真相が書かれた資料を人々に配っていた時、通遼市の高家街村委員会の主任・張徳庫に連行された。張徳庫は村民の張宝君、尹広才、趙坤、於永春、及び薛春梅5人に呼びかけて、韓さんの家へ行き、韓さんを張の車内に連れ込み、銭家店鎮出張所に護送した。その後、公安出張所の警官らがホルチン区公安局の国保(国家安全保衛星)大隊長・王波、包吉日牧図らの警官を呼び寄せ、ホルチン区公安支局の3階の個室に連れて行って尋問し、暴力を加えた。
王波は自ら韓さんの顔を殴り、包吉日牧図らは侮辱した上で、韓さんの両手を後ろに回し、片手を上に、片手を下にした形で手錠をかけ、立つことも座ることもできない状態にして36時間尋問した。韓さんは暴力に対して毅然と臨み、「自分がしたことに間違いはない」と主張した。
6月28日、国保大隊長・王波の指示を受けて、国保大隊・関振剛と、包吉日牧図の2人の警官が韓さんの家に侵入し、荒らした。当時、鉄南出張所の警官・王偉、鉄南第七住民委員会の頼秀雲、及び2人の職員のほかに、警官も不当な家宅侵入、捜索に加担した。
6月29日、警官らは韓さんを河西留置場に護送した。留置場で警官・王喜臣らは受刑者・李瓦強らを唆して、韓さんに囚人服を着用させた。韓さんが拒否すると暴力を加えた。
その後、7月23日に韓さんを流動18号という個室に連れ込み、体に冷たい水を容器で11杯かけた。
8月の初め頃、王波はほかの警官と共に引き続き、韓さんの尋問を行なった。韓さんは事実だけを話したが、王は韓さんの顔を強く殴ったため、韓さんは鼻血が出た。8月20日、韓さんは無実のまま強制連行された。
3年の判決を下され、保安召刑務所に監禁、迫害される
韓さんは8月28日、断食をして釈放を求めた。断食から6日目の9月3日、王喜臣は受刑者たちを呼び、金属棒で韓さんの口をこじ開けて、灌食をおこなったため、韓さんの口から血が噴き出した。3日後、再び同じ手口で食物を口から入れようとした。このように半年にわたって拷問した後、2007年にホルチン区裁判所は、家族に通知をしないまま韓さんに懲役3年の不当判決を言い渡した。
韓さんは判決を不服として上訴した。しかし、中共の裁判所は上から下まで結託しているため、裁判所長の宝音、刑事第二裁判所長の張志宏、裁判員の趙智軍らによって上訴は却下された。
12月29日、警官らは韓さんを通遼市二磚刑務所に護送し、10日間拷問した。2008年1月8日、再び河西留置場に護送し10日間拷問した。2008年1月17日に興安盟烏塔旗刑務所で12日間拷問した後、1月29日保安召刑務所に護送し監禁した。その間、ホルチン区公安局、国保大隊、及び610弁公室は韓さんの職場に圧力をかけて無断で解雇した。通遼市鉄路駅の元駅長・姜要森が退職願にサインをしたため、韓さんは失職し給料も付与されなくなった。
2008年1月29日、韓さんは保安召刑務所で囚人服を着用させられ、毎日13時間以上の過酷な労働を強いられた。冬は昼食時間がわずか20分しかなかった。ご飯の中には虫や砂がいっぱい入っていた。韓さんは煉功することも許されなかった。法輪功の真相を身の回りの人に伝えることも許されなかった。法輪功への信仰を止めるように責め、用意した「修煉を止める」という内容の書類にサインをするように責めたが、韓さんはこのすべてを毅然として拒否した。ここの刑務所では所長、副所長の於徳水、田、包、安維忠、高偉らによって、2年1カ月迫害されて釈放された。
韓さんは、ここ数年来の中共の迫害により心身ともに大きなダメージを受けた。また、経済的にも大きな迫害を受け、収入を完全に失った。
2011年01月04日
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