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私が経験した奇跡の脱出劇(二)

(明慧日本)現地「610弁公室」の警官は手錠で私の手を窓にはめて、4人の警官が24時間交代で私を監視しました。二日目の夜、今晩中に絶対ここを出たいと思って、警官を眠らせるように私は正念を発しましたが、一晩中、彼らはトランプをしました。夜明け前に3人が眠って、1人が入り口に座って、時々私の手錠を確認して、少しも眠る気配がありません。私の思想業力は絶えず「今日は脱出できないので、また明日考えよう」など、意思の弱い考えが頭に浮かびました。しかし、私は師父にご加持をお願いして、「今日中に絶対ここを出る」との一念をしっかり強くしました。心の中でその警官に「早く眠れ」と言いました。
 
 警官はやっと寝つきましたが、外からものすごく大きいトラックの音が伝わってきて、一人の警官を起こしてしまいました。私は心を落ち着かせて、その警官に早く熟睡するようにと絶えずに発正念しました。警官は本当にもう一度寝ついて、熟睡していました。私は両手を瞬間に手錠から出して、その部屋のドアから出ました。表門はとても遠くて塀も高くて、出るには困難があります。その時、もう一つの部屋の窓が開いていて、窓の向こう側に裏門があるのを発見しました。私は素早くその窓に飛び込みました。まるで歩いているのでなく、他の空間で浮きながら移動していたように動きが軽やかでした。前後一分足らずで、私を監視していた警官らの慌てた叫び声が聞こえました。「たいへんだ、◯◯が脱走した! ついさっきまでまだ部屋にいたのに!」
 
 裏門を出たところは小さい庭でした。塀の高さは3メートルくらいあり、雑草が生い茂って、庭の真ん中に一本太い木があります。私は草むらの中に入って横たわりました。全身が強いエネルギー場に包まれているのを感じて、師父は身の回りにいらして私を守ってくださっていると分かりました。私は絶え間なく発正念していました。
 
 その時、二人は表門を出て私を探して、もう二人はすべての部屋をチェックして、最後に私の目の前に来ました。私を遮っている草の高さは50センチしかないのですが、なぜか警官は全然私が見えませんでした。当時は夏場で、夜がすっかり明けて、一人の警官が「◯◯は塀を越えて外に出たかもしれない」と言うと、もう一人は「こんなに高い塀をどうやって越えるんだ」と答えました。彼らは私のひざのすぐそばに立っていました。私は絶えず発正念して、師父のご加持を願いました。最後に、二人はしかたなくそこを離れました。
 
 私は立ち上がって、中庭で少し顔と腕を洗って水を飲んで、開いている窓から自分のリュックサックを取り出して、鉄の門の柵を踏みながら門を越えようとしました。が、何回も試して、全て失敗しました。外の大通りに車が行き来しています。自分には恐れる気持ちがあるから失敗したのではないか、と私は考えました。しかし、自分は本当に恐れていないと確信できました。その時、自分の空間場は清浄でなく、一種の不安が他の空間から来ていると感じました。私は絶えず発正念をして、すべての妨害を一掃しました。再び門の破損しているところから試みましたが、同じく出られません。私は心を落ち着かせて、雨が降ったらいいなと不意に思いました。晴れ渡った空はすぐ曇って、中ぐらいの雨が降りました。しかたなく私は便所の中に入って雨上がりを待っていました。約20分後、雨が止んだ時、私は自分の空間場にあったあの不安を感じなくなって、心の中はとても落ち着いていました。今度は順調に門の破損した所から通り抜けたところ、ちょうど1台のタクシーが来て、私はタクシーに乗ってそこを離れました。
 
 後になって分かったのですが、どうして当時、何回も門から出られなかったのでしょうか? 門の外は村落で、警官は村長と村民にあちこち私を探させていて、田んぼまで回っていました。雨が降って彼らがいなくなって、やっと私はそこを離れることになりました。師父が私を守ってくださったのです。本当に「弟子正念足りれば、師は回天の力有り」(『洪吟二・師徒の恩』)の通りです。
 
 病院から脱出
 
 2001年8月のある日、私がいた資料拠点は警官らに囲まれて、私は2階の窓から飛び出して1階の出っ張っている台に落ちて、痛みで気絶しました。意識が戻ったら骨盤の骨がきしきしと音を立てているのを感じました。警官らが私を発見して、私の体を引っ張る時、「もう動けなくなった」と私は訴えました。その一念が大法からかけ離れているので、一瞬、私の四肢は本当に動けなくなりました。私は地元に連れられて、残酷な迫害に遭いました。
 
 私の骨盤はひどく骨折して位置がずれて、右半分の胴体と頭部も怪我をして、容態は危険です。私は病院に搬送されて、警官らは私にレントゲン写真を見せませんが、彼らの表情から見て私きっと大怪我を負ったと分かりました。医者の「こんなに重傷なのに、どうして早く病院に連れてこなかったのか。どうして負傷した時に何の応急処置もしていなかったのか」という質問に、警官らは誰も答えません。
 
 このようにしても、彼らはまたわざと私の苦痛を増やしました。私を引っ張って車上から地面に投げたり、顔に平手打ちを食わせたり、力を入れて骨盤を蹴ったりしました。私は断食抗議をしているため、彼らはわざと3、4日おきに掛け布団で私を包んで車に投げて、病院に連れて行き、私に灌食をします。車の揺れは私に大きな痛みを与えました。しかし、私を苦しめる人たちを恨んだりしません。彼らは真相を理解していないため、悪事を働いているかわいそうな人だと思います。引き続き善良な人を迫害すると、きっと悲惨な結末を迎えます。ですから、巨大な苦痛の中でも、私はずっと彼らに法輪功の真相を伝え続けています。
 
 私は木の板で作ったベッドに横たわって、ベッドに布団など何もありません。私の両手は手錠にはめられて、よく意識不明に陥りました。最も苦難に満ちている時、私は師父、法輪大法、師に手伝って大法を正している同修たちを思い出して、しっかり修煉ができておらず、邪悪に隙に乗じられて、師父に迷惑をかけて、大法に損失をもたらしたことをとても悔やんでいます。意識がはっきりとすると、私は大法を暗唱して、痛みを取り除くように発正念して、痛みがだんだん軽くなりました。自分の一念が歪んだからこんなに体に巨大な苦痛をもたらした、と内に向かって探しました。そして、この苦痛を私は耐えるべきでなく、私の師父も耐えるべきでなく、この苦痛を邪悪に返すようにと思いました。
 
 (続く)
 
 (明慧ネット「神が人間界にいる」応募原稿)
 
2011年03月24日

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