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思考の中の色欲を取り除くことについて

(明慧日本)私は内向的な性格で、人からはまじめで謙虚な人物だと思われてきました。私は、自分には色欲があまりないと思っていましたが、最近になって自分の空間場の中に色欲が頑固に存在していることに気づき、ひいては普段の言動ですら、それに左右されている場合があることに気づきました。
 
 この色欲の問題について、簡単な例をあげてみます。私は普段あまり異性と一緒にいたがりませんが、なぜ異性と一緒にいたがらないのでしょうか? それは、自分がメンツを重んじ、異性に無視されることを恐れているという人心があるからです。生まれてからこの方、外見は平凡で自分のことを上手く表現できないので、異性からは好まれないとずっと思っていました。つまり自分に色欲がないのではなく、異性といたがらないのは、まさに自分がメンツを重んじ、異性に無視されるのを恐れるからこそ一緒にいたがらないのです。このような人心に気づいてみれば、まさに内心では異性から好まれたいということです。つまり、非常に色欲が強いということで、ただ外に現れていないだけだと気が付きました。
 
 このような正しくない考えはどこから来ているのでしょうか? 私は悲観的になりやすい性格の女性です。小さいときから既に、男女の間の情について非常に憧れており、時々どこかの男性が自分を好きになるのではないかと思っていました。この中には旧勢力の按配もあるかもしれません。いずれにせよ、思考の中でこのような思想業力ができてしまったため、この考えは長期間にわたって自分をコントロールしてきました。修練を始めた当初、私はこれを色欲とは気づかず、後になって気づきましたが、それを取り除く決心が足りなかったため、色欲は現在まで生き延びてきました。
 
 この人心の存在は、身体に多大な苦痛をもたらし、私の修練を妨害しました。この人心を改めて認識すると、私は必ずそれを取り除くべきだと気づきました。ある一つの出来事があります。数日前、私は歯の治療をするため、ある同修に歯医者を紹介してもらいました。この歯医者は、私の好みのタイプの男性でした。私は内心で、この男性に対して好印象を持ち始めていました。表面的には全くそのような言動はとっていませんでしたが、思考の中で頻繁にその男性の面影が浮かんできました。私は、いつもその歯医者の前を通り、その男性と会いたいと思っていました。また、毎回その男性の所に行く前には必ず自分の外見を繕い、化粧をし、できるだけその男性に良い印象を持たれるようにしていました。この考えはまるで雑草のようにどんどん拡大し、自分自身でもコントロールできないほどでした。実はこれは修練を通して、色欲を取り除くことが出来なかったため、思想業力が色欲の考えを強めたのです。そのため私は歯の治療の過程で、多大な苦痛と面倒をもたらしてしまい、正しくない状態に陥りました。この色欲はまさに、他人に自分のことを好きになってほしい、自分を評価してほしいという自我から出発したものです。なぜ私はこの色欲に浸ってしまったのでしょうか? 色々な原因があると思います。ここで同修の皆さんと交流したいのは、この色欲は他の人心とは異なっているということです。他の様々な人心は自分の感受性、あるいは精神に苦痛をもたらします。しかし色欲への憧れによってもたらされた苦痛というのは、修煉者の角度からすると、他空間の色欲の魔が人間の観念、人間の情を通して修煉者を妨害しているのです。そのため、根本的に常人の観念を変えない限り、自分を真に修煉者としてみなさない限り、取り除くことは非常に難しいのです。
 
 私は今回の教訓を通して、この問題の厳重さに気づきました。人間の立場から言っても、色欲を放任すればただちに大きな過ちとなってしまいます。修煉者にとっては尚更で、色欲が一度現れれば、この上なく大きな罪になるのです。修練とは本当に厳粛なもので、全ての人心は円満成就へと向かう障害となります。特に思考の中の色欲は、刻一刻とそれに気づき、取り除かなければなりません。それに存続、生存する機会を与えず、それができなければ、修煉者を妨害してしまいます。
 
 この文章を書きだして自分の色欲を暴くと同時に、私と同じような色欲のある同修、もしくは色欲の問題の重要性に気づいていない同修への警鐘となってほしいと思います。
 
2011年05月08日

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