【明慧日本2024年11月26日】明慧編集部が主催した第21回大陸法輪功学習者の修煉体験交流会では、11月に43篇の修煉体験文章が発表されました。中国本土の法輪功学習者たちは、文字を通じて世界中の同修たちと交流し、さまざまな環境の中で心を修め、向上していく貴重なプロセスを共有しました。
日本の学習者はこれらの記事を読んで深く感銘を受けました。中国の同修たちが法に対する深い理解を持ち、厳しい環境の中でもうちに向けて探し、修煉を高めていることを感じ取ったと言います。また、比較的安定した環境で修煉している自分自身の安逸や不足している点にも気づき、これからはより一層の緊迫感と使命感を持って修煉に励み、最後まで精進し続ける決意を新たにしたと述べています。
困難に対して冷静に立ち向かっていく必要がある
出潔さん(仮名)は次のように感想を述べました。
「道は遠くとも、必ず終わりがある」の中の「どんなことにも対応してきました」という言葉が強く印象に残りました。筆者は、年金の不当な差し止めという困難な状況に直面し、何度も行政機関を訪れ、訴訟を起こそうとするなど、地道な努力を続けますが「訴状が不合格になる」「訴訟が受理されない」など、数々の壁にぶつかります。それでも筆者は決して諦めませんでした。
「笑って対処した」という言葉からも分かるように、困難に対して心を常にポジティブに保ち、粘り強く挑戦し続けています。「どんなことにも対応してきた」という言葉は、単に困難を乗り越えるだけでなく、筆者の強靭な精神力と正念の強さを表しています。これは、師父の教えを実践し、修煉を続けてきたからこそ得られた、大法弟子としての威徳と言えます。筆者の経験から得られることは、困難に直面した時、私たちは簡単に諦めるのではなく、粘り強く挑戦し続けることで、必ず道は開けるということです。これは「道は遠くとも、必ず終わりがある」というタイトルからもわかるように、この文章のテーマです。
「笑って対処した」という言葉には、笑顔を見せるということだけでなく、心の平安を保ち「笑顔を見せることで困難を乗り越えるための力に変える」ということを表しています。この文章を読んで、困難に直面した時「自分はどのように立ち向かっているか?」「筆者のようにいかなる状況にも動じない心を持ち合わせているか?」ということを自分に問いかけました。
私は記者活動をしている時に「新幹線の運行停止」という不可抗力的な困難に直面しました。この時に発した正念は「(自分が)絶対に時間通りに現場にたどり着く」ということではなく「どんな状況であっても取材は成功させなければならない」ということでした。そして師父に「取材を成功させてください」とお願いし、アシスタントの同修に向けて正念を発しました。その時の取材記事はTOP記事として掲載されました。取材に関わったみんなの成果でした。自分はどうだったのかというと、その時自分がとった選択肢は最良の選択肢ではありませんでした。 自分は本来の集合時間よりも2時間半遅れで取材に参加しました。
困難に直面した時「困難に対して冷静に立ち向かっていけるのか?」ということを「中国法会」を読んで学びました。もしその時に冷静な判断ができていれば、最良の選択肢がとれたはずだ、と思うからです。
協力は全体を形成していくことであり、自己を放下することを認識できた
石橋さんは、「中国法会|衆生に尽くし、同修に尽くす」を読んだ後、作者が大法の中で修めて生じた、衆生や同修に対して示した慈悲と尽くし、そして弟子としての使命感に深く感動したと述べています。
作者は法を得てまだ数ヶ月しか経っていないにもかかわらず、補導員としての役割を担うこととなり、最初はとても困難に感じたものの、「大法が必要なら、私はやります」という純粋な念を発し、その後の厳しい迫害環境においても初志を忘れず、人々を救うことを続け、法を正す形式に対して一切の不満もなく協力し続けました。
作者はこれまでの道のりで、学法グループを作り、資料拠点を立ち上げ、さまざまな資料作成技術を習得しました。迫害が厳しかった時期には、『共産党についての九つの論評』の制作も始めました。同修たちが「敏感な」資料を配布することに躊躇している中、作者は残りの資料をすべて配布し続けました。ある日、作者はこんな夢を見ました。「私は蒸しパンのような食べ物を販売していて、一つの部隊が私の店の前にやってきて、急いで食べ物を持ち去りました。「師父は私の心の中の考えをいつもご存じです。私が作っているこれらの資料は、多くの衆生を救うことができると、師父が励ましてくださった」と分かり、作者は「自分が衆生に尽くし、同修に尽くしている」と言っています。
石橋さんは次のように述べました。
同じ大法を修めていますが、自分の修煉状態と比べると、次元の差が非常に大きいと感じます。毎日学法はしているものの、衆生を救い済度することへの緊迫感や使命感はいつも『プロジェクト』の中にとどまっているように思います。
海外にいると、比較的自由な環境で人々を救うことができるのに、周りの国の人々や出会った『貴重な中国人』に対して、真相を堂々と伝えることができていません。観光地で資料を配布したり署名を集めたりする際にも、大陸からの観光客を避けて、私心や恐れる心がまだ強く残っています。実は、この度の中国法会に対する感想の投稿依頼を受けたとき、私はいつも通り簡単に投稿しないことを決めていました。しかし、上記の文章を思い出すと、自分がまるで部外者のように感じ、差が一目で分かりました。私は毎回の協力は全体を形成していくことであり、自己を放下すること、そして修煉によって向上することだと悟りました。もちろん、どんな機会も天に昇る階段であり、時は流れ、そんな機会が永遠に待っているわけではないということです。
同修の皆さん、これまでのご助力とご指摘に感謝します。修煉は厳粛であり、人を救うことは緊迫しています。私は大法の中で絶えず自分を正していき、師父に対して、衆生に対して、同修に対して、そして本当の自分に対しても恥じることのないようにしていきます。
慈悲心をもって家族に接する
清光さんの家族は、法輪大法の修煉をすることをずっと応援してくれています。数年前から、清光さんのご主人と母親も学法や煉功をするようになりました。きっかけは、それぞれ体調不良からでしたが二人とも奇跡的な変化が起こり、大法の素晴らしさを実感しました。
清光さんは次のように述べています。
しかし、私はいつも情で接し、焦りから余計な助言をしてしまい、逆効果になることもよくあります。主人と母は、私の家族ではありますが、その前に師父の大切な衆生であることを忘れず、もっと純粋な慈悲心が出るように修煉しようと「慈悲の力を感じ悟る」という文章から学びました。
筆者は、子供の頃から孤独を好み、他人と距離を置いていましたが、自分には情がない証拠だと満足していました。しかし、法を正す時期の大法弟子として、人と関わらないのは私心の表れで、慈悲心がないと気づきます。それから、相手のことを考えて接するうちに、筆者に慈悲心が芽生えます。
ある日、指摘を受け入れない同修に反発され、やりきれない思いに襲われましたが、筆者はすぐに、「これは同修の本当の自分ではなく、執着に支配された表れだ」と気付き、心を動かされてはいけないと思いました。
私は、この文章に感銘を受けました。同修の間で、意見の食い違いからトラブルに発展することはよくあります。時には常人のように激しく罵られることもありますが、それを「同修自身」だと思わず、「執着に支配された表れ」だと思えれば、心が動じることもなく穏やかに対処できます。
最後に、筆者は次のようにまとめています。「私たちの修煉はすでに自分自身だけの問題ではなく、無数の生命の存亡にも関わっていると分かりました。修煉してより高い次元に進むにつれて、自分が背負う責任の重さをより一層感じるようになりました。そのため、自分を厳しく律し、修煉を成し遂げることで、師を助けて法を正し、使命を果たせるのです」。この文章を読んで、衆生を救うには慈悲の心が大切だと理解し、普段の自分の言動が慈悲に満ちているのか、それとも常人の情からきているのか、と改めて考えました。
「中国法会|26年前の肝硬変から肝臓癌への転移から語る」を読んだ感想
谷本さんは法輪功を学び始めて20年5カ月が経ちました。現在は朝5時30に起床、5時53分から静功60分。午前中に動功90分をしてから仕事に行きます。夜に学法し、大法のプロジェクトを行い、このような日々を過ごしています。
谷本さんは次のように述べました。
筆者は重度の肝硬変と腹水から肝癌に転化し、治療法がなく、死を迎えようとしたそのときに宇宙大法を得られました。人は「返本帰真」のために生きるべきだと分かり、26年間法輪功を学んで来ました。
中国の法輪功学習者は、警察に逮捕されないように放浪生活をし、時には野外で夜を過ごし、寒ければ農民の作業小屋に隠れて暖を取り、明け方にはそこを離れます。そうしながら、土地勘もない作業現場でいじめられながらも働かれました。作業現場で電気に関する知識を学び、電気工事の資格証を取得されたとのこと。そして、逮捕されて刑務所の中で出会った『轉法輪』を暗記できる修煉者と、秘密裏に各講義ごとに一冊にして、合計で9冊書かれ、同修と学法されました。なんと凄いことでしょう! 日本人はどこで修煉しても命をとられるような怖い思いをすることもなく安全。命がけで法輪功を学ばれる中国の修煉者たちは本当に凄くて素晴らしい! 感動しながら夢中でプロジェクトの作業をさせていただきました。