正法の終了ばかりを待ってはならない
文/中国の大法弟子
(明慧日本)最近の一年来、私は自ら外に出て真相を伝え、人を救い済度することがますます減っています。家で学法や、発正念、同修と切磋交流することに留まっています。この状態は、今の大法弟子が全体で人を救う形勢と逆で、良くないと分かっているものの、なぜか徐々に心が細くなり、徐々に自己保護の意識が強まっています。なぜ、最後の最後になって、精進しなくなるのでしょうか。最近、心を静めて、自分の考えの根源を探すと、自分の心の中で正法が終わることを望んでいる心があると分かりました。
この心は恐れる心です。その背後には、自分を保護して、何も損をせずに円満成就したい私心があります。この心があって、あと少しで正法が終わるので、この間に自分は、慎重に、何事もないようにと願っています。実際は、邪悪に迫害されるのを恐れて、自分が上手く乗り越えられず落ちてしまったら円満成就できないと憂慮して、軽率に外に出て皆と一緒に真相資料を配ることをしなくなりました。表面上では小心とみられますが、実際は迫害を怖れており、安全に正法が終わるまで待っているのです。
同修と接触する中で、他の同修にも似たような状態が存在していると気づきました。特に以前、何度も迫害を受けていた同修は、毎日外に出て真相を伝え、常に仲間と資料を配って人を救う熱心さを失い、皆「理知」で「おとなしく」なりました。この問題の厳重性を重視しなければならないと思いました。
正法時期の大法弟子にとって、個人修煉の円満成就はもう問題ではありません。師父について降りてきて、幾万年の輪廻を経て、慈悲なる師父はすでに私達にすべてを按排されました。私達はこの世で修煉して円満成就するだけだと私達は分かっています。師に手伝って法を正し、法を実証し、衆生を済度して、先史の誓約と使命を果たすことが一番大事で、必ずしなければならないことです。
この方面の法理を慈悲なる師父は何度も説法されました。「正法時期の大法弟子」という名は特別な内包があり、同時にそれなりの基準と使命もあり、以前の修煉とは違うと悟りました。この肝心な問題について、私達は明晰に冷静に認識しなければなりません。自分が何をしなければならないのか分からなければなりません。実は、正法修煉の基準に達していなければ、関を乗り越えられず、円満成就もできません。ならば、当初私達は大きな危険に向かって降りてきましたが、何をしたいのでしょうか。幾万年の苦難を経て、自分の宇宙天体および無量の衆生はどうするのでしょうか。これはたいしたことではないのでしょうか。
この問題を解決して、「正法時期の大法弟子」の基準にふさわしくない状態を変えて、正法修煉の要求を満たして、師父の正法の進展について行かなければなりません。唯一の方法は、学法をしっかりすることです。よく学法できたら迷うことがなく、自分の役割を理解し、修煉の道で自分を阻む人心と執着を修めてなくすことができます。さらに時間を大切にして、奮いたって精進するようになります。
2011年02月23日
|