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『転法輪』の通読は大事


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私の娘は大法の修煉を始めて10数年も経ちました。娘は毎週実家に来て、お互いの修煉体験の交流などをしています。最近の娘の体験をここで交流したいと思います。彼女はめったに『転法輪』を学法しておらず、師父の他の経文ばかり勉強していることを知りました。なぜかと聞いたら彼女は、「これだけの年月が経って、『転法輪』を何回も学法をしているし、しかも学法グループでも学法しているし、毎日『転法輪』を2段落くらい暗記しています。だから他の経文を学法するようにしました」と答えました。
 
 さらに彼女は以前の自分が体験した話を教えてくれました。以前、彼女は各地での説法をよく読んでおり、他の同修が何かを言うと、すぐにその話はどの経文の話であるかがわかったため、次第に名を求める心が芽生えて、人に追い越されないようにと、自分から進んで師父の各地での説法を勉強するようになっていたそうです。
 
 名を求める心を抱いて学法しても効果はよくありません。心が落ち着かない状態が続いてしまえば、これは法から離れた状態なのではないかと私は思いました。しかし、彼女はこの状態が続けば続くほど、『転法輪』ではなくて師父の最近の説法を全部一通り学法したいという気持ちが強くなっていったそうです。しかし、時間がなかなかできず、仕事も忙しくて、休みもなかなかとれなくなりました。やっとある日休みが出来て、前日から計画して、次の日にはある説法を学法しようと決めていました。その日の夜に、夢を見ました。その夢の中で、私は『転法輪』の本を拾いました。その『転法輪』が半分くらい開いたままで、本の表紙が上に向いて置かれていました。それからもう2冊『転法輪』を拾いました。
 
 目が覚めてから、師父はご啓示してくださったのだと悟りました。一つは、『転法輪』を続けて学法しなさいということ、もう一つは半分まで暗記した『転法輪』を続けて暗記しなさいということを悟りました。そして、その日から娘は心を静めてまた『転法輪』を暗記し始め、以前の修煉状態に戻り、心も落ち着くようになりました。
 
 多くの時間を学法に使うのは良いことですが、時間がないときに焦って早く読もうとする心や、たくさん学法すればとたくさん得られると思う心はよくありません。
 
 「法の勉強にいたっては、やはり時間を作って勉強したほうが良いのです。少ししか勉強できなくても大丈夫です。しかし、時間を作って勉強する時、心が静かにならないという問題が起こりやすいのです。心が静かにならなければ、勉強しても無駄であり、時間がもったいないのです。法を勉強するには、心を放下し、落ち着かせ、考えが静かになってから本当に勉強するようにすべきです。幾つかの段落しか読めなくても、心が落ち着かないまま本一冊を読むより効果が良いのです」(『アジア太平洋地区学習者会議での説法』)
 
 焦る心もよくありません。このような心を抱いて学法しても法を得られません。心を静めて学法して、少しでも理解することができれば、その分向上することになります。短い時間で法を読み終えることも現実的に無理なので、この心があってはなりません。大法の内包は無辺なので、どれほど悟っても足りないのです。宇宙の中の微々たる生命が、大法を全て見極めることができるのでしょうか?だから、謙虚に何も求めることなく学法するべきです。理解するべきときになれば、師父が理解させてくださいます。それも自分たちの次元によって決められることです。
 
 その後、娘は心を静めて学法するようになり、以前の良い状態に戻りました。この体験を書き出すことを娘に言うと、娘も賛同してくれました。私自身、新しい修煉者なので、絶えず精進するしかありません。
 
2011年06月22日


(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/6/11/125958.html
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