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発正念も修煉の一部分である(二)

近距離の発正念に参加した後のいくつかの体験

一、我々は発正念の重要性を理性でしっかりと認識し、形式や人数にこだわらず、長時間の発正念も近距離の発正念も、これは悪を解体し、迫害を阻止し、衆生を救うことであると内心から認識しなければなりません。利己心を捨て、他人のことを自分のことだと思って、真の大法の一員として法を守りましょう!

「ご存知のように、中国大陸の大法弟子が受けた迫害は相当深刻なものであるため、全ての学習者は必ず自分の責任をはっきりと認識し、正念を発する時に本当に 心を静かにして、本当に正念の作用を働かせなければなりません。ですから、これは極めて肝心なことであり、極めて重要なことです。(『各地での説法二』の「米国フロリダ州法会での説法」)と師父はおっしゃいました。

二、自分たちの正念を最後まで守り通し、一時の困難や発正念の効果と神聖さを感じ取れないことで諦めてはいけません。自分たちが発する正念の威力はとてつもなく巨大であることを、私は三度の発正念での変化で感じ取ることができました。

師父は我々の不足をすでに見抜かれ、指摘されました。「皆さんは正念を発することをくれぐれも重要視してください。自分に能力があると思っているかどうかに関わらず、正念を発するべきです。(『各地での説法二』の「米国フロリダ州法会での説法」)

三、長時間にわたって近距離で発正念を続けることは自己中心の考えを捨て、全体に溶け込み、悪を解体すると同時に、我々の修煉も中に含まれています。自己中心、怖がる心、人に頼る、怠惰、困難を恐れる、苦しさや疲れを嫌がる、面倒なことを嫌がる、気持ちよいことを求めるなどの利己心をなくすことができ、真に法の中に溶け込むことなのです。例えば、近距離の発正念に参加して、最初は外での発正念は頭が静まらず、効果があまり出ないと心配していました。この念は正しくありません。これは困難を恐れ、安逸を求め、環境を選んでいることで、勇気を奮って困難に立ち向かうことではありません。内に向けて探し、自分の頭が静まらないことを、自分の心で工夫しなければなりません。どのような執着心が自分の中で騒いでいるのか、どのような利己心をまだ捨てていないかを見つけ出し、自分の内に向けて探すことで自分自身を正すべきだと私は思います。

以上は最近の修煉における体験談です。不適切な所があれば、ご指摘をお願いします。

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/28/244553.html)
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