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黒竜江省:七台河市の法輪功修煉者 拷問される

 私は、黒竜江省七台河市の法輪功修煉者・張徳輝と言います。私は幸運にも、1996年2月に法輪大法と出会いました。私は修煉を始める前は、胃病、関節炎、中耳炎などを患っていて、しょっちゅう風邪を引き、その度に熱が出て、耳から膿がでました。医者から「鼓膜に傷穴があるため、脳膜炎を引き起こす可能性がある」と言われました。私は社会の流れの中で、色々な影響を受けて、私の婚姻も崩壊の瀬戸際に向かっていました。しかし、修煉を始めてから、各種の疾病が消えて薬が不要になり、心が広くなって、家庭は睦まじく、人とも争わなくなり、大法の恩恵を大いに受けました。

 1999年9月、東風鉱の保衛(安全保衛)科長・孫玉竜は、私と姜波涛さん、王樹海さんを保衛科に数日間監禁し、私達に修煉しない保証書「三書」を書くように強要しました。また書記・于国旺も、修煉を放棄する保証書を書くように強制し、勤務先は私に思想報告を書くように強要しました。さらに紅旗派出所は、嫌がらせ来て、また保証書を書くように強要しました。2000年6月、私は他の修煉者と一緒に法輪功の真相を伝えるために、北京に行きました。帰ってきてから、保衛科長・孫玉竜により、私は七台河鉱山事務局行政留置所に半月間拘留され、さらに刑期を半月間延長されて、500元の食費を徴収されました。その後、私は勤務先から解雇されたため、商売をしながらアルバイトをしました。
 
 2003年3月、同市の数人の修煉者が連行されました。保衛科長・孫玉竜と派出所の警官は、私の家まで来て、私を連行しようとしましたが、私が協力しないため、彼らは他の警官を呼んで来て、私を不当に連行しました。公安支局で私は脱走しようとしましたが失敗し、滅多打ちにされて七台河市行政留置所に拘禁されました。
 
 数日後、私は新興公安支局で自白を強いられ、トラの椅子で拷問されました。警官は私を殴打し、手錠をきつく締めた上で、足で手錠を踏んだり、強く手錠を上げたりしました。あの痛みはとても我慢できませんでした。その後、私は七台河市第2留置場に移送されました。1カ月後、私はまた、七台河市第1留置場に移送されました。その時、私の体に病状が現れ、家族は検査することを求めましたが、留置場側に拒絶されました。しかし、家族が何度も求めたため、留置場の医者は約1千元をゆすり取った後、やっと私を病院に行かせました。
 
 
拷問の実演:トラの椅子(絵画)
 
 私が5カ月間拘禁された後、桃山区の裁判所は不法な裁判を行い、ほとんどの修煉者に対して、2年~7年の懲役刑を言い渡しました。裁判は、少数の家族以外の立ち入りが禁じられ、弁護士を頼んでも無視されました。私は2年の懲役刑を宣告され、七台河市3監区隊に拘禁され、その後、丹江市刑務所に拘禁されました。刑務所で、私は毎日10時間の強制労働を強いられ、それでも2、3時間の残業はしょっちゅうでした。毎日の朝晩の食事はトウモロコシの蒸ぱん、昼は蒸しパン2個だけで、土日の昼だけはご飯とスープ、野菜が与えられました。
 
 牡丹江刑務所は新肇刑務所と合併したものです。元の新肇刑務所は、1999年7.20、中共(中国共産党)が法輪功を迫害する前、70~80人の警官と服役囚はいっしょに煉功していました。警官が大法の書籍を中へ持ち込み、皆「真・善・忍」の基準で自らを律したため、服役囚は喧嘩をしなくなり、健康になり、警官と服役囚のトラブルも大幅に減少しました。法輪大法のすばらしさを皆が目にして、多くの服役囚は刑務所を出てからも修煉し続けようと決心したのです。
 
 しかし1999年7.20以降、2箇所の刑務所が合併した後、刑務所では大法書籍をすべて没収し、修煉し続ける警官がいれば公職を剥奪し、修煉を堅持する服役囚に対しては刑期を延長しました。そして、約80~90人の法輪功修煉者が、牡丹江刑務所に拘禁されました。
 
 ある日、私は服役囚と話しているところを監視役に見られ、ただちに暴力を振るわれました。ちょうど家族が面会に来たので、私は殴られたことを家族に伝えました。そばにいた警官は、親切なふりをして「私達はこのことを知らないので、あとで厳しく調査します」と家族に言いました。しかし、実は全ての暴力は警官が指図していたのです。
 
 
拷問の実演:暴行
 
 ある日、私が持っていた経文が発見され、中隊長・李顕竜の手に渡されました。中隊長はその場で、朱相存に私を滅多打ちにするよう指図しました。私は暴行を受け、蹴られ、胸部はすべて腫れて、激しい痛みがあるにもかかわらず、強制労働に従事させられました。
 
 2005年の新年が過ぎたばかりのころ、刑務所側は再び法輪功修煉者たちに、法輪功を中傷するビデオを見させ、「三書」を書くように強制しました。警官らは賞金をもらうために、各種の手段を用いて、法輪功修煉者に対して、滅多打ちにする、電気ショックを加える、牢屋に閉じ込めるなどの迫害を加えました。法輪功修煉者・孫殿山さんは牢屋に閉じ込められました。李鳳全さんは数人の受刑者から交代で監視され、眠ることを許されませんでした。李さんは強制労働に抗議したため、人に担がれて作業場に連れて行かれました。苦しめられた李さんは、2階の階段から1階まで落ちて気絶し、病院で一日の緊急措置をとった後、また刑務所に戻されました。李さんが迫害された事が暴露された後、彼らは私が暴露したと疑い、私を厳しく監視し、トイレまで監視され、家族との面会も許可しませんでした。
 
 ある日、私が書いた声明文を発見され、中隊長・李顕竜は私を独房に閉じ込めました。あまりの寒さで、眠ることもできず、ずっと身震いしていました。警官はスタンガンで私の顔や首などに電気ショックを加え、髪の毛は全て焦げてしまいました。10日後、私はようやく家に帰ることができました。
 
 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/1/244751.html)
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