正念を持って、洗脳班から脱出する(一)
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文/中国河北省大法弟子・徳治

  ある日、私は悪意を持った人により洗脳班に強制連行されました。私は断食で抗議し、ベッドで法を暗誦し、発正念をし、同時に自分の問題を探し、迫害する人達に大法の真相を伝えました。数日後、私はもうここを離れるべきだ、ここから出て行き、衆生を救い済度すべきだ、ここにいてはならない、と思いました。そして、私は師父に洗脳班を離れる道を按配してくださるようお願いし、かつ、私が安全な場所に着くまで、洗脳班の人達が、私がすでに離れたことに気づかないように、という一念を発しました。

  ある日の夜、私は発正念して警官を動けないようにさせた後、タオルなど日用品を持って、階段を下りました。しかし、下の階にも、上の階にもビルから外に出る出入り口が見つかりませんでした。私は足を止め、心の中で、「道がないとしても、師父は私に安全な道を作ってくださることができる」と思い、かつ「万事執着無ければ 脚下に路自ずから通ず」(『洪吟ニ』「阻む無し」)、「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」(『洪吟ニ』「師徒の恩」)を念じました。それから、心の中で師父に、「師父、私はここから出て行って、大法を実証したいです。どこから出られますか」とお願いしました。そして、前へ進んで見て見ると、ドアが開き、私は外に出ることができました。庭に着いたら、台にする物を探して、それを踏んで、塀を乗り越えようとしました。同時に「師父、按配をお願いします」と願ったところ、突然ゲートに幅1尺くらいの隙があることに気付き、私はそこから外に出て行きました。その全過程は非常に不思議で、私は、師父が常に私のそばにいらっしゃると知っていました。

  当時はちょうど冬で、私はただ全身に単衣をまとい、靴下は履いていたものの、靴は履いていませんでした。私は塀に沿って、急いで歩いて行きましたが、足元は氷に塊や、雪や、煉瓦のかけら、ごみ、またガラスのかけらばかりでした。私はそれに気を使う余裕がなく、ただ急いでそこを離れようとしていました。私が野原に着いたとき、遠いところから汽車の汽笛が聞こえてきました。私が急いでそちらの方へ行ってみると、タクシーでした。私はすぐそのタクシーに乗りました。運転手は私の様子をみて、びっくりした様子でした。なぜなら、当時はちょうど北西の風が吹いていて、非常に寒かったのに、私は薄い服で、靴も履いていなかったからです。しかも、深夜でした。運転手は私に「何をする人か、何かトラブルに巻き込まれているのか」と聞いてきました。この状況を見て、私はタクシーから降りるしかありませんでした。

 続いて野原に沿って、前へ歩いていくと、突き当たりに川があったため、私は元へ戻るしかありませんでした。そのとき、遠いところに車のライトが見え、私のところに向かって走って来ているのが見えました。私は発正念をし、「私は大法弟子です。師父の法身よ、私を保護してください」とお願いし、運転手が私を正常人と見なし、私を安全な所に送ってくれるように、という念を発しました。その結果、タクシーの運転手は本当に私に何も聞きませんでした。私はまたほかのタクシーに乗り換え、最後に困難を克服して、やっとある同修の家に着きました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/8/247637.html)     更新日付:2011年10月13日
 
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