【明慧日本2011年12月28日】「もし大都市で真相を伝えるドキュメンタリー番組を放映することができれば、真相を知ることができる人達は更に多いのではないか?」孫長軍さんはこの考えをみんなに話した。そして長春テレビ局で予定外放送をすることも考え出したのである。孫長軍さんを含む数人の法輪功修煉者達は電信線路、光ケーブルなどの技術を学び始め、予定外放送のため細心の準備をした。彼らは技術上、とても速い内にある程度の習得ができた。一定期間の準備を経て、法輪功修煉者達は2002年3月5日に長春市ケーブルテレビで予定外放送をすることを決めた。
当時はまさに、中共(中国共産党)が最も盛んに法輪功を迫害していた時期で、この予定外放送が自身にもたらすであろう危険性を、法輪功修煉者達は皆とてもよく知っていた。しかし誰もしり込みする者はいなかった。皆は何度も討論し、予定外放送に参加する大法弟子達は当時、皆「このことで人を救うことができれば、私達はやり遂げる」と思っていた……。
孫長軍さんはとても善良で、刑務所では人に思いやりの心をもてる人を見つけるのはとても難しいことだったが、孫長軍さんはそうではなかった。大法修煉者はいかなる状況下でも良い人であり、他人を大切にするのである。ある時、同じ所に収容されている人は、脳嚢虫症(のうのうちゅうしょう:幼虫が寄生する病気)にかかっている半身不随の受刑者の足の爪を、孫さんが切っているのを目にした。その犯人はとても汚く、全身が生臭くて皆から嫌われていた。孫さんはその人の手と足の爪が、肌にまで伸び切っているのを見て、お湯で浸してあげた後、嫌がらずにその人の爪を切ってあげた。
孫長軍さんは家にいる時も、母親の足の手入れをしてあげていた。孫さんのお母さんの足は纏足で、足指は折り込まれていた。お母さんは孫さんが足の手入れをすることに対して「お前は政府で働いているのに、人に見られたら良くない」と言って断ったが、孫さんは「あなたは私のお母さんです。母親の世話をするのは当たり前のことで、誰も笑いません」と答えた。
今、孫長軍さんは刑務所で10年近くの辛い歳月を送り、遠く故郷にいる両親も息子のことを想って苦しんでいる。孫さんの母親は息子が拉致され、拘禁されたことを聞いて病気になり、2年間苦しんだ。高血圧、心臓病、脳血栓は常に老夫婦を苦しめた。孫長軍さんの家は延辺州汪清県にあり、吉林市まで500km以上も離れている。老夫婦は毎回息子に会いに行く度に、数日間の苦しい旅程をこなさなければならない。父親は車酔いする体質であるが、老夫婦はお金を節約するため、いつも列車の硬い席の安いチケットを買い、息子に会ってからはすぐ帰り、寝泊まりしたことがない。10年の苦しみの中、老夫婦もずいぶん老けてしまった。
10年近い刑務所での迫害の中、孫長軍さんは心の中で依然として「真善忍」の真理を堅持している。
予定外放送、長春市で10万人の市民が真相を見る
予定外放送は3つの電信線路に分けて同時に行われた。松原、省ホテル、南関区を含んでいた。皆が各自の準備作業をし、同時に予定外放送を行う瞬間を待っていた。法輪功修煉者達は中共の妨害を必ず取り除き、人々に必ず真相が伝わるよう、強大な正念を発した。
2002年3月5日夜8時頃、長春ケーブルテレビネットの数十万人の視聴者達がテレビ番組を見ていた時、映画、新聞、経済など8つのチャンネルの番組が突然「世界での法輪大法の広がり」、「焼身自殺事件の真相」などの法輪功の真相映像に切り替えられ、四、五十分間続いた。法輪功の創始者・李洪志先生の画面、世界各地の大法弟子達が集団煉功をする場面が突然中国大陸のテレビ視聴者達の目の前に現れた。驚き不思議がる人、怖がる人、感激する人、驚いて呆れてしまう人、そして特殊広告と思って理解できていない人もいた。その時、衆生の様々な様子、人々の心は強烈な震撼を受けた。翌日、至る所で中共の邪悪さと嘘偽りについて議論する長春市民達を見ることができた。真相の予定外放送は「法輪功は素晴らしい」という真相を世の人に伝えただけでなく、ひいては中共が法輪功に罪を着せるためにつくり出したいわゆる「天安門焼身自殺事件」の真相を全面的に暴き出した。
法輪大法は1992年5月、長春市から初めて公に伝えられ、1999年7月に中共による迫害が始まるまでの7年間、すでに人々の心の中に「真善忍」の種が蒔かれていた。「真善忍」に基づいて修煉する法輪功修煉者達の高尚で正直な人柄と、物事に対応する時の態度は人々に深い印象を残し、法輪功が病気を治し、健康を増進する方面で優れた効果があることを長春市民達も見たり聞いたりしていたのである。テレビ予定外放送の影響は衝撃波のように広がり、人々は十重二十重の黒い幕の下で光を見ることができた。当時多くの視聴者達は法輪功の冤罪が晴らされたと思い、心から喜んだ。
(続く)