変異した芸術を無くす
■ 印刷版
 

文/中国大法弟子

 明慧日本2012723日】)今まで、美術創作研究会での説法を読む度に、私はこれが画家大法弟子を対象にした師父の説法だと思い、彼らは人類の芸術を正す責任を背負っている、私とは無関係だと思いました。最近の学法で、私の考え変わりました。師父この説法を文面に整理し、全ての大法弟子に教えられているのは、必ず私たちに分からせようとする法理があり、私たちには自身を正すべき要素があり、私たちのすべきことがあると思うようになりました。

 この説法の中で、師父は詳細に芸術の変異を説かれました。私は日々の生活を思い浮かべ、例えば家にかけられている壁画、カレンダー、フランス刺繍、工芸品…などなどの多くは抽象的な造型で、あるいは変異したイメージ、あるいは邪党を宣伝するもので、場合によっては、私たちの服装、カーテン、首飾りそしてベッド用品などの柄にも、多くの変異した抽象画が印刷されています。時には、邪党を宣伝する五つの星、邪党の魁の頭像、邪党政権下の盛況、またはアニメーションの中で悪を代表する動物のイメージなどなどが印刷されています。そこには善と美が無く、全てが醜いものです。

 ならば、このような芸術は私が正すべきではないでしょうか? 答えは肯定です。法理がはっきりと分かってから、私は家にある大金を積んで買ってきたものの多く変異したものだと気づきました。例えば、私は若い女性として、以前他人が着ている“綺麗”、“ゴージャス”な服を見かけたら、必ず気に留め、この方面で多くの神経と財力を費やしました。今は物質に淡々となり、着る服などに追求せず、修煉さえできれば、法を正す師に手伝うことが一番で、物質に気を囚われず、もっと元気になり、学法の際ももっと集中できるようになりました。

 これら変異したものを綺麗に整理してから、私は家に大法の画、カレンダー、大法の吊飾りなどをかけ、着る服、かけるカーテンも純色、またきちんとした配色のものにしています。変異した芸術が無くなり、家の空間場が非常に済みきっています。

 新しい服を選ぶ際、ともすると変異したものばかりで純潔なものを見つけれないかもしれないと心配しましたが、実際、私たちの心がどのように動いているのかを師父全て見ています。私たち自分を正したいと思えば、必ず純潔なものを買えます。ベッド用品を購入しにいた時、店のオーナーが言いました。「最近純色がすごく人気で、うちの純色シーツや布団カバーは入荷後すぐ売り切れです。」

 私が思うには、私たちの今の選択が非常に重要です。以上は私の現段階での認識で、不適切な部分があれば同修の慈悲なご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/7/22/260525.html)
 
関連文章