文/中国の学習者
【明慧日本2013年5月30日】2013年5月4日の明慧編集部の文章『講演は法を乱す行為』を読んで、私は深い考えに陥りました。過去十数年の修煉過程と、間違って歩んだ道を振り返ってみると、その根本原因はほかでもなく、講演をして法を乱したからだと気づきました。以前内に向けて探し、色欲の心、顕示心、大法弟子のなかで名を求める心を見つけました。これらの心も迫害された原因ですが、最も根本的な原因ではなかったのです。講演をして法を乱したために、造り上げた罪業、及び講演をして法を乱す中で、師父を尊敬せず、大法を尊敬しなかった心が旧勢力に口実を捉えられました。それは、邪悪が修煉者を台無しにさせる最も根本的な原因です。
『講演は法を乱す行為』の文章の中にこう書かれています。「数年来、一部の地区の一部の学習者及び協調人は大型交流会に興味を示すだけでなく、時には一人または数人を招聘し、特別講演の形でのいわゆる交流を行うことに非常に熱心です。一部の地区ではこのような現象が既に数年続き」
2002年と2003年の間、私は我が地区の一部の県で開催された、いわゆる交流会に参加したことがあります。現地の協調人が組織していましたが、当時私は師父の『猛撃一掌』、『永遠に覚える』、『修める者の忌』、『法定』の中で説かれた法理に従って自分を着実に修めることができず、これは法を乱す行為であると意識できず、自分がよく修めていて、師父の一部の説法に対して深く理解しており、自分は法理において向上するように同修たちを助けようとしている、と思っていました。なぜなら、私は師父が自ら開催された講習班に参加したことがある古い弟子で、師父の一部の説法を暗記することもできたからです。ですから、大部分の協調人さえ師父の講習班に参加していなかった状況下で、協調人を含む一部の同修に対して、私はとても戸惑われやすい存在でした。
当時、各県の協調人は十数人、或いは数十人規模の交流会を開いていました。当時、邪悪の迫害がまだとても酷い状況下で、これはすでに比較的大きな交流会でした。しかし、交流会といいながらも、実際は本当の交流ではなく、主に私がひとりでしゃべっていました。その間、ほかに個別の同修、或いは協調人が話していましたが、すでに交流会を開くことに対する師父の要求からずれていて、すでに講演の形で法を乱していました。
同修の褒め言葉、崇拝の眼つきをみて、私はとてもいい気になりました。自我が絶えずふくらみ、話しぶりもますますえらくなりました。一度、数十人が参加した交流会に参加したときのことですが、最初は師父の写真の前で、合掌しましたが、師父はとても厳しい視線で私を見ておられました。私は少し不安を覚えましたが、直ちに自分の持っていた、高慢で尊大な物質に左右されてしまい、ひいては一瞬師父に対して非常に不敬な念まで浮かんでしまい、師父に対する同修たちの敬慕の心に嫉妬しました。いま振り返ってみて、なんと恐ろしい邪念だったでしょう!
現在反省してみると、当時交流に参加した根本的な原因は自分の怖れる心、自己保護の心がとても重く、面と向かって真相を伝えることを恐れ、自我を突破することがとても難しかったからです。しかし、同修という集団の中で、自分は師父が自ら開かれた講習会に参加したことがあり、古い弟子という名があり、こうして交流会に参加するのも、法を正すことに参加したことになると思っていました。実際は、チャンスを見つけて、近道を歩もうとしていて、本当は自分を着実に修め、師父の要求される三つのことをしっかり行っていなかったのです。同修に対して邪魔の役割を働いていました。
こうして、私はいろいろな原因で邪悪に捕まえられて、とても厳しく迫害され、かつ間違った道を歩み、永遠の遺憾と汚点を残しました。自分が正面から邪悪に立ち向かったとき、現した虚弱、正念が足りなかったことを考えるととても心が痛いことです。まさに『金佛』の中の2本の揚げパンのように、肝心なときになると本来の姿を現します。自分の真実の修煉状況が完全に現れたのです。
『二〇〇三年旧正月での説法』の中で、師父は私たちに、学習者がもし師父に不敬な場合、旧勢力が私たちをどう扱うかについて述べられました。しかも、最後に師父は「皆さんがこのことを犯してしまえば、旧勢力があなたを消滅する時に私は何も言えません」と説かれました。
繰り返して明慧編集部の文章『講演は法を乱す行為』を読み、しっかり自分の内心に向かって、当時動いた念をすべて振り返ってみると、私はやっと、自分がこの数年間邪悪な迫害に遭った根本的な原因は自分が講演して法を乱し、師父と大法に対して、不敬だった、という大きな間違いを犯し、師父の法を正すことを邪魔したため、旧勢力に口実を捕まえられてしまったと分かりました。もちろん、自我が膨らんでから、自分を着実に修めていなかったことにより、色欲、歓喜心、顕示心が強化され、大法弟子の集団のなかで、名を求める心等も邪悪に迫害された直接の原因です。師父の広々とした佛恩は、私が最も消沈して、自暴自棄になったとき、意気地のない私を見捨てず、絶えず私を悟らせ、加持し、同修を按排して、私が大法修煉に再び戻って、改めてよくやるように手助けしてくださいました。師父の広々とした恩に対して、弟子はただ真に着実に自分を修めてこそ、はじめて師父の慈悲なる救い済度に申し訳が立つと思います。
私が知るところでは、我が地区と周辺地区には、かつて講演をして、法を乱してから、邪悪に酷く迫害された人が数人います。邪な悟りをした人、何回も正念を持って、魔窟から抜け出しても、自分に存在するこの厳しい問題を真に認識できず、また邪悪に迫害されて肉体を失った人もいます。講演に参与した協調人の一部も、とても酷く迫害されています。
振り返りづらいこの体験を書き出したのは、同修に私の体験をもって戒めとし、問題の厳しさを真に認識し、大法と自分、そして衆生のために責任を取り、大法を実証する道を正しく歩み、真に着実に自分を修めてほしいからです。修煉には少しの偽りも加えてはいけません。修煉は真に少しずつ、必ず着実に修めないといけません。何か新奇を追求したり、何か近道を探したり、外に向けて求めると、魔道を歩むことになり、結局は修煉が無駄になります。100%師父の説かれたとおりに行うことこそ、最も智慧のあるやりかたです。修煉は多くの場合、とても平凡に見えますが、しかしその中には私たちに見えない殊勝があります。
最後に、同修たちが私の痛ましい教訓を戒めとし、大法に照らして、着実に自分を修め、明慧ネットに多く関心を持ち、法を正す進展に追いつき、間違った道を歩まないように、多くの衆生を救い済度し、本当に師父に苦労が少なく、安心が多くなるようにしたいからです。個人の考えであり、不適切なところについては、同修らの慈悲なるご叱正をお願いします。