文/中国の大法弟子 李應龍(化名)
【明慧日本2017年6月30日】最近、『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』について学びました。
「弟子:危篤状態の大法弟子に対してどのようにすれば、彼の役に立つのでしょうか?
師:法を読んであげるのが一番です。このときに去っていくべきかどうかは、すべて本人にかかっています」[1]
一部の大法弟子が先にこの世を去った主要な原因が突然分かりました。しかし確定は出来ないので、繰り返し何度も読んで、最後に悟りました。主要な原因は大法弟子が自分で去りたいと思ったから、肉身を死亡させてしまったのです。その中には旧勢力による欺瞞(ぎまん・人の目をごまかし、だますこと)も含まれており、病業の形式の迫害か、自分が気づいていない執着によるものですが、去る前は全て自分が同意し、黙認したために、肉身が死亡するという悲劇が起こったのです。
上記の師父のこの段の法には無辺の内函があり、これを交流することは出来ませんが、ここでは字面から悟りえた4種類について述べます。
一、寿命がすでに到達しており、もう去るべき時が来た人がいます。彼は自分が去りたくないと思っているので、去る事にはなりません(迫害に同意しなければ、師父の系統的按排が作用します)。
師父は説かれました。「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」[2]
「早期のとき、すでに皆さんにお話しましたが、私は地獄から、すべての大法弟子の名前を消したのです。常人のすべての人は地獄の名簿に名前が載っています。以前、地獄の名簿に載っている大法弟子の名前を私はすでに、消しており、地獄から除名したのです。そこに皆さんの名前はありません。言い換えれば、あなたはまったく、三界内の生命ではなく、すでに常人ではないのです。ですから、正念が強ければ、何でも解決することができます」[2]
正法修煉中に私たちは体得していますが、大法弟子が正式に法を得て修煉に入ったその日から、すでにだんだんと人間の状態から離脱していきます。師父は私たちに「常人の心を放下して 法を得れば即ち是れ神」[3]と教えてくださいました。神は「生老病死」という常人の低い次元の法に制御されません。私たちの根本は三界内の生命に属していません。まるで常人が自分がいつか死んでしまうことを信じていると同じように、大法を修煉している人は、自分の正念が強ければ常人のように肉身が死亡することはあり得ないことだと分かるべきであり、これはとても自然な生命の状態なのです。実際私たちが知っているのは、真に修煉する弟子は本当に肉身が死亡することは無く、私たちは理性的に分かるようになっていて、何かに執着することはないのです。理性的に認識する事と、執着で思い込む事とは当然違うのです。
寿命とは、この世にいる人の寿命で、世人の寿命です。大法弟子はすでにこの世の人ではなく、さらにあの世の人でもありません。つまり神の使者であり、神の道を行く人であり、異なる厖大な大宇宙の体系の法王であり、師を助け衆生を救う法徒で、大法に同化していく法の粒子であり、これによってもともと決まっていた常人の寿命は修煉してからの大法弟子とは何の関係もありません。要はこの同修が理知的に目覚め、彼が去りたくなければ、去ることは無く、どの旧勢力も皆、彼に指1本も触れる事は出来ません。
「大法は素晴らしい」と叫んで生命の危険を免れた常人の例を挙げます。2015年の冬、河北省の邯鄲に住む大法弟子のAさんがいました。Aさんには修煉していない91歳の高齢の老母がいました。老母が病気になって入院し、しばらく経ってから、過去に死亡した親戚が見え始め、病室にいる子どもたちに向かって「あなた達のお父ちゃんが来ました。おじいちゃんが来ました。おばあちゃんが来ました。兄ちゃんが来ました…」と言いました。かれらは全て過去に死んだ年上の人たちで、また一部の知らない人もいて、全て常人が見えないもので、子ども達たちは冷や汗をかいて、皆怖がって病室から出てしまいました。
当地にはある言い方があります。「誰かが死んだ人を見ると、この人はもうすぐ死ぬ」。この時、Aさんは病床で老母の手を取って言いました。「お母さん、怖がらないで。それらが見えなくなる一つの方法を教えるから」。老母は「どうすればいいの?」と聞きました。Aさんは「法輪大法は素晴らしい! という事が言えますか」と聞きました。老母は「これのどこが言えないと言うの」と言って「法輪大法は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」と2回ほど言った後、微笑んで起き上がり「私が2回言ったら、彼らはさっと全ていなくなったよ」と言いました。Aさんは老母に対して言いました。「こんなに良いのだから、止まらずに言おうよ」というと、老母は「そうするわ!」と言って、今日に至りました。1年半が過ぎましたが、Aさんの年老いた母親はとても健康です。この例を通して筆者が言いたいことは、常人が、生命の肝心な時に大法を実証したら、師父は彼女の怨念を善解してくださり、寿命を延長してくださいました。大法弟子ならなおさらで、そんな簡単に弟子に肉身を失わせ、たくさんの災難に遭遇させ、衆生を救い済度する機会を失わせるでしょうか? 絶対にあり得ません!
二、寿命がすでに到達しており、もう去るべき時が来た人がいます。彼は辛さに耐えたくなく、自分は去りたいと思っています。法理を理解していないので、おそらく騙されていくことになるでしょう。しかし家族、世人に負の影響を与えてしまいます(迫害に同意すれば、旧勢力の系統的な按排が作用するのです)。
三、寿命がまだ到達しておらず、去るべきではない人がいます。各種の原因によって、旧勢力に騙されたため、とても危険な境地をもたらすかもしれず、例えばとても重い病業など、もし法から認識出来なければ、肝心な時に正念がなく、おそらく肉身を捨てて行ってしまうでしょう(迫害に同意すれば旧勢力の系統的安排が作用するのです)。
主要な原因は旧勢力が隙に付け入り、学習者に病業を消去する事を無理矢理に押し付けて、老化させ、ひいては肉身を失わせることは、全て旧勢力の妨害です。師父は説かれました。「もし大法弟子が誰も死ななければ、これは奇跡ではありませんか? 大法弟子の誰もが死なないのであれば、これはどういう状態なのか、皆さん考えてみてください。誰もが大法を学びに来て、法輪功を習えば死なないのだとこの迷いは破られてしまいます。これは人類にとってこの上ない庇護(ひご)であり、みんな学びに来るのです。ですから、旧勢力は承知せず、法輪功を習っている人が常人や普通の人と同じ状態にし、老いと病業の現象があるようにしています」[4]
四、寿命に到達しておらず、去るべきではない人がいます。しかし、魔難の中で旧勢力は同修の肉身を無理に引っ張ろうとしています。もし自我を放下し、人心を片付け、これらの一切は全て仮相で、師父が欲されるものではないと認識出来れば、それらを全面的に否定することが出来ます。正法時期の大法弟子は大法を実証し、「迫害を受けてやっと修成するという旧宇宙の変異した法理を正す」ので、それらは救い済度し戻す対象なのに、どうして大法弟子を左右することが出来るのでしょうか? 師父の按排された道を行き、思想を明晰にし、正念を強くして、大法弟子が世上で存在するのは、衆生を救い済度する作用を働かせるためだと認識すれば、彼は去ることにはなりません(迫害に同意しなければ、師父の按排が作用するのです)。
師父は幾度となく、一粒の砂の中に三千大千世界がある法理を説かれましたが、人の細胞はまるで一粒の砂のようで、全ての表面の肉身に無数の細胞があり、計り知れない世界の衆生がいて、法の中から私たちが分かるのは、大法弟子の主体は最も表面まで来ていますが、もし最も表面の肉身が無くなったら、表面の空間の正法と衆生を救い済度することが失敗するのではありませんか? また宇宙、正法と大法弟子の災難ではありませんか? そうです、必ずそうです!
それは、天の大きな損失になりませんか? これは必ず旧勢力が按排したものです。私たちには闘争心はありませんが、旧勢力の要素と大法弟子を迫害する事を許してはならず、企みの実現を許してはならないのです。特に正法は今日まで至り、金色に光り輝く神の一面を持つ大法弟子が、旧勢力の按排要素による虫や、細菌など低次元の汚い生命に肉身を奪われることは何と恥辱なことでしょう! 今から起き上がって、必ず再び大法弟子が肉身を失う悲劇の発生を許してはいけません。
師父は説かれました。「法を正す期間にあって、弟子は必ず法を正すことが終わった後に、初めて立ち去ることができるのです」[5]。これは師父が大法弟子に対して告解されています! 苦難の中、肉身を捨てて世間を離れたいと思った大法弟子、大法を否定して離れてしまい、師父の要求に違反したのではないですか?
天体の中の無数の神は、大法弟子が人の世で修煉し、法を実証していることを羨ましく思っています。しかし人身が無ければ、この一切も行えなくなります。世上の1億の大法弟子、相対する全世界の70億の人から言えば大海原に浮かぶ一粒の粟(あわ)に過ぎず、全宇宙と衆生の数量と比べるとさらに少ないですが、大法弟子はこの圧力と難度がどれほど大きくても、全宇宙を救おうとしているのです。ですからこの世にいる一人一人の大法弟子は、全て比べる事が出来ないほど貴重なのです。衆生を救い済度する角度から言えば、大法弟子の表面の身体も大法の正の面の作用に符合すべきです。目覚めて認識し、この時期に再びこの世を先に離れてはいけません!
以上は浅い認識ですが、もし大法に符合しない部分がありましたら、同修の慈悲なる是正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文: 『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作: 『ロサンゼルス市法会での説法』
[3] 李洪志師父の詩 : 『洪吟』「衆生を広く済度する」
[4] 李洪志師父の経文: 『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
[5] 李洪志師父の著作: 『精進要旨二』「法を正す時期の大法弟子」